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「風」に乗るために必要な「不動の個性」



1.「風」に乗る「不動」の冥王星水瓶座時代


 ここしばらく冥王星の山羊座から水瓶座への移行という占星術上の一大事と人間社会への影響、特に政治面での現れについて、自由民主党総裁選挙、衆議院選挙、米国大統領選挙、兵庫県知事選挙などと絡めつつ記事を書いてきました。

 冥王星が山羊座にあった時代は、組織や社会の全体的利益やそのために必要だとされる秩序やヒエラルキーが重視され、必然的に特定の社会・組織秩序の必要性を担保する価値観も画一化されていき、「成功者」や「勝ち組」と「負け組」という人々を分類する言葉が流行したのも、そのような単純な分類を可能にする画一的な価値観が跋扈していたことを示すものです。

 しかし冥王星が個性重視の水瓶座に移行することで、これまでの画一的な価値観が破壊されていくことになります。


 冥王星は昨年すでに一旦水瓶座に入っており、それから逆行と順行を繰り返し、山羊座と水瓶座の境界を往来していましたが、今年の11月20日に水瓶座に最終的に入りました。

 冥王星の公転周期は約248年ですので、今生きている人々は年齢を問わず、再び冥王星山羊座時代を体験することはありません。

 そして冥王星水瓶座時代もこれからの約20年間だけの体験となります。

 この約20年間が個々人にとってどのような意義を持つのかはもちろん千差万別ですが、ネット上では占星術的観点からの解説や解釈も多く見られます。

 それらの中で興味を覚えたものの一つに、西洋占術思想で世界を構成する四元素(=火、地、風、水)のうちの「風」に水瓶座が分類され、また十二星座を三分類する「活動宮」「不動宮」「柔軟宮」では水瓶座は「不動宮」である点に注目し、「風」が強調される冥王星水瓶座時代において個々人が独自性を発揮するためには各々の「核」となる「不動」のものが必要だという指摘でした。

 その指摘は、例えば今回の兵庫県知事選挙でSNSの大波というか大風に煽られた大波に乗って斎藤元彦氏を知事に再選させた動きとその後に噴出する数々の疑惑、そしてそれらに翻弄される人々を見ていると、一層重要に思われます。


「マスコミは嘘だらけ、真実はネットにある」との単純な図式に思考を支配され、斎藤氏の名誉回復・再選運動の「熱狂」に駆られて同氏への態度を急変する言論が相次ぎましたが、後に数々の疑惑が噴出して再び同氏への態度を変えたり、それでも斎藤氏に一見有利な新たな情報が出ると鬼の首を取ったような同氏支持の主張も時折見られますが、それらがしばしば「その場凌ぎ」の情報であり、斎藤氏自身も話す内容がコロコロと変転するか、「公選法違反の認識はない」、「代理人に一任している」といった定型文を繰り返しているため、次第に自らの首を絞める格好になっているように見受けます。

 また斎藤氏を支持、応援していたものの、「風向きが変わって」さまざまな疑惑が発覚し、それらに関する同氏側の反論に稚拙さと危うさを感じ取った言論人は、この件からなるべく距離をとって「身動き」せずに嵐が過ぎ去るのをじっと待っているようです。


 奇しくもここに水瓶座の「風」と「不動宮」の属性が現れているように見えるのは私だけでしょうか?

 すなわち斎藤氏への支持・不支持を周囲や大勢の「風向き」を見つつ変転させていくうちに、意図せずして自らの首を絞めて「身動き不能」の状態に陥っていく…

 逆に斎藤氏陣営の選挙運動が抱える多くの問題点に早くから気づき、選挙運動の趨勢や選挙結果に左右されずに、「不動」の姿勢でそれらの問題点を一貫して追求してきている言論人は、冥王星水瓶座時代の宇宙的な流れに順調に乗っていく…

 つまり真相追求のための「不動」の一貫性がうまく冥王星水瓶座時代の「風」に乗せているのです。

 尤も「公選法に反する認識はない」と繰り返す斎藤氏の姿勢を「不動の一貫性」と見る向きもあるかもしれませんが、同氏の「不動の一貫性」はネットで意図的に演出された「虚飾の個性の保身」のためであり、それゆえどのような指摘や質問を向けられても答える内容はその場凌ぎの変転と定型文の繰り返しになっている様子は、すでに主体的ではなく受身的に「身動き不能」の状態に陥っていることを示しています。

2.冥王星山羊座時代の全体主義的風潮と人々の保身


 冥王星水瓶座時代に重視される「個性」とは「保身」でもなく、社会の画一的な価値観に沿う「虚飾の個性」でもなく、個々人の中から自然に生み出されて、その死後も社会に存在感や影響を与えうるような価値観ではないでしょうか?

 逆に「保身」の願望だけが「不動」で、言動は社会や組織の中の「風向き」次第で変転させるのは、冥王星山羊座時代に特徴的なだったのではないでしょうか?

 組織や社会の全体の秩序を重視する環境では、ヒエラルキーの上層やトップへの従順性が求められ、それは「社会全体主義」の下で顕著になる風潮であり、「社会(全体)主義国」や「(社会)全体主義国」がトップや上層部の「独裁制」となるのも必然なのですが、そういう体制下の人々が社会や組織の内部で上から吹いてくる「風向き」次第で言動を変転させざるを得ないのも「保身」のためだからです。


 この「社会全体主義」の風潮が日本で顕著だったのは、近年は首相への「忖度」という言葉がマスコミ報道などでしばしば見られた安倍晋三元首相時代で、それが冥王星山羊座時代(2008年〜2024年)のちょうど中心期(2012年〜2020年)に当たっていたのも、占星術の知識を得て振り返ると大変興味深いです。

「全体主義の独裁者」は細かなことまであれこれ指示は出さず、周囲の者や社会が「独裁者」の意向を「忖度」して発言したり行動するものです。

「忖度する」は「空気を読む」と言い換えることができますが、「空気を読む」という言葉や逆に「空気を読めない」人を「KY」と呼ぶことが流行ったのも冥王星山羊座時代ではないでしょうか?

 こうして「社会全体主義」の下では「独裁者」の意向を「忖度」し、「独裁者」の周囲や社会に漂う「空気やその流れ=風向きの変化を読む」ことが、組織や社会の成員が「身を保つ」ことができるかどうか、つまり命運を左右するのです。


3.冥王星水瓶座時代に破壊される社会全体主義と「スターシステム」


 しかしそれは組織や社会の成員が各々の個性を押し殺し、埋没させることにつながり、個性が重視される冥王星水瓶座時代とは対極的なものであり、誰も抗うことのできない冥王星の破壊力によって根底から破壊されていく運命にあると、占星術的観点からは言うことができるのでしょう。

 そのことは、兵庫県知事選における疑惑について斎藤氏陣営が次々と出してくる反論や情報がすぐに綻びを見せ、その焦りがさらに墓穴を広く、深くしている様子にも窺えます。

 しばしば「ヒーロー」のように印象操作されることで大衆から「熱狂的な支持」=「崇拝(カルト)」を受ける「独裁者」を頂点としたヒエラルキー重視の社会全体主義が横行してきた冥王星山羊座時代の終焉間際に、「マスコミや既得権益」と戦う「ヒーロー」のようにネットで印象操作された斎藤氏がネット民の「熱狂的な支持」=「崇拝(カルト)」を受けて知事に再選された直後、まさに冥王星が最終的に水瓶座に入るちょうど11月20日から次々と斎藤氏陣営の疑惑が噴出したこと、しかもそれらの多くは同氏陣営が己に良かれと思って出した情報や反論が却って自らの首を絞める格好になっていることに、人智を超えた、誰も抗うことのできない冥王星の恐るべき破壊力を痛感せざるを得ません。

 兵庫県知事選投開票日直前の11月16日に投稿した記事では、斎藤氏陣営が無理に無理を重ねるほど冥王星の破壊力の衝撃は一層大きくなると指摘していましたが、正にそのような展開になってきているのではないでしょうか?


 これに付け加えて言えば、斎藤氏が知事の座にある期間が長くなればなるほど、今回の知事選に関する疑惑だけでなく、これまでの「ヒーロー」や「スター」を中心とした社会全体主義システムのカラクリが斎藤氏という具体例を通して明るみになり、今後次々に「ヒーロー」や「スター」を生み出していく「スターシステム」という大衆洗脳システムが効かなくなっていくでしょう。

 このカラクリが広く周知されないため、つまり「スターシステム」を今後も活用していくには、斎藤氏を操ろうとしている勢力は同氏をなるべく早く「損切り」して、捲土重来を図るのが得策と判断するかもしれません。

 彼らが長期的視点を持ち、尚且つ臨機応変に決断を下し、行動に移す機動力を持つ真の知将、名将ならば、そうするでしょう。

 少なくとも歴史上の知将や名将は目先の利益に囚われることなく、潔い方針転換を厭わなかったわけです。

 さもなくば、誰も抗うことの出来ない冥王星の破壊力に斎藤氏陣営の稀代の自爆力が相俟って、冥王星山羊座時代よりはるか昔から利用し、洗練させてきた「スターシステム」自体が使い物にならなくなってしまうのは、容易に想像できます。

 斎藤氏の経歴をネットで調べると、実質的に「日本維新の会の代弁者」であるのは明白ですが、先の衆議院選挙で維新が議席を大きく減らしたのは「斎藤劇場」が原因であり、同氏は知事に不適格だが、その存在は結果的に維新にとってマイナスとなる効果があるので、兵庫県知事選で落選しても当選しても、どちらも悩ましい展開だとする見方もありました。

 マスコミやネットを使った「スターシステム」という大衆洗脳カルトシステムのカラクリが暴露され、その「神通力」が根本的に失われるための「反面教師」として斎藤知事は確かに打ってつけでしょう。


4.兵庫県知事選を巡る問題の本質的側面の一部


 斎藤氏陣営への追求は具体的に確認されている行為についての法律的観点から行なわれているのに対して、斎藤氏陣営・支持派は自殺したとされる県庁幹部職員の「不倫」や「反斎藤知事クーデター画策」など内容が未公開や未検証の情報を盾にして、それら未公開・未検証部分を自らに都合が良いように解釈して反論する傾向があります。

 例えば、「斎藤知事のパワハラがあった確証はない」という曖昧な報告をいつの間にか「パワハラは否定された」「パワハラはなかった」と言い換えるものです。

 しかし、それは斎藤氏の同職員に対する処分の正当化と斎藤氏自身の美化を最初から目的とした印象操作に過ぎず、論理的には全然反論になっていません。


 現在はこのような斎藤氏支持派・擁護派と同氏の具体的な問題点を追求する側とのまったく「噛み合わない」応酬がネット上で盛んですが、それは「斎藤劇場」のまだまだ表面的な問題です。

 そのことは斎藤氏陣営を追求している人々の一部も弁えているでしょうが、同氏を現実に追い詰めるには法規に則る必要があるので、法的観点から攻めているのだと思います。

 しかし私の関心は、斎藤知事を具体的事例とした「スターシステム」という大衆洗脳カルト支配システムと「維新系」の斎藤氏を兵庫県知事にしようとする国内外の勢力の狙いにあります。

 例えば、その国内勢力の一つは日本維新の会であり、大阪万博の強行のためにも自分らが押し立ててきた斎藤知事の続投が必要だからですが、大阪万博の誘致には自民党の旧安倍派も大きく関係しており、今回の知事選で斎藤氏を陰から応援していた痕跡はネット上に散見されます。

 旧安倍派は前述の冥王星山羊座時代のど真ん中で政権を担い、社会全体主義的な風潮を社会に広げた安倍元首相を中心とする派閥で、安倍氏の暗殺事件直後から同氏・同派の旧統一教会との関係の深さがマスコミでもネットでも大きく話題になりました。

 旧統一教会は日本国内で「カルト教団」として最も広く認識された団体の一つで、洗脳された信者に対する霊感商法などが問題視されてきましたが、教祖らを「神」同然に個人崇拝(カルト)するのと、安倍元首相を具体的な実績ではなく、「やろうとしたこと」でもって「救国の英雄」のように称賛する人々がしばしば「安倍信者」と呼ばれることも、同派の政治家らがしばしば旧統一教会や実質的な派生カルト団体と関係が深いことも、一つの論理的連環の中にあります。

 特定の個人を「スター」として持ち上げ、「スター」に好感を抱かせ、次に支持させ、最後には「崇拝(カルト)」させ、「スター」の言動を利用して社会の成員を全体主義的に画一的な思考と行動に仕向けるのを目的とした「スターシステム」の中で旧統一教会も旧安倍派と「安倍信者」も各々の役割を演じているのです。

 そのためにも数々のカルト団体が生み出されており、長崎県の壱岐に浸食しつつある「子宮系スピリチュアル」の団体と安倍元首相夫人、安倍昭恵氏の関係は九州では話題になっており、「このままでは壱岐の島が子宮系スピリチュアルに乗っ取られてしまう」との危機感をもって語られています。

 フリージャーナリストの菅野完氏も斎藤氏を兵庫県知事に据えることで、維新は兵庫県を「植民地」にしようとしている、と警鐘を鳴らしていますが、斎藤氏陣営の背後にカルト教団とも関係の深い旧安倍派がいるとすれば、斎藤氏の支持者らを「カルト信者化」して同氏の知事再選と県政続行に繋げることは、兵庫県がカルト教団の手に落ちることを意味し、安倍昭恵氏も関係のあるカルト教団の子宮系スピリチュアルの手に壱岐が乗っ取られるのと、形態の違いこそあれ、同じことである点に気づく必要があります。


 そこで、今回は以下の疑問を提起しておきましょう。

・今年10月の衆議院選挙では自民党から各支部に支給された2,000万円があたかも「裏金議員」への選挙資金であるかのような記事をマスコミが一斉に報道したのに対し、兵庫県知事選挙期間中にカルト教団として広く知られる旧統一教会の関係者が斎藤氏を応援していた情報がSNSなどで出回っていたにも関わらず、大手マスコミはなぜ一斉報道しなかったのでしょうか?

・2,000万円の支部への支給が「裏金議員への2,000万円支給」とすり替えられた報道が石破総裁・自民党にとって大打撃でしたが、「旧統一教会の斎藤氏応援」もマスコミが「斎藤潰しに本気」ならば一斉報道したはずではないでしょうか?

・また斎藤氏が始めた「一人ぼっちの選挙運動」もマスコミが「斎藤潰しに本気」ならば、「悪名は無名に勝る」と云うように、完全無視した方が効果的だったはずですが、なぜマスコミはわざわざ取り上げてきたのでしょうか?

・斎藤氏の知事辞職後にネットで「マスゴミの嘘」が喧伝されて行く中、マスコミはどうして斎藤氏が知事再選を果たすまでほとんど反論しなかったのでしょうか?

・斎藤氏の知事再選直後から早速さまざまな疑惑が出てきたこともあってマスコミがそれらを取り上げ始めたことについて、「マスコミが今も斎藤叩きをしている」などとSNSで話題にされているようですが、上記のような経緯をざっと振り返っただけでも、マスコミは石破首相に対するのとは比較にならないほど斎藤氏に対してかなり「手加減」しているように見えませんか?

・ネット上ではかなり前から、投票が締め切られた途端に「当確」のマスコミ報道が行なわれることに疑問の声が上がってきたはずですが、斎藤知事再選についても投票締め切りと同時にマスコミが「当確」報道を行なったことが問題視されないのは怪しくないでしょうか?

・実際の支持率云々に関わらず、投票締め切りと同時の「当確」報道は、そもそも手続的におかしいはずではないでしょうか?

・もし投票締め切りと同時の「斎藤氏当確」報道を同氏の支持派・擁護派の人々が問題視せず、肯定さえするのであれば、他の同様な「当確」報道も批判、否定する「資格」もなくなるのではないでしょうか?


・それとも斎藤氏には許されるが、他の人物には許されないのでしょうか?


 もしそうならば、自分が好感を抱き、支持、応援する人物には許されても他者には許されないと云う考え方や態度は、社会主義国の国家指導者や権力者には許されても他者には許されない、カルト教団の教祖には許されても他者には許されないとする、まさにカルトそのものの発想なのです。

 だからこそ、斎藤氏を支持・擁護する人々はしばしば「斎藤信者」と揶揄されるのであって、それに対して感情的に反発するのは、「あなたは洗脳されている」と指摘されたカルト信者がしばしば感情的に反発するのと変わりないのです。

 なぜなら、以前にも指摘しましたが、「洗脳」とは文字のイメージとは違って、思考ではなく感情に働きかける工作なので、「洗脳されている」と指摘されると、感情的に反発するのです。

 このように洗脳する側は、洗脳対象の感情に訴えることができれば、あとはその感情を満足させるように自ら特定の(洗脳する側が望む)方向に思考を進めることを知っています。

 他方、感情を刺激されて、その感情を満足させるように、つまり「快」を感じるように自動的に思考するようになった人々、すなわち洗脳された人々は、あたかも「自分の頭で考えている」つもりになるのであり、外部から意図的に刺激された感情に思考が方向づけられていることに気づいていません。

 したがって、「快」を感じる思考を否定されると、感情的に反発するのです。


5.冥王星水瓶座時代の「風」に舞い散る「木の葉」とならないために


 西洋占術思想で云う四大元素の「風」の属性を持つ水瓶座に冥王星が完全に移行した11月20日から斎藤元彦兵庫県知事の県知事選における公職選挙法違反の疑惑が噴出、以後斎藤氏陣営側の己に良かれと思った対応が悉く裏目に出ている事態と、11月15日生まれの斎藤氏の太陽星座が冥王星の支配する蠍座である点も相俟って、水瓶座に入った冥王星による「虚飾の個性」を「破壊」する凄まじさを現在進行形でまざまざと見せつけられています。

 斎藤氏と同氏の陣営や支持派・擁護派が、具体的な中身は曖昧な「既得権益」と戦う斎藤知事・斎藤県政という「虚飾の個性」に執着すればするほどに、冥王星の「破壊」の作用が凄まじさを増して、斎藤知事再選に関係している人々を一掃していくような勢いを感じさせる今日この頃です。


 もちろん、ここで冥王星による「破壊」の憂き目から免れ、「風」の星座である水瓶座に入った冥王星の「再生」の恩恵に与るには、「虚飾の個性」への執着心を潔く捨てることであり、それはタロットカード17番「星」の、両手の水瓶を逆さにして中の液体(これまでの思い)を一気に捨てている全裸の女性の上に星々が輝く絵柄にも暗示されています。

ライダー版タロットカードの17番「星」は「理想」「願望成就」「希望に溢れた未来」などと解釈される


 兵庫県知事選における斎藤氏陣営の公職選挙法違反疑惑が、同県の仕事に携わりながら、同氏陣営の「広報全般を任せていただいた」と無邪気にアピールしていた広告企業の女性社長のネット投稿記事・動画が発端となって噴出したこと、同社長の名前が木偏に風の「楓」という細部に至るまで、上記の「星」のカードの意味も踏まえると実に意味深長に感じられ、カードの中央に一際大きく輝いている黄色の星も冥王星に見えてきました。

「星」のカードに描かれる七つの白色の星を伝統的占星術が扱ってきた太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星と考え、中央の黄色の星は土星より遠くのトランスサタニアン(天王星、海王星、冥王星の三天体)を代表する星と捉えると、個々の占いの内容次第で三天体のどれか一つ、または全体と解釈されるかもしれません。


 兵庫県知事選投開票当日の11月17日の午後、下和白大神神社を参拝して踵を返すと、一枚の木の枯れ葉が強い風に舞いながら落ちていくのを目にしました。

 その後も一枚…、また一枚…、と同じ種類の枯れ葉が風に吹かれ、舞いながら、境内にひらひらと落ちていくのが何となく印象的だったので写真に撮りました。

2024年11月17日、兵庫県知事選投開票日当日午後、下和白大神神社境内で風に間良い落ちていく木の葉


 カエデの葉のようだと思いつつもその場で詳しく確認はしていませんが、当時は斎藤氏陣営に「広報全般を任された」広告企業の存在も、まして女性社長の名前が「楓」と云うことも知りませんでしたが、斎藤氏側の公職選挙法違反疑惑が冥王星水瓶座移行当日の11月20日に噴出し、疑惑への反論や対応が一つ、またひとつと、「風に吹かれる木の葉」が一枚、また一枚と舞い落ちていくような展開を見ていると、意味深長な光景を兵庫県知事選投開票日の大神神社参拝直後に自然(神々)に見せていただいたことになります。

 これに神々からのメッセージが籠められていると感じるか否か、そうだとすればどんなメッセージだと感じるかは、もちろん読者それぞれの感性次第です。


 いずれにせよ、私たちの先祖は稀少な現象はもちろん何気ない現象であっても、思いがけずタイミングよく耳目にしたものに神仏からのメッセージを感得してきたのであり、そういう霊性が日本の信仰や文化の基層にあるのであって、そのことを理屈で理解するのではなく、日常の実践を通じて自らの中に甦らせていくことが、自分の中に独自の「個性」を生み出すことにつながり、冥王星水瓶座時代の「風」に「個性」がないまま翻弄されるのではなく、虚飾ではない「不動の個性」があるがゆえに「風」にうまく乗っていくことを可能にするように思います。

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