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龍神考(4) ー龍の国からのメッセージー
心身の浄化のために、例えばお経や真言、祝詞や大祓詞を唱えることや、大麻や塩湯でお祓いをしていただくことが、風や水を司どる龍神様のご神徳を仰ぐことにもなること。それは、手水舎や拝殿の破風に龍神の彫刻や彫像がよく見られる点にも窺えることに前回は気づきました。
心身の浄化と龍神様の関係については、その本質を水神とすれば、私たちの体内の水分にすでに宿っているか、宿りうると繰り返してきましたが、2011年の東日本大震災の後、国家元首の中で最初に訪日されたブータン王国のワンチュク国王は、福島県相馬市の小学生たちに対して、龍は心の中にある、という主旨のお話をされました。
その内容を改めてネットで調べてみると、結構多くのブログ記事などがありますので、以下に要点を列記します:
・龍は国王も王妃も見たことがある
・龍とは一人ひとりの人格のこと
・龍は経験を食べて強く大きく成長していく
・わがままを抑え、感情をコントロールし、龍を鍛えていくことが大切
ワンチュク国王のお話は人生訓として素晴らしいだけでなく、信仰思想の面からも非常に深いものだと僭越ながら思います。
感情がコントロールできない時、つまり感情に支配されている時は、口の中が渇いたり、手に汗を握ったり、冷や汗をかいたりします。つまり体内の水分に影響が現れやすいものです。
ワンチュク国王はこういうことも念頭に置いて上記のお話をされたのだろうかと、龍神=水神という視点から思った次第です。
ブータンの信仰はチベット仏教が主流で、そのチベット仏教は観音信仰が篤く、チベットの指導者、歴代ダライ・ラマが居住し、祭祀と政治を司どる宮殿、ポタラ宮の「ポタラ」も観音菩薩の補陀落(ふだらく)浄土の「補陀落」のことです。
また観音菩薩は観自在菩薩とも呼ばれますが、「観自在」とは常に変転してやまない「自己の(心の)在処を観察」することだと、私自身かつて携わった瞑想修行の実体験からも言うことができます。
心の在処は高速で移転し、それを意識が一々追いかけていくのはとても難しく、いつの間にか何かに固着、つまり執着していることにすぐには気づきません。
雷が落ちるのも高速で、どこに落ちるかも予見できません。
たまに落雷を目撃できると、落雷地点に私たちの目はしばし釘付けになります。
しかしそうしているうちに、また思わぬ時に雷鳴を聞き、思いがけぬ場所に雷が落ち、今度はそちらに関心を奪われます。
そして雷が止んでも、しばらくの間落雷の記憶、脳内の残像にとらわれますが、そのことにも意識はすぐは気づきません。そのうちハッと我に帰ることもありますが、たいてい次の新たな周囲の変化に遭遇するまで囚われたままで、新たな刺激を受けると、また無意識のうちにその変化に関心が移ります。
ただ、常々変転極まりない「自己の(心の)在処を観察」する「観自在」の修行を続けていくと、外部からの感覚的な刺激に反射的に反応し、次に内面の感情の無意識な連鎖反応に翻弄されることが、徐々にではありますが、減っていきます。
例えて言えば、思いがけぬ雷光や雷鳴に一々驚き、それらの残像に囚われたままとなることも次第に減っていきます。
人生上の経験も思いがけないものが多いですので、経験を雷に例えてみることができるでしょう。すると、さまざまな経験をする(雷に遭遇する)中で、それらの経験(雷)から受ける自己の感覚的刺激と感情的反応を観察し続けていくことで、心が動揺したり囚われたりすることも減少していく。それが人格=龍が鍛えられていくという意味である。
このようなことをワンチュク国王は仰っていたのだろうかとも想像しています。
「ブータン」とはチベット語で「龍の地」を意味するそうで、その国旗には君主制を示す黄と仏教を示すオレンジが接する部分に、すべての足に宝玉をつかむ白龍(雷龍)が描かれています。
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仏教と君主制は宗教と政治、また聖と俗とも言い換えられます。政治はさまざまな人々の利害関係を調整する営みですが、さまざまな経験(雷)に翻弄される人々の心(雷龍)が落ち着き、静止しているように見える時に、政治のあり様も仏教、特に観音信仰と調和し、国民は宝玉(幸福)を手にすることができる、ということを示しているのでしょうか?
ある真言宗のお坊さんから、観音様には鱗や鱗の付いた尾がある、と聞いたことがあります。そういう観音像も実在するとのことでしたが、私はまだ拝観したことはありませんが、この記事を書いているうちにふと思い出しました。
雷は空気中の水分の塊である雲の中で発生することからか、龍とともに雲の中に描かれることも多いです。
龍神信仰に関心を持つようになってから、必然的に雲への関心も高まりましたが、ブータン王国の国旗を目にして以来、白い鏡面のような雲が静かに広がる時に太陽を囲むように現れる黄色とオレンジ色が重なる日暈を見ると、ブータンの国旗とワンチュク国王のお話が心に浮かぶようになりました。
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