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斎藤県政騒動の発端と阪神淡路大震災30周年



1.斎藤県政騒動の発端について再考する必要性


 前回の記事で取り上げた占いが示すように未だ先行き不透明な斎藤県政騒動も、他の政治問題同様に人々の関心は「今後」や「結末」に向かいがちであり、問題の「経緯」や「発端」は次第に忘れ去られる傾向にあります。

 しかし問題が長引けば長引くほど、複雑化すればするほど、そもそも何が問題の発端となったのかについて見つめ直すことが非常に重要であり、過去を遡ってみることで初めて問題の本質に気づくことも少なくありません。

 しかも問題の発端と本質を思い起こさせる出来事は、問題が重要な転機を迎えた時点でしばしば発生するようにも思います。

 はたして郷原信郎弁護士と上脇博之教授(神戸学院大学法学部)による斎藤知事を被告発人とする刑事告発が兵庫県警と神戸地検により受理された12月16日以降、同知事の記者会見でのマスコミ記者からの質問にも注目すべき変化がありました。


 それまで斎藤知事(第一期)に関する疑惑を巡ってはいわゆる「おねだり体質」や「パワハラ」が、マスコミでもネットでも、また斎藤氏の支持・擁護派と反対派の双方とも論争の中心的テーマとしてきました。

 ところが、騒動の発端となった元西播磨県民局長による内部告発文書を今改めて見つめ直すと、マスコミからの質問の変化が意味するものに気づかされます。


 ウィキペディアの「斎藤元彦」と「兵庫県庁内部告発文書問題」を参照すると、自殺した元西播磨県民局長が内部告発文書に挙げていた7項目は次のように整理できます:
⑴ 五百旗頭真ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長死去と関連する人事の強行
⑵ 2021年兵庫県知事選における同県幹部による斎藤氏のための違法な事前運動
⑶ 次回知事選に向けた投票依頼行脚(23年下半期以降、特に24年2月中旬)
⑷ 斎藤知事の「おねだり体質」と「贈答品の山」
⑸ 県下商工会議所・商工会への23年7月斎藤知事政治資金パーティー券購入圧力
⑹ 信用金庫への県補助金増額キックバックで23年プロ野球優勝パレード費用補填
⑺ 常態化したパワーハラスメント


 立花孝志氏も含む斎藤知事支持・擁護派も、他方の彼らが盛んに「斎藤潰し」をしていると批判してきたマスコミもネット配信者らも、双方が取り上げてきた疑惑が上記7項目のうちの実質的に⑷と⑺だけという点にまず注目すべきです。

 仮にこれら7項目の疑惑が「すべて事実」だったとした場合(私もその可能性が高いと推察しますが)でも、厳密に言えば「すべての事実」のうち「一部の事実」だけにフォーカスした情報発信は、意図するとしないとに関わらず、情報受信者の関心をその「一部の事実」だけに集中させる効果をもたらし、「残りの事実」への関心を逸らさせ、やがては忘却させてしまい、さらには「すべての事実」の中でも「最も重要な事実」や「重要度の高い事実」への視点が欠落した思考と議論に誘導し、「真相」の把握を不可能にさせてしまいます。

 今回の兵庫県知事選に関して横行した「マスコミvsネット」という見方の問題性を私は当初から指摘してきましたが、改めて内部告発文書の内容を見つめ直すと、「反斎藤知事のマスコミもネット配信者ら」も結果的に元西播磨県民局長が告発した7項目のうち「最重要・高重要度の事実」に世論の関心が向かわないようにする情報操作の罠に陥っていたのではないでしょうか?

 換言すれば、問題の本質的・核心的部分から遠いところで「マスコミvsネット」や「斎藤シンパvs斎藤アンチ」の応酬が展開されてきた格好になるわけです。

 この点は、元西播磨県民局長の告発文書の内容を再度調べたのが先週からだった私自身の自戒も込めた指摘です。


2.元西播磨県民局長の内部告発の「最重要項目」は何か?


 それではこの7項目のうちどれが「最重要」で、どれが「高重要度」に相当するでしょうか?

 人によって見解は異なるでしょうが、もしウィキペディアに挙げられている順番が内部告発文書の記載順のままならば、それは同文書を作成した元西播磨県民局長が判断していた優先順位を示している可能性があります。

 また同文書の作成と配布の時期が今年3月中旬であることは、同月末で退職予定だった元西播磨県民局長が兵庫県のための「最後の奉公」として同文書を作成したことも考えられますが、もっと強力で直接的な動機があったようにも思われます。

 それは、7項目の筆頭に挙げられた五百旗頭真ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長の急死との関連性を示唆する同機構幹部人事異動ではないでしょうか?


 ウィキペディア「兵庫県庁内部告発文書問題」に引用された「①五百旗頭先生ご逝去に至る経緯」を整理するとこうなります:
・今年3月6日午後、五百旗頭理事長が理事長室で急性動脈解離で急逝
・その前日、斎藤知事の命を受けた片山安孝副知事が五百旗頭理事長を訪問し、副理事長を含む2名の幹部職員の解任を通告
・特に副理事長は同機構の役割・使命に関わる分野の第一人者
・来年1月の阪神淡路大震災30年は同機構の活動の「事実上最後の大きな契機」
・副理事長ほか1名の幹部解任は五百旗頭理事長と井戸前知事への酷い仕打ち
・この解任通告の根底には斎藤知事の「井戸嫌い、年長者嫌い、文化学術系嫌い」
・解任通告→五百旗頭理事長の激昂→急性動脈解離→急逝へ「命を縮めた」可能性

 はたして斎藤知事を被告発人とする刑事告発が兵庫県警と神戸地検に受理された後からようやく、同知事記者会見で「五百旗頭先生ご逝去に至る経緯」をマスコミが追求し出したのです。


 しかしどうしてマスコミはこの点をもっと早くから追求せず、「おねだり体質」や「パワハラ」など全7項目の筆頭ではなく4番目と7番目の問題ばかりクローズアップしてきたのでしょうか?

 それとも現場の記者たちは追求してきたのに、視聴者向けの報道は控えめにしていたのでしょうか?

 いずれにせよこの点にも、「マスコミvsネット」や「オールドメディアvsニューメディア」の対立構図に茶番性を感じてきた私は、マスコミの石破茂首相に対するのとまったく異なる斎藤知事への「手加減」を感じますが、いかがでしょうか?


 改めて指摘しますが、斎藤知事・斎藤県政の問題は(他の問題も同様ですが)、「マスコミvsネット」の対立構造に囚われると根本的な判断ミスをすることになります。

 そもそもを言えば、このような二項対立の論理や思考は問題の本質から目を逸すための「罠」である場合が多く、同様の問題提起をされた場合はそれがまず「罠」である可能性を考えてみることが、情報操作(諜報)されないため、すなわち諜報を防ぐ「防諜」のために大切なのです。

 内部告発文書の筆頭に挙げられた「五百旗頭先生ご逝去に至る経緯」が斎藤知事にとって最も触れられたくない点であることは、12月18日の記者会見での同知事の「半泣き」の表情から分かると、フリージャーナリストの菅野完氏も次の動画の中で指摘しています(3:50~8:10)。


 つまり「五百旗頭先生ご逝去に至る経緯」に注目することこそ、斎藤県政騒動の本質的側面に肉薄することを可能にするのではないでしょうか?

 マスコミが「斎藤潰しに本気」なら、この問題を大きな時間を割いて報道するでしょうし、そういうことが今後もなければ、「斎藤潰しの本気度」には疑問が残り続けます。

 そして「マスコミvsネット」「オールドメディアvsニューメディア」という対立構図がやはり茶番であり、大衆をミスリードすべく喧伝されているのだと考えた方がよいでしょう。


3.「五百旗頭先生ご逝去に至る経緯」に関する考察


 上掲の動画に引用された12月18日の記者会見で斎藤知事は阪神淡路大震災や防災に関する本質的で具体的な事柄には興味がなく、イベント的なものに関心が強いと記者から指摘されていることを承けて、菅野氏も来年1月17日に阪神淡路大震災30周年を迎える兵庫県へ行幸啓される天皇皇后両陛下に斎藤知事がご説明役を務める予定について、大震災の歴史や教訓に関心がないと専門家らから指摘を受けている人物が両陛下に何を説明できるのか?と強い疑問を投げかけています。

 またネット上には、複数の死者まで出るような数々の疑惑に塗れ、刑事告発も警察と検察に受理されている人物に許されることではないという論調のコメントも目にしました。


 政治分野の「常識」からすれば、天皇皇后両陛下をご案内する斎藤知事の様子が報じられることが同知事にとって大きなイメージアップにつながり、同知事の支援勢力(日本維新の会と自民党旧安倍派:仮称「維安勢力」)にも同じようなプラス効果がもたらされることは容易に想像されます。

 また同じくこの観点に立てば、阪神淡路大震災30周年のちょうど一ヶ月前の12月17日、斎藤知事に対する刑事告発が受理されて同知事追求が再加速し出した16日の翌日に両陛下が能登半島の御視察に急遽向かわれ、(自民党旧安倍派と関係が深く、日本維新の会の顧問でもある)馳浩石川県知事が両陛下に現地状況をご説明したという報道が行なわれたことの真意が透けて見えてきませんか?

 実際ネット上では、師走の後半に普通でも公私ともに忙しい、特に大地震からの復興が遅々として進まない中で大変な状況にある能登半島を、最高レベルの警備が必要な両陛下が異例の「事前報道もない三度目の御視察」をされたことについて、さすがに「唐突感」や「違和感」を訴える声が少なくないようです。


 以上から、五百旗頭理事長や突如解任通告を受けた副理事長ら幹部職員と、他方の斎藤知事及び側近らとの間に阪神淡路大震災30周年関連行事を巡っても考え方に根本的な相違や対立があった可能性が想像されます。

 そのような対立が解消されないままに大震災30周年までの時間的余裕が一年を切った段階で、膠着した状況を打開すべく、斎藤知事と側近らは五百旗頭理事長の「両腕を奪う」ことにしたのではないでしょうか?

 そしてこの「独裁国家の粛清」同然の人事が五百旗頭理事長の憤死につながったと元西播磨県民局長は直観し、同理事長の憤死がその直後に内部告発文書を作成、兵庫県警などに送付しようと決心させたのではないでしょうか?

 この内部告発文書で、斎藤県政の「一連の不正行為と調整で精神が持たず、うつ病を発症した」とある元総務課長も4月20日に自殺、さらに元西播磨県民局長自身も意気込んでいた百条委員会の直前の7月7日になぜか急遽自死に追い込まれました(しかも自宅や職場、それらの近隣ではなく、姫路市の親戚宅で)。


 上記の考察を次のように整理してみました:
・阪神淡路大震災30周年行事に関して五百旗頭理事長らと斎藤知事らとが対立

・斎藤知事らによる五百旗頭理事長側近の突然の解任と同理事長の憤死

・元西播磨県民局長が義憤に駆られて内部告発文書を作成、兵庫県警ほかに送付

・元西播磨県民局長による内部告発が「民間人」の通報で斎藤知事らに発覚

・元西播磨県民局長が文書で「うつ病を発症」と言及していた元総務課長が自殺

・斎藤知事らは元西播磨県民局長を懲戒処分

・百条委員会での証言に意気込んでいた元西播磨県民局長が親戚宅で突然自殺

 この流れで注目すべき、そして解明が必要な点は、今思いつく範囲では次の3点だと思います:
①元西播磨県民局長の内部告発文書の作成・送付を斎藤知事らに通報した「民間人」は、同知事らや同局長とそもそも何らかのつながりがあるのか、ないのか?

②その「民間人」はどうしてこの文書の存在を知り、入手や閲覧ができたのか

③百条委員会での証言に意気込んでいた元西播磨県民局長が、自宅や職場やそれらの近隣ではなく、なぜ姫路市の親戚宅まで行って突然自殺したのか?

 お亡くなりになった方々も、これらの真相に気づいてほしいと願っておられるのではないでしょうか?


 上記の過程で県の行政上重要な職にあった人物が3名も「憤死」していることになりますが、一般的に自殺の動機は千差万別でしょうが、自殺は「憤死」の一つという見方もできるでしょう。

「憤死」は多くの「怨霊」を生み、さまざまな形の「祟り」につながることが古来意識され、日本の信仰思想においても重要な一部を占めています。

 中でも最も有名で最も広く信仰されているのは、政敵の讒言により失脚し、遠隔地に左遷され、実質的な仕事は与えられず、貧窮のうちに亡くなった「天神様」=菅原道真公の「怨霊」です。

 死後すぐにではないですが、道真公の「怨霊」が落雷や火災で「怨敵」に祟りをなしたことが昔から語り継がれてきました。

 そして「祟り」を予防するためにも、雷神でもある道真公の御霊を祀り、鎮めることが重視されてきました。


 斎藤知事は自殺した元西播磨県民局長の御霊前とご遺族への弔問や謝罪もいまだしていないようですが(五百旗頭理事長や元総務課長については不明)、結果的に自らの言行によって不都合な情報が次々と露見させ続けていること、当初年明けの予定だった百条委員会の証人尋問が12月25日(「納め天神」:菅原道真公の年内最後の縁日)に設定されたこと、前回の記事で紹介したタロット占い師の斎藤知事の今後に関するYouTube動画で、同知事の今後を総括するキーカードとして逆位置の「塔」(落雷と火災で崩壊する塔/天神様の祟りも落雷と火災の形で現れた)が出たこと、等々に不気味なシンクロニシティを感じています。


4.阪神淡路大震災30周年と天皇皇后両陛下の行幸啓


 一連の斎藤県政騒動の発端が阪神淡路大震災30周年行事のあり方を巡る県内の対立に起因する「維安系」の斎藤知事らによる粛清人事だとする私見は、同知事に対する刑事告発が当局に受理された12月16日の翌日の17日、阪神淡路大震災30周年のちょうど一ヶ月前に天皇皇后両陛下が急に能登半島を三度目の御訪問になり、石川県の「維安系」馳浩知事の説明をお聞きになったという報道からも補強されるのではないでしょうか?


 ということは、次のように比較整理できるでしょう:
・大地震後の能登の復興を中々進めることができない(またはその気概が感じられない)維安系石川県知事は、天皇皇后両陛下の御視察案内の度にイメージアップ

・阪神淡路大震災と復興の歴史や防災の内実より関連イベント重視の維安系兵庫県知事は、天皇皇后両陛下の行幸啓の際の案内役となってイメージアップ

 しかしこれらは、天皇の政治利用ではないですか!?


 能登大地震について付け加えると、両陛下が発生後一年以内に三度も御視察を重ねられた異様な前例ができた以上、復興が長引けば長引くほど両陛下が再び御視察になるのではという本末転倒の期待感まで醸成し、ひいては、復興を進めなければ今後も御視察の度に復興を進めない馳知事の刹那的なイメージアップと天皇の政治利用が繰り返されていく恐れもあります。

 それはまた、何度御視察を重ねられても復興が進まないことで天皇皇后両陛下の権威の凋落につながり、大地震の犠牲者や今も苦しい状況が続く被災者らに対する甚だしい冒涜でしょう!


 これと似たようなことは、阪神淡路大震災と復興の歴史や防災の内実より30周年イベント重視で、両陛下の案内役としてイメージアップが期待される斎藤知事にも当てはまるのではないでしょうか?

 前述のように、年末の多忙な時期に、しかも復興が進まずに苦しい状況が続いている能登地方に、両陛下が事前報道もなく突然に異例の三度目の御訪問をされたことに「違和感」を訴える声は、本音を言い易いネットではすでに現れています。

 数々の疑惑が噴出し、虚構がどんどん暴かれていっている斎藤知事からの説明に時に笑顔で、時に真剣な眼差しでお聴きになる両陛下の御姿を、国民はどのように受け止めるでしょうか?

 さらに「女性天皇擁立」を画策する勢力が、日本赤十字社の嘱託職員となられた敬宮愛子内親王殿下も両陛下に御一緒させることもありえますが、その場合、刑事告発も受理されて支持・擁護派も急減した斎藤知事のマイナスイメージが愛子内親王殿下に被ることになり、逆効果ではないかとも思います。


 一部「保守派」が「父系」を強調して国民に容認させようとする「愛子天皇論」は、結果的に男系皇統断絶につなげる罠だと見ている私は断じて反対ですが、同時に愛子内親王殿下にはやがて民間人とご結婚になって皇籍を離れ、政治利用されることのない幸せで豊かな人生を送っていただければと常々願ってもいます。

 それが男系皇統護持のためにもなるからです。


 12月1日は愛子内親王殿下の御誕生日でしたので、「愛子天皇擁立」などに政治利用されないよう御多幸を祈りつつ、皇統護持の御神徳でも知られる市杵島姫命を祀る香椎宮の弁財天社(福岡市東区香椎)に参拝すべくJR香椎神宮駅から向かって行く途中、弁財天社の上辺りに鳳凰が描かれたような雲が見えました。

 香椎宮の末社の中には鶏の形をした霊石(私は珪化木と推察)を祀る鶏石神社もあることからとても印象的で、瑞雲だと直感しました。

 そして皇位が今上陛下から皇嗣殿下、悠仁親王殿下へと継承されること、この日御誕生日を迎えられた愛子内親王殿下の御多幸への御神助を御神前で祈念した次第です。

香椎宮の弁財天社(市杵島姫命)の上に見えた鳳凰を描いたような瑞雲(2024年12月1日13時33分)


 ちなみに兵庫県警と神戸地検に発送された「維安系」斎藤知事に対する刑事告発の日付も12月1日でしたので、そのことともこの瑞雲は関係しているのではないかと思っているところです。

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