天皇皇后両陛下兵庫県行幸啓問題
1.天皇皇后両陛下兵庫県行幸啓を控えての懸念の声
今年1月17日に阪神淡路大震災30年を迎える兵庫県への天皇皇后両陛下行幸啓が予定されていますが、昨年来数々の疑惑が噴出し、警察と検察に刑事告発が受理もされている斎藤元彦知事が両陛下の御案内役を務めることには、兵庫県だけでなく全国から懸念の声が上がってきています。
斎藤県政の問題が全国的に表面化したのは、元西播磨県民局長による昨年3月の告発ですが、その直接的な動機となったと推測できるのが、同じ昨年3月に起きたひょうご震災記念21世紀研究機構の五百旗頭真前理事長の側近職員解任通告とそれに続く同理事長の急逝です。
ウィキペディア「兵庫県庁内部告発文書問題」に引用された告発内容全7項目が告発文書のオリジナルどおりの順番で並び、その順番が告発者にとっての優先順位どおりならば、筆頭の「五百旗頭真先生ご逝去に至る経緯」が斎藤県政を巡る数々の疑惑の中で最も注目されるべきはずですが、斎藤知事を批判する言論人らもこの問題を取り上げることが何故か稀である点は前も指摘したとおりです。
その理由は十人十色でしょうが、五百旗頭前理事長急逝の件があまり話題にされなかったことが、兵庫県民が斎藤氏が知事のままで阪神淡路大震災30年を迎えることになりつつある現状に導いた潜在的な一因ともなったのではないでしょうか?
管見では、この件に触れた動画は以前の記事に転載したものしかありません。
この動画では、斎藤知事は震災の歴史や防災について実質的なことに無関心で、イベント的なものを重視している姿勢が専門家らから問題視されている点が同知事の記者会見で記者側から指摘されていますが、それは元西播磨県民局長の告発文書の内容とも一致します。
一般にイベントとは広告活動の一環として行なわれることが多く、選挙とは直接関係ない広告物に自分の写真が載ることや、公務イベントでのコスプレ姿を公私の別のないSNSで情報発信することに余念がないためナルシストと定評の斎藤知事にとり、阪神淡路大震災30年もそれらの公私イベントと変わらないのではないか?と危惧する声が兵庫県内外から上がっています。
しかも尚、阪神淡路大震災30年の兵庫県に天皇皇后両陛下が行幸啓のご予定であることから、これらの危惧や懸念の声の一つひとつに相当深刻な響きが感じられます。
それは何よりもまず天皇皇后両陛下が疑惑だらけの斎藤知事の案内に時に笑顔、時に真剣な眼差しで同知事の話に耳を傾けられるお姿が報道されたり、SNSで拡散されることで、両陛下に対するイメージが悪化することへの心配です。
さらには、斎藤氏が両陛下をご案内する自身の姿を自らの個人アカウントで紹介し、両陛下と写った写真が他の公務イベントだけでなく、自分が食べた料理などの写真と同列に並んでしまうことへの危惧も出ています。
これと同じことは、多くの犠牲者と被災者、損害を出した大震災の関連諸行事にも言えることであり、犠牲者やその遺族らへの冒涜だとの指摘が相次いでいます。
2.危惧される天皇皇后両陛下のイメージダウン
そこで、上記のような事態が現実となる前に、斎藤知事に対する刑事告発を受理した警察と検察は逮捕など何らかの動きをすべきだとの主張も増えており、同知事とその関係者らが公職選挙法違反を自ら認めるような自爆的言動を繰り返しているにもかかわらず、警察と検察はなぜ動かないのかという当局への不信感もいよいよ高まってきています。
仮に現状のまま天皇皇后両陛下を斎藤知事が予定どおりご案内することになり、両陛下もいつものように笑顔や真剣なご表情で同知事の案内に応じていかれることになった場合、両陛下のイメージダウンにつながることは避けられませんが、知事への評価が上がることは最早ないでしょう。
両陛下をご案内する知事の写真や動画が「反斎藤派」の記事や動画の新たなネタとして賑わせ、「親斎藤派」が従来どおりの話法で称賛しようとしても、空虚感が一層鮮明となるだけで、斎藤氏側の公職選挙法違反その他数々の疑惑が解消されるわけではありません。
ということは、両陛下を斎藤知事がご案内することで起こりうる変化とは、ただ単に両陛下のイメージダウンでしかないのです。
両陛下が斎藤知事の下の兵庫県をご訪問になることで予想されるイメージダウンは意外に深刻な「後遺症」をもたらすでしょう。
何故なら、両陛下が昨年元日の大震災で甚大な被害を出した能登地方を既に三度も御視察になりながら、復興は遅々として進んでおらず、当初は両陛下のご訪問で復興に弾みがつくのではないかとの期待感が現地住民や国民全体の中にありましたが、回を重ねるごとにその期待は薄れ、振り返ってみれば、両陛下の御視察は悲惨な状況にある現地の住民と行政に余計な負担を強いただけに終わったからです。
それどころか、昨年秋口に愛子内親王殿下の能登地方御視察の予定が発表された途端に被災地に甚大な豪雨災害が重なった凶事は記憶に新しいところです。
このような流れの中、疑惑だらけで、自ら明瞭な説明をするのを避け、あるいは過去の発言と矛盾する支離滅裂な答弁を繰り返すために「嘘彦」のあだ名が付いた知事の説明を快くお聴きになる両陛下への国民の眼差しがどうなるか、想像に難くないでしょう。
また斎藤氏は自身が「生まれ変わる」などと言っていたにもかかわらず、今年の正月明け早々の消防出初式を伝えるSNS投稿(しかも個人アカウント)で、肝心の消防隊員らの姿ではなく、制服と制帽を着用した自身の写真を中心に載せており、それに対して「生まれ変わっていない」「前と変わらない」「ナルシスト」などのコメントが続き、ナルシストをもじったあだ名「ナル彦」も目にしました。
もし今上陛下の諱と知事のあだ名が「ペアルック」となると、知事だけでなく、今上陛下も巻き込んだ口さがないコメントが一層増えるのではないでしょうか?
しかも今上陛下の曽祖父、大正天皇の御生母、柳原愛子(明治天皇の側室)の御名前「愛子」も「あいこ」ではなく「なるこ」と読むことを思い起こせば、知事のあだ名との「ペアルック」を念頭に置いた「口撃」が愛子内親王殿下にも及ぶ恐れもあります。
それでは、天皇皇后両陛下が兵庫県への行幸啓を中止なされば済むかと言えば、そうはいかないでしょう。
阪神淡路大震災追悼行事で灯される灯籠文字が「よりそう」に決まったとの報道が1月11日になされたからです。
「よりそう」という言葉は「国民に寄り添う」という表現で、皇族方、特に天皇皇后両陛下の御姿勢について用いられることが最も多く、両陛下の国民への御姿勢の基本を表す言葉であるとのイメージが、既に国民の間に浸透して久しいからです。
「よりそう」の言霊がとりわけ頻繁に響くのは、災害の被災者らの心を支える意味合いで用いられる時です。
したがって、「よりそう」という灯籠文字が灯る阪神淡路大震災30年追悼行事には天皇皇后両陛下のお出ましが一層期待されており、仮に疑惑だらけの斎藤知事との接触を避けることが真の理由だとしても、兵庫県への行幸啓を取りやめられることは、国民からの信頼と期待を裏切る格好になります。
もし行幸啓が取りやめとなり、その理由について諸説まかり通ろうとも、両陛下が阪神淡路大震災の追悼行事に来られなかったとなれば、国民の深い潜在意識レベルで両陛下への敬意と信頼が音もなく崩壊していくことでしょう。
また天皇陛下御一家に対して常々批判的な言論人らは、皇太子御夫妻(当時)が阪神淡路大震災発生の直後に予定どおり中東へ旅立たれたエピソードを、それ見たことか!と蒸し返し、常日頃の主張を一層強く「正当化」することになるのは日を見るより明らかです。
そうなると、天皇皇后両陛下のイメージは壊滅的なダメージを受けますし、また「父系長子による皇位継承」という新しい概念を根拠としたがる「愛子天皇論」の復活も潰え去るでしょう。
ウガヤフキアヘズノミコトの長子ではなく末男の神武天皇を初代とする男系皇統断絶に向けた「愛子天皇擁立」に私も断固反対ですが、愛子内親王殿下には民間に降嫁され、政治利用されることない穏やかな人生をお送りになるよう切に願ってもおり、当然国民の間に否定的な印象が広がったりする事態は望んでいません。
3.問題解決の最良の選択肢が斎藤知事の「勇退」である占術的根拠
以上を鑑みれば、天皇皇后両陛下の阪神淡路大震災追悼行事への行幸啓の中止はあり得ず、この八方塞がりの事態の唯一の解決策は、斎藤知事が大人しく身を退くこと以外にあり得ません。
しかし、自身に関する数々の疑惑について問われても他人任せの回答か、定型文の繰り返ししかできない斎藤知事の定例記者会見や百条委員会での答弁をみると、最早自分の判断で意志決定したり、まして出処進退を決断することができる状態にないことは明らかです。
現状のように公職選挙法違反を始め数々の疑惑があからさまになっているのに、未だに警察も検察も動かず、同知事がロボットのような回答で逃げ続けていられるのも、自民党旧安倍派と日本維新の会や、それらを背後からコントロールしている勢力の後ろ盾があるからだということは、容易に想像されます。
それは、安倍晋三元首相に関してだけは、どんな法案を成立させ、どんな政策を実行したか?の確定事項ではなく、将来何をやろうとしていたか?という真偽検証不可能な事項で評価、称賛しようとする言論人らが、最も積極的に斎藤知事擁護の論陣を張っていることからも窺えます。
ということは、斎藤知事が身を退くのは、彼を背後の背後からコントロールしている勢力が引導を渡して「勇退」させるか、警察や検察が天皇陛下御一家の名誉を守り、阪神淡路大震災の犠牲者や被災者への冒涜を決して許すまじという不退転の覚悟で、同知事に対する動きに出るほかないのではないかとすら思います。
この選択において「穏便」なのはもちろん前者です。
そして前者の「穏便策」は、斎藤知事を背後の背後からコントロールする勢力の自主的判断に依るものになります。
尤も、そのような勢力が拙稿を目にすることもないでしょうが、ダメ元でネット上に彼らの判断材料となるような「言霊」を放っておくことにしましょう。
的中率の観点から注目しているタロット占い師の一人が、斎藤知事に関する一連の騒動の今後と総括を占って出てきたカードが、今後=「月」(先行き不透明)、総括=逆位置の「塔」(じわじわと崩壊)だったことに以前も触れました。
管見では、斎藤知事騒動を扱ったタロット占い動画で最もしっくりきたのがこの占い師の手からハラリと落ちた逆位置の「塔」(動画で使用されたのはライダー版ではない別のタロットデッキ)。
人生論的観点ではなく、具体的な物事の吉凶を判断する上で「塔」はそれまでに営々と積み上げてきた物事が落雷に示される突発的な出来事で頓挫、崩壊する様相を示し、警戒心や恐怖心を覚える人もいるようです。
他方、逆位置の「塔」は急激ではなく、じわじわと崩壊するとの解釈が一般的ですが、どちらも「凶」と判断されています。
この占い結果を目にした時、斎藤知事はすぐにではなく、多少時間がかかっても早晩失職するように思われました。
そして今回、本稿執筆中に改めてこのカードをまじまじと見ていましたところ、「塔」は見方によっては正位置より逆位置の方が恐ろしいと感じました。
斎藤氏を背後とその背後からコントロールする勢力がこれまで営々と築いてきたものを「塔」の本体、彼らの傀儡である斎藤氏を「王冠」に見立てると、正位置の場合は落雷の直撃を受けた「王冠」だけが「塔」の本体から外れて落下し、そこにいた人物らも落下し、「王冠」に近い部分が火災に遭っています。
すなわち斎藤氏自身が「落雷」の不意打ちで「塔」本体から外れかかっており、斎藤氏と同氏に近い人物らが転落している様相と捉えられます。
他方、逆位置の「塔」はじわじわと来る緩慢な崩壊を意味し、一見「穏やか」なようですが、「塔」全体が逆さの状態になっています。
しかも、「損切り」してもよいような「王冠」は近くに残ったまま下敷きにでもなるのでしょうか?
さらに、火災は逆さになった「塔」の下から燃え続けることで「塔」全体を焼き尽くすことになり、上部の焼損で済みそうな正位置の「塔」より損害は大きくなるというか、文字どおり壊滅的になります。
じわじわと進行する崩壊は、そのプロセスが微細であればあるほど危険性を認識できず、危険性に気づいた時はすでに手遅れだった、という恐ろしさもあります。
これを、斎藤氏と同氏を背後、そのまた背後からコントロールする勢力に喩えるならば、「損切り」しようとした斎藤氏と結局は完全に離れることができず、同氏を下敷きにしたまま、同氏をコントロールしようとしてきた勢力全体がじわじわと崩壊していくことを暗示しているように見えます。
そして、逆位置になることで両手を上げたように見える二人の人物は、斎藤氏を背後からコントロールする勢力と、さらにその背後からコントロールする勢力が、「降参しました」と敗北を認めた姿を象徴しているようですが、いかがでしょうか?
もちろん一般論を言えば、仮に「悪いカード」が出ても、それを真摯に受け止めて判断や行動を変えれば、運命を変えることもできます。
現在は最早、斎藤氏が記者会見などさまざまな質問に対して定型文で応じ続けることが却って記者団や視聴者らの疑念を強めることにしかなっておらず、逆に自ら考えついた言葉を発すると「墓穴」を新たに掘ったり、拡げたりを繰り返し、それが同氏の背後勢力の立場をじわじわ悪化させ続けるばかりの負の法則のようなものがすでに始動していることに、同勢力もいい加減気づく必要があるでしょう。
来る1月17日を兵庫県が斎藤知事とともに迎えるのか否かで、同氏の背後勢力の明暗も分かれるような気がしますし、ひょっとしたらこれが最後の選択のチャンスかもしれません。
残すところあと数日、彼らは斎藤氏に自ら辞任せよと引導を渡すのでしょうか?
それとも、彼らにも斎藤氏が制御不能となっている場合は然るべき機関を通じて退陣させるのでしょうか?
あるいはまた、警察や検察の有志が天皇皇后両陛下の名誉を守るべく、そして大震災の犠牲者と被災者への冒涜を許すまじと義挙に及ぶのでしょうか?
そしてこの運命の日に、天皇皇后両陛下を誰が兵庫県を代表してお出向かえすることになるのでしょうか?
この数日間がどのような展開になるにせよ、斎藤知事の今後と総括の占い結果が的中している直感がありますので、後は30年前に亡くなった方々の御霊が今まで以上に安らかとなることを祈り続けるのみです。