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脱カルトのための衆議院選挙



1.政界のカルトシステム

「カルト教団」の本質が教祖やカリスマ指導者への「個人カルト(崇拝の意)」にある本質が隠され、むしろ「怪異で異様なもの」と日本で誤解された「オカルト」な教団というイメージが強調されるようになったカラクリは、伝統的な神社や仏寺を衰退させ、結界と伝統信仰を破壊する危険性を孕んでおり、このカラクリを把握しておくことは日本がカルト問題を克服する上で非常に重要なポイントですので、前回整理した部分を以下に再度挙げておきます:

「カルト」の本義=「崇拝」/「オカルト」の本義=「神秘で超自然的なこと」
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「オカルト」の誤解=「怪異・異様なもの」/「カルト」と「オカルト」の混同
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「カルト教団」の一般的印象=「怪異で異様な集団」(「オカルト」の誤解)
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「本来のオカルト」の社寺も「誤解のオカルト」な「カルト教団」も「宗教法人」
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「カルト教団」の事件発生→宗教法人規制論→「本来のオカルト」の社寺の困窮化

 さらに「カルト」問題は宗教の分野に限らず、政治や芸能、スポーツなどの分野にも及んでおり、そこには「スターシステム」というものが存在していると指摘してきました。

 ここにおいても「カルト」の語源が「崇拝」を意味するラテン語である点に立ち帰ることが肝要で、政治であれ芸能・スポーツであれ、特定の人物をマスコミなどが「スター」として持ち上げ続けることで、大衆による「カルト(崇拝)」の対象にし、その「スター」の言行を無批判に支持する思考停止の状態に大衆を誘導し、何らかの政治的、商業的目的を実現しようとするシステムです。

 他の分野でも特定人物を「カルト(崇拝)」するケースはあるでしょうが、ここで政治と芸能・スポーツを挙げたのは、これらの分野がマスコミやネット上で最も広告宣伝が活発であり、最も大衆を感情的に動かし易いためであり、ということは最も政治的、商業的な目的や利益を上げ易い分野だからです。

 しかも政治の重要な側面の一つが諸勢力間の経済的利害調整である点を踏まえると、これらの分野の相互関係が密接であることにも一層納得がいきます。

 すると、昔は芸能人や元スポーツ選手が政界に転身するようになり、次に政治家が芸能人化し始め、マスコミやネットで好意的に報じられる政治家を、「不合理な既存体制」を改革し、「既得権益」や「岩盤規制」を破壊することをテーマとした映画やドラマの主人公のように演出し、その政治家の名前を付けた「◯◯劇場」がいくつも作られ、そして主人公には敵だけでなく味方もいるように、「◯◯劇場」の主人公を信じ、その主張に靡き、教えを乞う「◯◯チルドレン」などの著名人や容姿の良い崇拝者らからなる「ミニカルトグループ」が生まれ、主人公とその味方を大衆が応援するように各種メディアが演出してきた一連の現象も、偶然ではないことに気付かされます。

 以前、政治とは「権力者側や権力奪取を目指す側が自分の望むように大衆を動かすこと」だと指摘し、それは「商人が自分の望むように大衆に商品を買わせること」と本質的に似ており、「治」にも「商」にも「口」があることが示すように、両者は「口」が最重要な役割を演じる点で共通し、「口」から発せられる「言葉」は本質的に広告宣伝=プロパガンダである、とも指摘しました。

 そもそも広告宣伝=プロパガンダの発信者はその内容が受信者にとって「お得で、利益になる」と強調するのが常であり、それは基本的に誰もがやっていることです。

 したがって広告宣伝=プロパガンダで用いる表現がよほどうまくないと、効果は限定的か無いに等しくなります。

 よって多くの分野のビジネスにおいては、まず自分の認知度を高めることが必須なので、例えばSNSなどに毎日投稿することが大切だとよく指摘されます。

 資金力がある企業や政治家(正確には彼らの背後にいる勢力)も「質より量」の方が確実なので、大規模な広告宣伝=プロパガンダを展開します。

 それは、「寄らば大樹の陰」という群集心理が働きがちな大衆に対してはとても効果的です。

 これを非常にうまく利用したのが歴史的にはロシアで社会主義革命を成功させた共産主義者たちであり、彼らは盛んな宣伝工作を展開することで自分らがあたかも「多数派」であるかのように演出し、実際「ボリシェビキ(多数派の意)」を自称しました。

 しかし当時のロシア国内で彼らは実際に「多数派」だったのではなく、その思想が大衆に理解されたのでも支持されたわけでもなく、「ボリシェビキ」を自称することで大衆にとっての「寄らば大樹」を演じたのです。

 ロシア革命の後もある農民は「レーニンが新しい皇帝」だと思い込んでいたという話を、ロシア革命を調べたことのある人は何かで読んだことがあるでしょうが、この話の真偽を調べたことはありませんが、社会主義の思想や革命の理念を大衆は理解していなかったことを示唆する話です。

 ただし、文字が読めなかったかも知れないこの農民が、レーニンと革命の本質を本能的に直感していたのは、個人的には興味深いポイントです。


2.非力なヒトの群集心理

 大衆の中に「寄らば大樹の陰」の群集心理が働くのはなぜでしょうか?

 それについては諸説あるでしょうが、基本的に人間一人ひとりは「非力」だからだと私は思います。

「人」は「二人の人間が支えあっている姿」を表す文字とよく云われますが、自然界を俯瞰すると、ヒト以外の生物は天然の姿のままで一生を送ることができます。

 それに対してヒトは生後間もなく衣服に包まれ、入浴時などを除いて全裸でいる時間は少なく、家屋も必要ですが、野生生物は一生を屋外で送ります(野生生物の巣はヒトからすれば野宿に等しい)。

 顎や歯も他の動物に比べて非常に弱いヒトは食材の多くを刃物で切り刻んだり、加熱しないと食べることもできませんが、野生生物は天然の歯と顎で生食したり、丸呑みできます。

 野生動物は嗅覚が発達しており、自分の嗅覚で何が食べられるか、食べられないかを判断できますが、ヒトはその能力が劣っています。

 また野生動物は天災などをヒトよりはるかに敏感に察知し、予防行動をとることが知られています。

 そしてそもそも野生動物はヒトよりはるかに身体能力、運動能力が高いです。

 したがって野生生物はヒトより免疫力も強く、地面に落ちているものを周辺の砂や他の雑菌類も含めた諸々と一緒に食べても問題なく、病気や怪我をしてももちろん医者や病院などに頼らず、自己免疫力である程度回復させます。

 それでも食物連鎖の中で比較的弱い立場にある動物は群れて生活する傾向にあります。

 こうして見てくると、ヒトはそもそも「非力」な存在ゆえに集団で生活する方が安全、安心であり、それゆえ群集心理の影響も受け易いことに気付かされます。

 群集心理は同調圧力も生み出し、特に外敵や疫病などの脅威を感じたり、誰かに感じさせられたりした場合は、生存本能が強く刺激され、外敵や疫病に対する対策(それが有効か否かは無関係)に同調しない者は「裏切り者」や「非国民」と非難され、「村八分」にされる事態は、前世紀の戦時中だけでなく、現代でも起き得ることを私たちは近年の流行病騒動で実際に体験したばかりです。


3.究極の群集心理としての独裁制を生むスターシステム

「非力」な人間が群集心理に影響され、時に同調圧力が強まるのは天与の宿命かも知れませんが、それが特定の人間に利用され、その程度がある臨界点を超えると、逆に集団の生存が危うくなります。

 その危うくなる究極のケースが独裁制であり、独裁者の生存ために集団が犠牲にされることが増えてくるからです。

 独裁者が独裁者たり得るには「個人カルト(崇拝)」が必須です。

 ただ仮に独裁者が実際に優秀な能力の持ち主だったとしても、「非力」なヒトであることに変わりなく、何でもかんでも独りで正確な決断を下すことができるわけでも、そのための正確な情報を入手できるわけでも、また決断を他者に実行させることができるわけでもありません。

 独裁者には側近や支持、従属する者が必要ですが、それは表面的な存在であり、「独裁者」という大衆にとっての「個人カルト(崇拝)」の対象となる「スター」を誕生させる勢力が、大衆を自分の望むように動かすことになるのが現実です。

 つまり「大衆を自分の望むように動かす」ためという点では、「独裁者」や特定の「有力政治家」も、企業広告に出てくる「人気俳優」や「有名スポーツ選手」と変わりない「スターシステム」で世に出された「スター」なのです。

 企業広告に出てくる「人気俳優」や「有名スポーツ選手」のバックにその企業がいることは普段は隠されていませんが、それはたいてい、その企業の商品を買うか買わないかは最終的には消費者の任意だからでもあるでしょう。

 しかし、国民に対する強制力を伴うこともある法案を採決できる「有力政治家」や「独裁者」のバックにいる勢力はなるべく姿を隠そうとします。

 ただし、商業広告であれ政治宣伝=プロパガンダであれ、前述のように「口」が重要な役割を演じるので、両者に共通して重要な役割を担うのは広告企業やマスコミであり、また現代ではこれにネット上の記事や動画の配信者たちも加わります。


4.プロパガンダの源は外部勢力の諜報

 このように、大衆や消費者を特定の感情や思考、行動に誘導するのは「大衆心理操作」と呼ぶこともできますし、それは「諜報」の一部でもあります。

「諜報」は一般的に敵の秘密情報を入手することの意味とされますが、諜報活動は敵から情報を入手するだけでなく、逆に敵に情報を与えて敵側の分断・対立・離間を目的とした対敵宣伝活動も含まれ、それも、前述の商業広告や政治宣伝と基本的に同じカラクリで行なわれます。

「諜報」や「対敵宣伝」などと表現すると何か特別なもののように思われるかも知れませんが、実際は私たちも日常的に耳目にし、使ってもいます。

 国民間の分断と対立を煽るためと言えば、現在の日本の社会経済的な閉塞状況を背景に、高齢層と若年層との間に対立感情を生み、煽動するような議論が最近よく行なわれますが、そういう論調の「正論」や主張者には最も警戒すべきです。

 また、都市と地方の間や地方間の格差を利用する場合もありますし、政治勢力を社会主義と資本主義や左翼と右翼(または保守)の二つに分けて対立させるのは、もはや伝統的と呼ぶこともできます。

 いずれ詳述しますが、社会主義と資本主義、左翼と右翼(または保守)の対立も一言で片付けると、「茶番」です。

 ただし「茶番」とは言っても、その「茶番」の対立構造の中に感情、思考、行動が取り込まれてしまった場合、つまり洗脳された結果、本来不要な政治闘争に巻き込まれ、社会的不遇や生活の困窮に陥り、最悪は命を失うこともあるので、やはり要注意なのです。

 現代の日本では左右両派の対立で命を失うということはまずなくなりましたが、海外では左右の政治信条だけでなく、さまざまな宗派や人種・民族の間の対立感情が煽られて、内戦状態に持ち込まれている悲惨な事例も少なくありません。

 内戦とは、一国の国民を分断・対立・離間させる対敵宣伝という諜報の視点から言えば最も「成功した状態」であり、逆に内戦に陥った国の国民にとっては最悪の事態です。

 つまり、どの国であれ、内戦で最も得をしているのは国民でもなく、内戦で直接戦っている国内勢力でもなく、国外にいる勢力であることは明らかでしょう。


 でも内戦状態に至らなくとも、国論を二分するような対立が生じている場合も、それで最も得をするのはしばしば国内の者ではありません。

 前兵庫県知事の斎藤元彦氏に対する県の職員や議員らからのパワハラ告発〜斎藤氏の知事再選に向けたネットやマスコミでの「名誉回復」運動までの流れで、斎藤氏が兵庫県の港湾利権を解体しようとしたことが一連の出来事の発端とする言説もありますが、仮にそれが本当ならば、斎藤氏が港湾利権を解体することで誰が得をするのか?という疑問が浮上するはずです。

 マスコミやフリージャーナリストやネットの時事解説者たちがこの点を追求しているのかどうか知りませんが、斎藤氏に関する告発〜「名誉回復」運動の流れが社会主義国の政治家の失脚〜「名誉回復」の流れにそっくりな故に怪しいので、この真相に迫るには、既出の情報をすべて批判的に見直す以上に、港湾利権の解体が誰(どの企業)にとって得になるのかという点を調べるのが近道だと思います。

 そうすると、斎藤氏のバックに誰がいて、誰が斎藤氏を「スター」として大衆に印象付けて知事に再選させ、再び港湾利権の解体を強行させようとしているのかが見えてくると思います。

 斎藤前知事失脚〜「名誉回復」運動の背景に港湾利権問題があるのかどうか私は調べていませんのが、もしその説が正しければ、例えば小泉純一郎元首相を改革の「スター」のようにメディアが持ち上げ、「小泉劇場」という言葉まで作り出し、郵政民営化を強行させたのと似たような構図が見えてきます。

 郵政民営化の結果、誰(どの企業)が得をしたのかは、株主構成などを調べれば検討がつくと思いますので、本稿では、こういう利益誘導のためにメディアは一斉に同じような論調で報道をして大衆心理操作をするものであることを、今一度思い起こしていただければと思います。


5.プロパガンダ=大本営発表=フェイクニュースの標的である国民と防諜

 すべてまたはほとんどのメディアが同一論調の報道をすることを、戦時中の類例を引いて「大本営発表」とも呼び、私たちは学校での歴史の授業も含めてしばしば「過去の過ち」「危険な兆候」の代名詞として受け止めてきたはずですが、実際は終戦直後から現在に至るまで私たちはいろんなバリエーションの「大本営発表」に左右されてきているのです。

 しかしながら「大本営発表」の仕組みは単純でもあり、すべてまたはほとんどのメディアが同一論調で報道をし、その内容に同調する者と、逆に異論や反論をする者または抵抗する者を「悪者」「裏切り者」「非国民」などと非難し、両者の分断や対立を煽るような報道をする場合は、その背後に何らかの商業的、政治的目的があり、その目的を持つ国外勢力がいる可能性を疑ってみるのは効果的手法です。

 このような企業広告の収入で運営されるメディアが一斉に行なう「大本営発表」というプロパガンダ(=広告宣伝=諜報活動の一部)は国民大衆が「標的」です。

 諜報活動の標的とされた側は、諜報活動自体やその目的達成を阻止すべく予防や対策をとりますが、それを「防諜」と呼びます。

「防諜」は秘密情報が敵に盗まれる、漏洩することを防ぐだけでなく、敵がこちらを情報操作するため、つまり「敵が自分の望むようにこちらが動くように」意図的に与えてくる情報の影響や目的達成を阻止することでもあります。

「大本営発表」という諜報活動の一部であるプロパガンダの「標的」は大衆であることから、「大本営発表」やそれに影響されたネット上の発信者たちのコメントや解説情報に接する際、私たちも「防諜」を意識することが必要なのです。

 ソ連崩壊後のロシアの愛国主義運動とそのシンボルたる政治家の台頭をモチーフにしたフレデリック・フォーサイス著『イコン』という小説だったと思いますが、20年ほど前に読んだので詳細は覚えていませんが、その登場人物の一人のロシアの防諜部門の責任者のセリフとして「防諜では敵の意図を探ることが最重要」という旨の言葉が繰り返されていたのが興味深かったです。

「大本営発表」やそれに影響されたネット情報配信者たちの情報の「標的」である私たちも、それらの情報の背後にどういう意図があるのかを常に考える姿勢が本来は必要なのです。


 昨今は「フェイクニュース」と呼ばれる情報も多いですが、ここで再び外来語をそのまま使用すると事の本質を見誤る恐れも出てきます。

「フェイクニュース」と聞くと「デタラメな偽情報」のようなイメージも湧きますが、たいていは事実と嘘をない混ぜにした情報であり、しかも事実より嘘の割合が小さければ小さいほど巧妙になります。

 嘘の割合が大きければ「フェイクニュース」だとすぐバレてしまいますが、嘘の割合が小さければ気づかれにくいからです。

「カルト教団」での教えも同様で、信者らとの会話の経験からして、彼らの主張する内容の多くは「正論」ですが、注意深く聞くと微妙な論理のすり替えがあることに気づきます。

 したがって、教団内に特有の思考、論理展開に慣れ親しんで、習得してしまうと(つまり洗脳されてしまうと)、信者らは自分たちの考え方のどこが間違っているのか分からなくなるのです(しかも学歴の高低などは関係ありません)。

 マスメディアが「規制改革」など何らかの国政テーマや個々の政治家について、一斉にあるいはほとんどが同じ論調の「大本営発表」という情報操作をする時も、その内容の多くは事実でも、微妙な論理のすり替えや表現の使い分けにより、大衆心理操作を実行しているのです。

 だから、何かの国政テーマや個々の政治家について国論が二分しても、ほとんどの人々が「大本営発表」を信じ込んでも、そこに学歴や知能・知識水準の高低はあまり関係ないのです。

 なぜなら情報操作が一番狙っているのは実は人間の頭(思考や論理)ではなく、心(感情)だからです。


「情報」という訳語の由来には諸説ありますが、「情」には「正しい」「実際の」という意味に加えて「感情」の含意もあるとした方が適切だと私は考えます。

 人間の思考や論理は中立的なものではなく、感情に大きく左右され、ある物事や人物について第一印象が良ければ自動的に好意的な論理で思考し、好意的な判断や評価に至ります。

 逆に第一印象が悪ければ、否定的な論理で思考し、判断や評価も否定的なものになりがちです。

 ならば、敵や大衆の思考とそれに続く行動を意図的に操作する目的で流す情報は何よりもまず、頭(思考)を飛び越えてダイレクトに心(情)に訴えかけ、以後は心(情)が「快」を感じる方向に思考が自動的に展開していくように誘導するものでなくては意味がありません。

 そうすると、そもそも軍事用語として日本語の語彙に登場した「情報」の「情」には「感情」の含意もあると考えた方が適切だからです。

 こうしてみてくると、私たちがマスコミやネットを通して日々接する情報が真実か否かという問題は二次的であり、それ以上に重要なのは情報発信者の意図を探る点にあることが一層明らかになってくると思います。


6.衆議院選挙と「自分を裏切る」という防諜の奇策

「防諜」と言うと、スパイ防止法が必要かのように短絡的に考えられがちですが、政府・当局が従来のような外国人優遇の方針を改めない限り、スパイ防止法は表面上の体裁とは裏腹に無意味どころか、むしろ国民への情報操作をさらに容易にし、言論統制など国民に対する規制が強まるだけであるのは容易に想像できます。

 実際のところ、スパイ防止法制定を主張する政治家や言論人の背後には国外勢力がいるケースがあります。

 前回も指摘したように、「保守」を自称しながら実際は意識的にまたは無意識的に売国に加担している人々も残念ながら存在しますし、前述したように、社会主義と資本主義の左翼・右翼の対立はそもそも国外勢力がお膳立てした「茶番」です。

 ということは、しばしば国外勢力がマスコミやネット発信者らを通じて仕掛けてくる「諜報」である情報操作に誘導されないために必要なのは、マスコミやネット発信者らが主張するような形でのスパイ防止法の制定などで国家に守ってもらうのではなく、原則的には国民一人ひとりが自立的にマスコミやネット発信者らの情報発信の意図を探ること、つまり「防諜」の実践であることは明白でしょう。

 しかし、「防諜」を実践する時間的余裕が多くの人には足りないのが現実です。

 しかも、国民に対する情報操作という諜報活動が最も盛んになるのは衆議院選挙ですが、今回は誰に、どの政党に投票するかを決めて、行動する日は明日に迫っています。


 そこでこれまでは、立候補者の演説を直接聴く、ノーカット動画を視る(解説やコメントは無視)、報道番組やネット記事・動画の場合も解説やコメントは無視、解説やコメント(二次・三次情報)が気になる場合はそれらの意図を探る、という「合理的」プロパガンダ対処法を挙げてきました。

 今回の情報操作、プロパガンダのカラクリを踏まえてもっと単純化して言えば、マスコミや多くのネット配信者らが同じような論調で個々の政治問題や政治家らを批評している場合、それはマスコミの背後に控えている勢力の政治的な意向や願望を代弁しているのであり、しばしば国民大衆の利益に反するので、報道とは真逆の謂わば「逆張り」の判断、行動をした方が良い結果につながる傾向があります。

 上記は昔から言えることですが、今回主に考察してきた「情報」の量と伝達速度が飛躍的に急増、急上昇してきたIT(Information Technology)化時代では尚更です。

 ここで現代社会を特徴づけ、今後にも大きく影響する「I T」に触れましたので、便宜的にこの二文字を借りて、仮にマスコミや多くのネット配信者らが常々「I氏」のことは否定的に報じ、「T氏」のことは好意的論調で報じる場合、マスコミなど情報発信者の背後にいて日本国民を「標的」にした大衆心理操作を進めている勢力は自分たちの政治的目的を実現する上で、「I氏」が首相では困るので、「T氏」が首相になってほしいと願っている、という状況は容易に想像できるでしょう。


「逆張り」と書いた今思い出しましたが、元プロテニス選手の松岡修造氏が何かのインタビューで、試合で最も効果的なのは、いざというタイミングで自分を裏切ることだと語っていたと記憶しています。

 あるタイミングで例えば左のコーナーに打ち込むことを予定していた場合、そのタイミングが来た時に自分の作戦を急遽裏切って別の攻撃をしたり、予定していた攻撃を中止することなどを念頭に置いての「自分を裏切る」、だったと思います。

 この話を聞いて、松岡氏がやはり一流のプロであること、長年の実体験を通した勝負の機微を熟知していることを、僭越ながら確信しました。

 スポーツの試合でも権力闘争でも戦争でも、常に相手の動きを予測しつつ進めるものですが、相手が「自分を裏切る」とこちらの予測も外れてしまいます。

 しかもそれが、いざというタイミングでなされた場合、その変化に対処するのは至難の技です。

 私も少年時代に卓球をやっていた頃、試合や練習の時に同じようなことをやってうまくいった経験があります(尤も私の場合は気まぐれで「自分を裏切って」いたのですが)。

 そういう意味でも、石破茂首相が当初の自説を「裏切って」、内閣発足から間もなく「敵」の誘いに乗って衆議院解散に踏み切ったことは大変興味深く、ロシアのプーチン政権が敢えて国際的批判を承知の上で、「敵」の挑発に乗ってウクライナに対する特別軍事作戦を発動させたことに通じるものを感じます。


7.脱カルトに向けたオカルト的投票

 今回の衆議院選挙は私たち日本国民の今後だけでなく、世界、とりわけ米大統領選挙をも左右し得る非常に意義深い選挙となると指摘してきましたが、日本国民にとってはある意味「ここ一番の大勝負」と言えますし、こんな機会はなかなかないでしょう。

 そこで、いちいちマスコミやネット配信者らの意図を探る「防諜」をやるような時間的余裕がない人たちへ参考までに、前稿では衆議院選挙公示日の「オカルト」体験に触発されて、いっそのこと開き直って一切の情報アクセスを自ら遮断して、それでも絶妙と感じる瞬間に耳目に飛び込んでくる情報を真実と受け取る北野武氏流の情報判断を応用し、同じような感じで耳目に飛び込んでくる立候補者や政党の名前で投票先を決める、というアイデアも出しました。

 もし自分の判断に今一つ自信がなければ、いざ投票用紙に記入するという直前に一旦目を瞑り、そして目を開いてマスコミやネット配信者らの大勢の論調とは真逆の選択をする、あるいは自分自身が決めかけていたのとは別の、目を開いて最初に目に入った立候補者や政党の名前を書いてみる、というのもアリかもしれません。

 ここまでくると、ほとんど幕末の「ええじゃないか」や「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々」と歌う阿波踊りのノリですが、「誰に、どこに投票しても一緒」という考えの人は、このような「オカルトな」=「神秘で超自然的な」やり方をしても「結果は一緒」かもしれませんので、心理的な抵抗もなく試してみることができるのではないでしょうか?

 これはそれこそ「阿呆」で不真面目なことのように思われるかもしれませんが、実はタロットカード全78枚のうち象意が強いとされる22枚(大アルカナ)の最初の「0番 愚者」(マルセイユ版では最後で無番)のカードも意識した提案です。

「愚者」のカードは人生や社会の何らかのテーマの一連のプロセスの始まり、またはプロセスが終わってまた新たなプロセスが始まろうとする状況を表すカード、とされているように私は理解しています。

 その視点からすると、「阿呆」になりきる阿波踊りも非常に意味深長な伝統文化のように改めて感じますが、仏教にも「無明即法性」「煩悩即菩提」という考え方があります。

 現代日本の八方塞がりのような状況は、何をどうしたら良いか分からない、考えがまとまらない、あるいは良い選択肢が見つからないので「誰に、どこに投票しても一緒」という思いが募っても仕方ありませんが、そういう時こそ自分の潜在意識や潜在能力にアクセスする好機かもしれません。


 そこで今回はもう一つアイデアが浮かび、自分でもすでにやってみたことがあります。

 それは、自分の潜在意識にアクセスして、自分にとって最適な選択をする方法の一つである、ペンデュラム(振り子)を用いた占いをしてみました。

 質問事項に「イエス」「ノー」の二択で最適解を絞り込んでいくペンデュラムに関心を持ったのは今年の夏のことで、その経緯はまた別稿で述べますが、ここでは私が自分なりに考えて自民党と同党の立候補者に投票すると決めたことについて、今年買ったペンデュラムで確認してみたところ、自民党も同党の立候補者についても「イエス」の結果が出ました。

 念の為、少し気になった別の立候補者についてペンデュラムで確認してみると、答えは「ノー」でした。

 ただ先入観や思い入れが強すぎるとペンデュラムは顕在意識に影響され、自分にとっての正解が得られないそうですので、私はよく目を瞑ったまま、質問に対してペンデュラムが動くのを待つようにしています。

 日本神話や各地の神社、仏寺での信仰においても占いは非常に重要な要素の一つであり、いずれ本格的に調べたいと思っていますが、その上でペンデュラム占いは格好の占術の一つだと考えています。

 ペンデュラムは特別に買わねばならないことはなく、例えば五円玉に紐やチェーンを通してやってみることもできますので、興味のある方は試してみてはいかがでしょうか?


 昨日から今日にかけて皇嗣殿下と皇嗣妃殿下が全国障害者スポーツ大会の開会式ご出席や試合のご観戦を主な目的として佐賀県をご訪問になっていたことを今日の午前中になって知り、皇嗣殿下・皇嗣妃殿下のご健勝と明日の衆院選の結果が国家と国民にとって良い結果となるようにとの願意でもって博多総鎮守櫛田神社に参拝しました。

 最初は上空は厚い雲に覆われていたものの、やがて晴れてきそうな感じでもありましたが、参拝後に遅い昼食をして帰路に就き、再び櫛田神社の裏手に差し掛かった時、空が晴れてきているのを目にし、もう一度境内に立ち寄りました。

今年10月26日15時半頃の博多総鎮守櫛田神社の上空


今年10月26日17時過ぎ、厚い雲が割れてきた櫛田神社の上空、境内には地元老舗菓子メーカー石村萬盛堂奉納の「神者護国土」「人者仰霊験」の幟旗、写真右上の枝葉は御神木「櫛田の銀杏(ぎなん)」。



 すると境内では自民党関係者たちが集まっており、立候補者の最後の演説の準備をしていたようでした。

 私たちの先人たちも社寺参拝の折に普段は目にしない光景などに遭遇した時に、神仏のお導きを感じたことが各地の社寺の御由緒・御縁起にしばしば記録されていますが、今日の櫛田神社参拝時に体験したシンクロニシティもまた、自分が決めた投票先に確信を強めることになりました。

 マスコミやネットにはいろんな情報や意見がありすぎて判断がつかない、という場合には、以上いくつか私が実際にやってみたような「オカルトな決断」もアリだと思います。

 それは、マスコミや特定のネット配信者らの情報ばかり受信していると、知らず知らずのうちに彼らの思考パターンまで自分の脳内にコピーしてしまい、下手をすると彼らを尊敬するレベルから崇拝(カルト)するレベルにまで行き着いてしまう恐れがあります。
「オカルトな決断」と言っても、特定の占い師や霊能者の情報発信を鵜呑みするのも危険です。

 私も数年前から何人か的中率の高いタロット占い師の動画を見たりしており、今回の衆議院選でもマスコミや他の言論人たちの主張と違って、結局は自民党が勝つような占断があり、また来月11月は国民から権力側への突き上げが今月とは比較にならないほど強烈になるとの西洋占星術の占断からして、衆院選後に政権を担うのはすごい試練であり、短命に終わる恐れもあるとされており、それらの情報は私自身の見方とも合致してはいますが、それでもやはりあくまで参考程度に念頭に置いておく姿勢に努めています。

 これは現代社会をカルト化させている大きな要因の一つですので、日本社会の脱カルトのためにも、自分で情報分析・評価をする、いざというタイミングで「自分を裏切る」選択をする、タロットやペンデュラムの占いなどで自分の潜在意識にアクセスする、絶妙なタイミングでのシンクロニシティに遭遇した時の直感で決めるなど「オカルトな方法」を採るなど、どんな方法でも良いので、とにかく「自分で決める」ことが最も大切です。

 それが自分を尊重することになりますし、仏教で言えば「天上天下唯我独尊」、福沢諭吉の言葉を借りれば「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」の精神に通じることになると思います。

 明日10月28日は六十干支の最初の甲子の日でもありますが、今年の元日も甲子でした。

 このような非常に意味深長な明日は(といっても10月27日に日付が変わる直前ですが)、現代日本社会の脱カルト化に向けた最初の具体的な一歩となるものと期待しています。
 

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