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皇嗣同妃両殿下トルコ御訪問と夫婦の虹龍



1.皇嗣同妃両殿下トルコ御訪問に垣間見た天気(神気)


 12月8日に皇嗣殿下と皇嗣妃殿下がトルコから無事ご帰国になりました。

 12月3日にご出発、4日のトルコ共和国建国の父、ケマル・アタテュルクの廟に参拝、供花された時は雨天でしたが、5日の日本トルコ国交樹立100周年記念式典で皇嗣殿下が両国関係を困難な時にお互い助け合う「雨天の友」であると、トルコの諺でもって表現されたことに相通じるものが感じられました。

 皇嗣殿下の御挨拶の内容が御訪問前に準備されたままだったのか、アタテュルク廟参拝の時の雨天も念頭に急遽「雨天の友」の表現が加えられたのか知る由もありませんが、前者の場合には皇嗣殿下が発せられる御予定の言霊と天気(神気)との感応が起きたように思われ、後者の場合は皇嗣殿下が天気(神気)を念頭に置いて臨機応変に御言葉を選ばれたようにも拝察されます。

 同式典ではトルコの舞踊と日本の和太鼓の共演がなされる様子を伝える報道で、日本の日の丸の国旗とトルコの月と星の国旗が並んで振られていたのを目にして、イザナギノミコトの禊祓の末に太陽=天照大御神と月=月読命、星=須佐之男命がご誕生になった神話を連想し、信仰思想を探求してきた者の一人として感銘を受けました。

「天気(神気)」と書いたのは、日本人は古来「神様」を「お天道様」とも呼び、「大黒天」「弁才天」「毘沙門天」など仏教も「神」を「天」と表現し、そもそも天気の状態や変化などに神慮を汲むことも日本の信仰の重要な部分であり、それは現代にも通用する真理だと各地の社寺を参詣した際に神事・法要の前後、最中など絶妙なタイミングで天気の変化や大気光学現象の発生を目撃した数々の経験を基に確信するに至ったからです。


2.西洋占術思想:西洋にも息づく循環的多神教的世界観


 日本神話での太陽、月、星の連続は、信仰思想の探求の一部や延長として始めたタロット占いでも、タロットカードの17番「星」、18番「月」、19番「太陽」と連続することと関連性がある可能性を以前から指摘していました。

(左から順に)ライダー版タロットカードの17番「星」、18番「月」、19番「太陽」


 タロット占いは西洋占術の一つであり、タロットカードの中には西洋精神文明の基盤にあるキリスト教とも関係するモチーフ(2番「女司祭」、5番「法王」など)もありますが、0番〜21番まで全22枚の大アルカナの最後のカード=21番「世界」はあくまで一つのサイクルの完成、終了を意味し、それはまた0番「愚者」が意気揚々と踏み出す第一歩に繋がることを暗示する点も含め、タロット占いは神の世界を最終到達点とする一方向的なキリスト教思想より、それ以前の循環的で多神教的な思想背景を持つのではないかと思い始めたことも、タロット占いに興味を覚えた理由の一つです。

(左から)ライダー版権タロットカードの2番「女司祭」、5番「法王」、21番「世界」、0番「愚者」


 循環的な発想に基づく西洋占術の一つに数秘術もあり、流派によって異なる部分はあるものの、基本は1、2、3、4、5、6、7、8、9の自然数に意味づけをして、任意の数列に含まれる自然数の和、例えば「12→1+2=3」という具合に一桁の自然数に還元して、その任意の数列の象意とするものです。

 今年2024年は数秘術的には「2+0+2+4=8」となるので「8」の象意、来年2025年は「2+0+2+5=9」で「9」の象意が当てられますが、「9」は最大、最終の自然数なので一つのサイクルの終わりを意味し、2026年は「2+0+2+6=10→1+0=1」となって新たなサイクルの始まりと言えます。


 このように数秘術もタロット占いも循環的な発想に基づいていますが、占星術も任意の年月日時における任意の地点から見た天体の配置を平面の円盤に変換した図(ホロスコープ)に基づいて、その年月日時に発生した人事(個人の出生や企業の設立、国家の創立など)の宿命やある時期や時点における運勢などを分析、予測するもので、ホロスコープという地球(天体観測地点)を中心とする円盤に示される天体も時々刻々と周回移動していきますので、占星術も循環的な発想に基づくものです。

 西洋はキリスト教という神、至高の「善」に一方向的に近づいていくことを是とし、逆行を非とする精神風土にあるような先入観を抱いていましたが、それぞれの数や星に(多神教の神々のように)固有の意味や力や作用を認め、タロットカードの一枚一枚は各々異なる世界観を示すように、キリスト教的世界観の下に循環的で多面的な多神教的世界観が残っていることが、西洋占術を通して見えてきました。


3.「西洋」の枠に収まらない西洋占術


 ここまで「西洋占術」と表現してきましたが、不勉強ながらインド占星術も西洋占星術と基本的な部分は同じようですし、数秘術もアラビア数字のそれぞれの形状からも象意が汲み取られてきましたので、占星術も数秘術も西洋だけのものではなく、ユーラシア大陸で古くから編み出されてきたものと想像されます。

 1〜9までの自然数の流れを一つのサイクルとする循環的発想の数秘術が成り立つにも、「3+7=10→1+0=1」とする発想の転換が必須であり、それを可能にするのは「0」と十進法であり、「0」の概念が生まれたのはインドだとされており、この点も数秘術が西洋だけのものではないことを示しています。


 さらに西暦、つまりキリスト教暦による年月日時についての分析、解釈、予測が数秘術でも占星術でも可能で、整合性が取れ、有効となるのは、そもそもイエス・キリストの生誕が占星術的観点から意図的に選定されたことを窺わせます。

 かつて「帝王」となることが期待された胎児は意図的に選定された日に外科手術で誕生させられてきたことが「帝王切開」の言葉の由来ですが、ならばキリスト教の祖であるイエス・キリストも実際に帝王切開されたのではないとしても、占星術的観点から特別に選ばれた年月日(時)に「生誕」したとする宗教思想上の設定がなされた可能性も十分にあるのではないでしょうか?

 聖書にはイエス・キリストの誕生時に「東方の三博士」が来訪して拝んだとする記述があり、その「博士」とは占星学者とされており、それはイエス・キリストの誕生が占星術的観点からも特別な意味を持つ日であったことを示唆していますが、逆にイエス・キリストを神格化する目的で聖書が編まれた可能性を考えると、その生誕日を占星術的観点からある特別な日に重ねられたことも考えられます。

 尤も、イエス・キリストが実際にその特別な年月日に生まれたこともあり得ますし、それを否定しているのではありません。

 イエス・キリストが「生誕」した年月日(時)がそもそも占星術的観点から設定されていれば、もしくは実際に占星術的観点からある特別な日に合致していたのであれば、任意の人物の生年月日についてキリスト教暦=西暦に基づく数秘術による鑑定も占星術による鑑定も相互に整合性が出てくるのでしょう。

 そしてこのような見方をすると、西洋においてキリスト教的世界観の表層の下に占星術や数秘術やタロットのような循環的で多面的な多神教的世界観が、イエス・キリストの「生誕」以来2024年が経っている現在も、しっかり息づいていることに気付かされます。

 東方正教会の一つであるロシア正教会も、キリスト教と土着の多神教との習合であると、知人の文化人類学者との会話で聞いたことがありますが、今ではイスラム教文明圏に入るトルコは古くは東ローマ帝国=ビザンチン帝国であり、東方正教会の一大中心地でした。


4.占術思想は自然崇拝の循環的多神教的世界観


 まだ世界中の多神教を詳しく比較研究したことはありませんが、管見でも世界のいろいろな所で火の神や水の神、土の神などをそれぞれの神名で信仰してきていることからも、多神教とは自然崇拝が基本であることが窺えます。

 自然界の諸々の要素とそれらの間の相互関係・作用が「神」であり、時折それらの間に生じる不調和は「神の怒り」となってさまざまな災いをもたらし、人間集団や特定の個人の命運も危うくするので、その都度特定の「神々」=自然界の要素の祭祀を行なうことで怒りを鎮め、また定期的に「神々」の祭祀や禊祓を行なうことで自然界の諸々の要素(神々)の不調和の増大を未然に予防することで、私たちの先祖らは生き延び、子孫を現代に繋いできてくれたおかげで、今私たちもこうして生きています。


 この自然界の諸々の要素(神々)の中には、地球上の神々以外に太陽や月や星も含まれるのは日本神話にも明らかですので、占星術は星という「神々」と地球上の存在や出来事との相互関係を神話や過去の膨大な統計データに基づいて分析、予測していくものと言うことができます。

 他方の数秘術は、自然界の諸々の要素は数字に還元され、数字で表現できるとの考え方に基づいていますので、数字を通しての自然崇拝と換言することもできるでしょう。

 また、人事(個人や集団に関わる事象や心象)を占う道具であるタロットカードにも番号が付いており、個人や個々の集団や人類全体を自然界の要素=「神々」の一つと捉え、各々のカードの絵柄は個々の人間同士や集団同士、人類と自然界の他の要素との間の相互作用の様相を示していると認識すると、タロットカードも自然崇拝の多神教的世界観を数字と絵柄で表現していると考えられます。


 このようなタロットが循環的な発想に基づいていることは、世界で最も普及しているライダー版の1番「魔術師」の頭上に無限大の「♾️」、衣装の帯に自らの尾を咥える蛇が描かれていることや、2番「女司祭」が手にしているものが巻物であること、8番「力」で女性の頭上に「8」とも無限大の「♾️」とも解釈できるものが描かれていること、10番「運命の輪」の車輪に「TARO」の4文字が書かれていること、等々からも明らかでしょう。

(左から)ライダー版タロットカードの1番「魔術師」、2番「女司祭」、8番「力」、10番「運命の輪」


 ちなみに「タロット」は海外では「TARO」と「TAROT」の二通りの名称があるようですが、10番「運命の輪」に「TARO」と書かれていることから、「TAROT」は「TAROT(ARO TARO TARO…)」と運命の変転が続くニュアンスを、「TARO」よりも強調する名称とも考えられます。

 また2番「女司祭」が手にする巻物には左から読むと「TORA」とありますが、最後の「A」の右が少し衣服に隠れており、「A」が最後の文字なのか、または続きがあるのか不明ですが、10番「運命の輪」の車輪の「TARO」に注目して左回りに読むと「TORA」になりますので、2番「女司祭」の「TORA」は実は左から読むと「TORAT」、右から読むと「TAROT」と書かれている可能性を暗示しているようにも見えます。


 こうしてみると、占星術も数秘術もタロットも多面的で循環的な世界観=自然観に根ざしたものであるという理解がよりはっきりしてきます。

 なぜ自然崇拝の多神教的世界観が循環的なのでしょうか?

 それについては諸説あるかもしれませんが、最も単純かつ確実だと思われる理由の一つは、太陽も月も星々も天球を循環し、季節も循環するからでしょう。


5.数秘術から見る皇嗣同妃両殿下のトルコ御訪問日程


 今回は現代も多神教的信仰が主流の日本の信仰思想を続けてきた私が、今は占いに信仰思想探究の一部や延長として関心を持っている理由をやや詳しく述べることとなりました。

 そこで改めて、皇嗣同妃両殿下のトルコ御訪問の御日程を数秘術の観点から見てみましょう(「」内は日付の数秘術の計算で得られた数秘とその代表的象意)。

・2024年12月3日「5:変化」→トルコへ御出発、御到着
・2024年12月4日「6:愛」→アタチュルク廟参拝
・2024年12月5日「7:勝利」→大統領表敬御訪問、国交100周年記念式典御出席
・2024年12月6日「8:豊かさ」→トルコ国内御視察
・2024年12月7日「9:完成」→トルコ国内御視察(全日程終了)、御帰国へ
・2024年12月8日「1:始まり」→御帰国

 数秘術で「5」は「変化」の他に「自由」や「知的好奇心」などの意味もあり、皇嗣同妃両殿下のトルコへの御出発は国交樹立100周年を迎えた両国関係が新たなより自由な広がりを持ちうる段階への変容や発展の予兆と受け止められます。

 雨天でのアタテュルク廟参拝には、皇嗣殿下が記念式典で両国を「雨天の友」に準えられたことと相通じるものを感じたのは前述の通りですが、「6」は「愛」の他に「奉仕」も意味し、日本とトルコの「友愛」と「互助」の精神に合致するものと解釈できます。

 「勝利」を意味する「7」の日に国交樹立100周年記念式典が行なわれたのは、国家間関係の一つの模倣すべき目標の達成を日本とトルコがなしえたこと、そして両国関係が「次の100年」に向けて発展していくことの暗示と受け止められます。

 トルコ御訪問の最終日は数秘術で「完成」を意味する「9」に当たり、御帰国の日が「始まり」を意味する「1」であることは、両国関係の「次の100年」を念頭に置いた皇嗣殿下の御言葉に通じるような日程だったと言えるでしょう。


 皇嗣同妃両殿下のトルコ御訪問日程は数秘術的観点から計画されたものではないでしょうが、結果的、無意識的に上記のような展開となったことには、「神計い」を感じざるを得ません。

 敬神崇仏の日常を送っていれば、何事かを行なう際に占いなどで日や移動の方位を選ばなくとも、あるいは凶とされる日や方位に行動しても、無意識のうちに神仏の加護に与る「冥加」という考え方があり、皇嗣同妃両殿下の今回のトルコ御訪問にも「冥加」を感じた次第です。


6.皇嗣同妃両殿下御出発前日に現れた夫婦の虹龍


 皇嗣同妃両殿下が御出発の12月3日は、博多総鎮守櫛田神社(天照大御神、須佐之男命、大幡主大神)の末社、夫婦恵比須神社(事代主神=大国主命の子、玉櫛姫神=神武天皇の義母:御神徳は良縁成就、夫婦円満、商売繁盛など)の夫婦恵比須大祭の二日目でした。

 同社は皇嗣殿下御一家の御参拝を時折耳にしたことのある春日大社(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)の末社、夫婦大國社(大国主命、須勢理姫命)と信仰思想上深い関係があると考えていますが、その大祭の初日、12月2日の夕刻、16時20分頃に福岡市東区和白丘と隣の新宮町に二重の虹がかかりました。

11月30日、皇嗣殿下御誕生日の夕刻に参拝した博多総鎮守櫛田神社と「夫婦恵比須大祭」の幟旗


皇嗣同妃両殿下トルコ御訪問前日の12月2日の夕刻に福岡市東区和白と新宮町に現れた夫婦の虹龍=虹霓。
外の霓は立花山の六所神社辺り、内の虹は夫婦のように並ぶ前岳(左)と三城岳の谷間の方向から昇る。


 以前拙稿でも二重の虹が「虹霓」と呼ばれ、「虹」=雄の龍と「霓」=雌の龍に見立てる信仰思想が古来あったことを取り上げましたが、夫婦恵比須神社の大祭の初日に虹霓が現れたのは、かつて拙稿で触れた和白の大神神社の御祭神=大物主神≒大国主命が夫婦恵比須神社の事代主神の父神であり、新宮町には博多と共通する神事が残っていることなど、信仰思想の観点からも興味深いものがありました。


 後で地図で調べると、霓(虹霓の外側)の東側は立花山中腹の六所神社辺りから立ち昇っていましたが、同社は太陽の女神=天照大御神の奉祀に始まり、後に新宮町寺浦の六所神社(後出)から春日、熱田、賀茂、宇賀、貴船の神々も合祀されたことで六所神社の社号に改まった歴史があります。

 霓の東側が立った方向には六所神社の他に立花山中腹の川上神社(往時は香椎宮=皇室の四所宗廟の一の摂社、豊玉姫命、玉依姫命、神功皇后、伊弉冊命、速玉男命、事解男命)、そして立花山の東隣の寺浦地区の六所神社(立花山の六所神社と御祭神は同じ)も位置していることが、後で地図で調べて判明しました。


 虹(虹霓の内側)の東側は立花山の西隣にそれこそ夫婦のように並ぶ前岳と三城岳(さんじょうだけ)の谷間の方向から昇り、時間の経過とともにJR鹿児島本線の線路付近→三城岳・前岳の谷間→その奥(東方)へと移動していきました。

 この虹が立った方向には、福岡市東区和白丘の下和白大神神社の前を通る道路→新宮町三代(みしろ)の玉嶋稲荷神社(伏見稲荷大社から勧請)→同三代の祥雲寺(西山浄土宗)→三城岳・前岳の谷間→同的野(まとの)の熊野神社(伊弉冉尊、速玉男命、事解男命)が並ぶことも発見しました。


 虹霓の西側が立った場所は和白丘の高台に隠れていましたが、後で地図で調べてみると、内側の虹は新宮町下府(しものふ)の氏神、新宮神社(墨江三前大神)の方向、外側の霓は新宮海岸の波打ち際の方向のようでした。

 さらに、虹霓の最上部の方向には福岡市東区和白丘の竜化池(りゅうげいけ)が位置していることにも気づきました。

 虹霓の立った方向にいくつもの社寺が並ぶのはあまりにも出来過ぎの感じもありますが、虹の撮影場所は、冬至前後に立花山の山頂から昇る旭(初日の出も含む)を拝むことができる場所でもあり、そこから福岡の冬季の日没の約1時間〜30分前の夕陽によって現れる虹霓の東西両端の方向に、上記の社寺が並ぶことも偶然ではないのかもしれません。

昨年1月5日、二十四節気の冬至最終日、立花山の山頂から昇る旭(撮影場所は上掲の虹霓の写真と同じ)


7.正夢だった虹霓


 12月2日の虹霓について詳しくご紹介しましたが、それは私の個人的な思い入れもひとしおだからです。

 実はその日の朝方に、生家の中と思しき部屋の障子を少し開けて外を覗くと二重の虹がかかっているのを目にして写真を撮ろうとした夢を見ており、眠りから覚めて「虹の夢」の意味をネットで検索してはいたものの、まさかその日の夕方に二重の虹を実際に目にすることなど思いもよらず、これほどの正夢も人生初のことでした。

 しかもその日の午前中には知人が携帯電話のショートメールで、古代海人阿曇族の本拠地である福岡市東区志賀島の志賀海神社(綿津見三神)を参拝し、遥拝所の「亀石」(二つの亀型の石)を祀る場所に立つ鳥居から立花山(旧称「二神山」)を遥拝した旨を伝えてきたので、二つの「亀石」は「二神山」の「二神」と同時に標高も山容も似ている二つの山(三城岳と前岳)をも意識している可能性があると返信していたところ、内側の虹が三城岳と前岳の谷間の方から立ち昇っていたのを実際目にして大変驚いた次第です。


8.12月2日の虹霓が意味するもの


 この虹霓はもちろん私だけでなく周辺に住んでいる人たちや通りかかった人たちもしばらく眺めたり、撮影したりしていました。

 すなわちこの虹霓は国家レベルでは皇嗣同妃両殿下トルコ御訪問の吉兆であり、福岡の地域レベルでは夫婦恵比須神社の例大祭との関連を窺わせ、個人レベルでは虹霓を見た人たち各人各様の意義があったものと考えられ、他の虹や大気光学現象も同様ですが、不特定多数の人々や広い地域に影響を及ぼす天気(神気)の象意は何か一つに限定するものではなく、重層的かつ多様に受け止めるべきでしょうし、そのような姿勢が個性重視の冥王星水瓶座時代は益々重要になってくるのではないのでしょうか?

 本稿の読者もこの虹霓の写真を目にして胸中に浮かぶものはさまざまでしょう。


 この虹霓(夫婦の虹龍)が現れた翌日、トルコへ御出発の際の皇嗣殿下は深紅とグレーのストライプ柄のネクタイ、皇嗣妃殿下は深紅一色の服をお召しでしたが、それを目にした時、冥王星の表面の深紅とグレー、その冥王星を支配星とする蠍座のイメージカラー(深紅)を連想しました。

 皇嗣同妃両殿下が、太陽が蠍座に位置していた11月20日に冥王星が水瓶座に移行したことを意識していらしたのかどうか、もちろん私には知る由もありませんが、結果的に宇宙レベルの時代の変化に応じた御姿だったように見えました。

 皇嗣殿下御一家はこれまでマスコミの冷淡な態度とネット上の露骨な誹謗中傷が続く中、御自らの務めを一つひとつ丁寧に果たして来られましたので、誹謗中傷を許すような画一的価値観が破壊され、個性が重視される冥王星水瓶座時代は冥王星の「再生」の力によって皇嗣殿下御一家の皆様方それぞれの御人徳に気づかされる国民がどんどん増えていくものと思われます。

 冥王星が水瓶座に最終的に移行してから皇族で最初に御誕生日をお迎えになった御方が皇嗣殿下(11月30日)であったことも宇宙レベルで深淵な意味が感じられ、皇位が皇嗣殿下、そして御長男の悠仁親王殿下へと継承されていくこと、この順序を規定する現行の皇室制度が宇宙の意志に適うものでもあるように思われました。

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