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「カルト」の意味と自民党総裁選


「カルト」の意味の誤解と誤用

 近年再びカルト宗教が引き起こすさまざまな問題が話題となってきました。

 その直接的なきっかけは、安倍晋三元首相暗殺事件の「容疑者」とされた人物の家族が、一般的にカルト宗教とされる宗教団体に入信していたことで多額の経済的損失や深い精神的被害を受けていた、などという情報が報道機関やネット上で溢れかえったことです。

 安倍元首相暗殺事件の経緯や「犯人」については私なりにいろいろ思うところはありますが、今回はそれがテーマではなく、そもそも「カルト宗教」とは何か?について述べたいと思います。

 なぜならば、「カルト宗教」特に「カルト」という言葉が、人によって意識的、また無意識的に誤解、誤用されているからであり、それが伝統的信仰による神社や仏寺と「カルト宗教団体」を同じ「宗教」と一括りにして論じることにつながり、伝統的信仰を「カルト宗教」と抱き合わせで衰退、消滅させる政治的企図への利用を許すことになるからです。

 つまり、「カルト宗教団体」は伝統的信仰と「抱きつき心中」をさせるためにも次々と作られてきたと私は考えています。

 そして、カルト宗教をして伝統的信仰と「抱きつき心中」させた後に、各種科学分野の「専門家」を利用した「科学専門家カルト宗教」やそれらを糾合した格好の「AI(人工知能)カルト宗教」に向かわせる企図が垣間見えます。

 この企図を見抜くためにも、そしてなぜ現代社会に多くの「カルト宗教団体」が存在し、洗脳される信者が後を絶たず、社会に深刻な影響を及ぼしているのか?という疑問に答えを見出すためにも、まず「カルト」とという言葉が誤解、誤用されている現実に気づく必要があります。


「カルト」の語源と「カルト教団」の本質

「カルト」という言葉を耳目にすると、「信者を常識や社会通念に反する迷信的な教義内容に洗脳し、反社会的行為に誘導する宗教団体」のようなイメージを現代の多くの人々は抱いているのではないでしょうか?

 しかし改めて「カルト」の元の意味を調べると、「崇拝」という意味のラテン語に由来することがわかります。

 確かに伝統的信仰の神社や仏寺では神々や仏菩薩などを崇拝しますが、一般に「カルト宗教」と目されている宗教団体の信者や発行物に接すると次のような特異な傾向が見えてきます。

 すなわち「カルト宗教」では神道系、仏教系、キリスト教系その他に関わらず、信者の口からはたいてい二言目、三言目には入信先の教団の教祖やカリスマ的指導者の名前が出てきて、彼ら、彼女らがいかに素晴らしい「偉人」であるか、といった類の話が聞かれるような印象を抱いています。

「凡人」の私たちの想像を絶する困苦の中で神仏との機縁を得て、以後「常人」よりはるかに篤い信仰心と努力によって困苦を克服し、人助けをし、その姿に次第に多くの人々が惹かれて集まり、その輪は世界にも広がり、教祖や指導者は外国の勲章や名誉博士号などをいくつも授与されているという具合に、「偉人伝」のテンプレートに多少異なるディテールが加わる形で、さまざまなカルト宗教団体の教祖や指導者の「偉人伝」が形成されているようにも思われます。

 この「偉人伝テンプレート」にはいくつかの重要ポイントがあります。

 第一は、「凡人」の想像を超えるような困苦の体験から始まる点です。

 カルト宗教に取り込まれてしまう人々も生活面、精神面、身体面などに、それこそ「凡人」の想像を超えるような深い悩みを抱えている場合が多いので、そういう「悩める子羊」が教団の教祖や指導者に強い共感を抱くようなエピソードが、信者を勧誘し、洗脳する上で大きな役割を果たします。

 第二は、「悩める子羊」が教祖や指導者に強い共感を抱いただけでは、「子羊」も教祖もほぼ同レベルの人間という認識につながってしまうので、教祖や指導者の「絶対的特別感」を抱かせるために、彼らの神仏との機縁の「神秘性」を強調し(ここでの「神仏」は教祖や指導者を「神格化」する「装飾」でしかない)、機縁を得た後の超絶な努力や開運や日本全国や世界をまたにかけた大活躍(しかも世界的著名人との交流や外国からの表彰や名誉博士号付き)が喧伝されることで、一般の信者は教祖や指導者との間に才能や資質や努力や運命的な面で超え難い圧倒的な格差を痛感し、彼らを神格化し、絶対視するようになります。

 第三は、教祖や指導者との絶対的な格差を強調しすぎると、今度は教団を維持、拡大させるために必要な信者の「向上心」が伸びないので、信者がいくら「凡人」でも、教団や教祖との機縁を得たこと自体が、信者がすでに他の「凡人」より運が良く、神仏や先祖霊に選ばれてお導きを受けたことの証であり、教団の教義を学び、活動に精を出すことで教祖や指導者が説く神仏の真理、真実に近づくことができる人間であるという「相対的特別感」を抱かせることです。

 このように「カルト宗教」の価値基準において、1)「絶対特別視」される教祖や指導者、2)「相対特別視」される信者、3)それ以外の真理・真実にアクセスできない一般の人々、という三層構造が認識されます(1)と2)の間の教団内の各種役職に就いている「上級特別視」される信者もいます)。

 この人間に関する三層区分の発想の根底にあるのは、選民思想と優生思想です。

 神仏や宇宙の真理・真実を悟った人、その叡智を備える人、などなど表現の仕方はいろいろあるでしょうが、そういう特別に選ばれた優れた人物としてカルト教団の教祖や指導者が位置付けられ、真理・真実・叡智に関する情報は教祖や指導者(あるいは彼らの教えを暗誦し、応用できる幹部信者)から伝えられるものが最も正しいとされます。

 つまり、神道系や仏教系、キリスト教系などの違いに関係なく、「カルト教団」が借用している伝統宗教に関する情報は、教団の教祖や指導者の口を通じたものが最も正しい、という認識が教団内に形成されます。

 その中でも最も重視されるのはもちろん教祖や指導者が語る内容ということになります。

 こうして教祖や指導者は無謬の存在として絶対視され、教団が教義として借用している神道の神々でも仏教の仏菩薩でもキリストでもなく教祖や指導者を実質的に崇拝するようになります。

 神仏やキリストなどは実際に目にすることはできませんが、生身の教祖や指導者は目視できる点も、信者への影響力という意味で決定的に重要です。

 目の前にいない人が語ったとされる話より、目の前にいる人が語る話の方が圧倒的に影響力を発揮します。

 一言で言えば、カルト教団において教祖や指導者が信者にとって「実質的な神」となって崇拝されるのです。

 これは、「個人崇拝」や「個人の神格化」と言い換えることができます。

「カルト教団」とはより正確には、「教祖または指導者個人崇拝教団」なのです。

 そして、崇拝対象の教祖や指導者の言うことが絶対的に正しい、絶対善であると洗脳された信者は、教祖や指導者が直接または幹部信者を通じて間接的に指示したことは、その内容がたとえ犯罪、反社会的破壊行為であろうと実行に及ぶのです。

 これは、海外でも何らかの宗教の過激派と呼ばれる宗派の人々が「宗教的大義」のためにテロ行為に及ぶ心理と変わりません。

 したがって「カルト教団」の本質は、それが借用している伝統宗教が祀る神仏や教義の内容ではなく、実際に信者の目の前にいる教祖や指導者を絶対視する個人崇拝であって、教祖や指導者の指示が反社会的犯罪でも信者が「正義」と信じ込んで、実行に移してしまうのは派生的な事象なのです。

 あくまで前者が本質的で、後者は派生的なものなのです。

 しかし現在の日本では「カルト」と言えば、後者ばかり注目され、前者がラテン語の「崇拝」に由来する「カルト」の本質である点が意識されておらず、それがあるカルト教団が潰れてもまた新たなカルト教団が現れ、またカルト教団に騙される人々が後を絶たない原因ではないでしょうか?

 この「カルト」という言葉の誤解と誤用に拍車をかけているのが、「オカルト」という言葉の存在です。

「オカルト」の語源は「隠されたもの」の意味のラテン語ですが、「カルト教団」がしばしば一般社会からは閉鎖的に見えることや、「神秘性があるもの」とされる「目に見えないもの」を盲信している集団のような印象を与えることから、「カルト教団」と聞くと「オカルト」という言葉に由来すると思っている人もいるかもしれません。

 教団の教祖や指導者を信者たちが「目を隠されて盲目的に崇拝」しているということも確かにできますが、「カルト」と「オカルト」は意味合いが異なる点を念頭に置いておく必要はあるでしょう。


「カルト」化している現代社会

 それではなぜ、「カルト教団」の本質が「個人崇拝」であることに気づかれないのでしょうか?

「個人崇拝」と聞けば、旧ソ連のスターリンや共産中国の毛沢東、北朝鮮の歴代指導者などに対する社会主義国でよく見られる政治現象と思われがちであり、実際にそういう意味でこの言葉は使われることが多かったです。

 しかし現実には政治に限らずさまざまな分野で、しかも社会主義国だけでなく、日本も含む資本主義国でも「個人崇拝」現象は見られます。

 例えば日本で最も顕著なのは芸能界やスポーツ界の特定人物への「個人崇拝」ですが、この場合は「個人崇拝」ではなく「人気」と言い換えられています。

 そして「人気芸能人」や「人気スポーツ選手」が登場するテレビ番組などの視聴率が上がれば、その番組スポンサーの広告もより多く、より頻繁に視聴者に注目され、それがスポンサー企業の商品の売り上げ向上に繋がります。

 さらに「人気芸能人」や「人気スポーツ選手」自身が企業広告に出演すると、その企業のイメージと売り上げのアップにつながります。

 なぜなら「人気芸能人」や「人気スポーツ選手」はそれぞれの分野で優秀である場合が多く、その優れた才能や容姿への憧れが掻き立てられた人々は、「人気者」と直接的ではなくとも間接的にでも「近づきたい」という心理が働くからです。

 そして「優秀で容姿の良い憧れの人気者」に「心理的に近づく」ため、具体的には「人気者」が出る番組で広告された商品や、「人気者」が広告の中で手に取り、着用し、飲食して宣伝したことで好印象が高まった商品を購入したい、という気になります。

 さらには「人気者」の写真やイラスト付きの各種商品を販売することで、消費者の購買意欲を煽ったりします。

 果ては「人気者」をテレビや商品などを通じて間接的に見ることに飽きたらず、直接的に「近づき」、あわよくば言葉や握手を交わしたりする機会を求めて、日本国内だけでなく海外にまで「追っかけ」をする熱狂的なファンも出てきますので、そういう熱狂的ファン向けの商品も当然ながら開発されていきます。

 そうした結果、「人気者」の華やかな成功の裏に隠れていた人生の困難やそれを乗り越えてきた経緯がテレビで紹介されたり、または大病や大怪我で引退や死亡したりすると、特に熱狂的ファンは自身や身内の不運や不幸であるかのような同情や悲しみを表したりします。


 以上のような現象は私たちもよく目にしますが、これは例えば、某国の独裁者が常々好意的に報道、宣伝され、独裁者の写真や名言が入ったカレンダーやバッジ、書籍などが販売され、それらの購入が推奨され、どこかを訪問中の独裁者と直接言葉や握手を交わす機会に恵まれて感涙に咽ぶ人も出たり、独裁者の苦難とそれを克服してきた過去がメディアで紹介されたり、大病や大怪我を患った時や死亡した時に、それがまるで自身や身内の出来事かのように悲しみを表す人々も出てくる状態と本質的に同じであることに気づくでしょう。

 尤も日本では「人気者」と関連付けられた商品の購入が同調圧力で強要されたり、個々の「人気者」を揶揄、批判しても社会的不利益を被ることはないですが、「人気者」にとって不都合な情報がもみ消されていたという逸話がだいぶ後になって、例えば人気が落ちた頃にメディアで話題になったりします。

 これは独裁者の権力が失墜した、もしくは失墜しかけている時になって、独裁者に関する不都合な真実が漏れ出てくるのと変わらないのではないでしょうか?


「人気政治家」を利用したカルト支配の試み

 日本は文化的に独裁者が現れにくく、仮に現れてもその権力は長続きしません。
 この文化的背景については後日述べたいと思いますが、それでもなお、現代では独裁者に近い「人気政治家」への「カルト(個人崇拝)」による国民支配の試みが顕著です。

 最も分かり易い例は、現在自由民主党総裁選に出馬中の小泉進次郎衆議院議員で、以前は報道の中で毎回「国民的人気が高い」の一言が枕詞のように付けられていた時期もありましたが、日本のような非独裁志向社会ではしつこく繰り返されると却って胡散臭く感じられて逆効果だろうと思っていましたが、実際に表舞台に出て話をすればするほど「等身大」の姿が誰の目にも明らかになってきています。

 国民の大半が自分より資質や能力が明らかに劣って見える人物を党首に選出する自民党を、国民はどう見なすするでしょうか?

 そんな立候補者を積極的に支持した議員どころか、自民党全体が国民から支持されないどころか、もはや馬鹿にされるのではないでしょうか?

 ネット上では小泉氏が自民党総裁になると政権交代は必至、という意見が頻繁に上がっており、仮に小泉氏が仮に総裁、総理となった場合、その支持勢力がいくら支えようとしても急速に国民の支持を失い、それを挽回しようとすればするほど悪循環に陥り、支持勢力も制御することが不可能となって却って墓穴を深くすることになり、小泉政権どころか自民党政権が終わる可能性が非常に高いと思います。

 そうすると支持勢力も取り返しのつかない大損をすることになるわけですから、もし小泉氏の政治生命と自分たちの利権の延命を図るならば、同氏を総裁、総理にゴリ押しするのは止めて、誰か別の新総理の内閣にねじ込むのが最善策だと、私が支持勢力側の人間なら判断するでしょう。


 同じく自民党総裁の座を狙っている衆議院議員の河野太郎氏については、総裁有力候補者数名のスペックを比較する図が掲示され、比較対象の五つの能力すべてが最高レベルで綺麗な五角形をなし、他の候補者たちは一長一短の偏りがあるかのように表示されていましたが、完璧な人間などいないということは未成年者でも知っており、小学校の生徒会長の選挙でもしないようなことが、一般に偏差値が高い大学を出た「ハイスペック」(と思われがち)な人たちが出演する報道番組で平然と行なわれているのを見て唖然とした私は、これは現代の社会システムが末期段階に至っていることを示しているように思った次第です。

 あのスペック表に国民が誘導されるはずだと考えた人たちは、そういう自分のスペックを一度見つめ直してみた方が良いかと思いますが、案の定、総裁選における河野氏はその後程なくして失速してしまいました。


 最近は「右派的な姿勢」と仮想敵国を念頭に置いた「断固とした言動」などから「保守層」の支持が高い高市早苗衆議院議員が自民党総裁最有力候補とする報道がありますが、これも「観測気球」の一つに過ぎないと私は見ています。

 つまり高市氏が国民受けするなら、高市氏を総裁にして、選挙公約とは関係なしに自分らの望む方向に「日本を前に進めよう」と自民党の背後勢力は考えていると思われます。


「大政治家への個人崇拝」がもたらす国家の危機

 一般に「右派」や「保守派」は「日本を守る」ために、国家安全保障を重視する傾向にありますが、その安全保障の対象は一体何なのか?を一旦冷静に見つめ直すべきでしょう。

 国家の防衛、安全保障に関する議論は、生命に対する直接的な脅威に関係するテーマですので、議論が熱しやすく、冷静さを欠いた感情のぶつけ合いに陥る傾向があります。

 私たちが守るべき「国」とは何か?については領土、領海、国民の生命や財産、国内の資源その他いろいろありますが、戦争は国家の崩壊、解体につながりうる危険性を常に孕んでいます。

 国家が崩壊、消滅すれば、国民も無権利状態に陥り、国民の概念も消滅します。


 では日本にとって国家の崩壊、消滅を最終決定する事態とは何でしょうか?

 それは、初代神武天皇以来男系で紡がれてきた皇統の断絶や天皇を拝戴する國體の廃止です。

 中学生の頃から政治や政治史(学校で習う「歴史」とはほとんど政治史)に興味を抱き、大学も政治学専攻、ロシアでも政治学系の大学院に進み、仕事もロシアのマスコミ報道のレポートや軍事分野の文献の翻訳が中心で、日本でも地政学分野の雑誌に10年以上記事を書いてきた経験から言えば、何も銃砲や爆弾、ミサイルなどを使用するばかりが戦争ではなく、あらゆる手段を使って日本の國體や皇統断絶を図る動きはすべて海外からの「侵略戦争」なのです。


 日本が2700年近くも皇統が続く現存世界最古の国家であることを知った外国人(主にロシア人)の表情はとても印象深く、世界における日本の存在意義が私たち日本人が一般に想像するよりはるかに大きいことを窺わせるものがあります(こればかりは実際に目の当たりにしないと分かりづらいですが)。

 その皇統護持にあたって極めて重要なのはもちろん皇位継承であり、具体的には皇位継承に伴う制度や儀式ですが、今上陛下の御即位に関しては伝統を蔑ろにしたさまざまな変更がありました。

 その一つは大嘗祭のために仮設される大嘗宮は茅葺であるはずなのに、資材の調達が難しいなどの理由で板葺に変更されましたが、全国的にも非常に有名な某神社では、上皇陛下が譲位を示唆するお言葉を何年も前に出されていたので、大嘗宮の建設関係者らは茅も事前に十分に用意していたにもかかわらず、板葺が強行されたとの話を聞きました。

 つまりこの情報源からして資材調達困難は虚偽だったと判断できますが、板葺から古来の茅葺に戻すことすら当時の安倍首相はしなかった、あるいはできなかったのです。

「右派」や「保守派」を自称する人々はしばしば安倍元首相を「世界と互角に渡り合う愛国保守の偉大な政治家」のように崇拝しますが、「世界と互角に渡り合う」力が本当にあったなら、大嘗宮の茅葺を板葺に改悪する企みを覆すぐらい朝飯前のはずだったのではないでしょうか?

 平成から令和への改元に関しても苦言を呈したいことがありますが、國體と皇統の護持という意味で極めて重大な御代替わりの準備が進むにつれて、安倍元首相の表面上の言動と実際の行動の乖離が目立っていき、例えばロシアのウラジーミル・プーチン大統領も安倍元首相への態度を変えていったことを地政学関係の雑誌で書いた覚えがあります。

 そして事実、安倍元首相の招待を受けた「親友ウラジーミル」は来日に大遅刻、一緒に温泉に入ることもしませんでした。

 ちなみに、ロシアでも友人同士の「裸のつきあい」は昔から愛好され、毎年年末にテレビで上映されるソ連・ロシアで最も人気のあるラブコメディー映画も、本題はサウナに主人公とその旧友らが集ってウォッカをがぶ飲みする「裸のつきあい」から始まります。


 このような一部保守界隈が実質的に個人崇拝する安倍元首相の遺志の継承を表明する「愛国保守の政治家」が、安倍元首相暗殺に関して浮上したカルト宗教団体との関係も深い傾向は、両者がともに指導者を「個人崇拝」する共通性に気づくと大変興味深いです。

 そのような一人である高市氏は、皇嗣殿下、悠仁親王殿下、常陸宮正仁親王殿下の御三方が皇位継承資格者としていらっしゃる現状において、早々に女性天皇容認論を口にしたのはなぜでしょうか?

 また高市氏を「愛国保守」の政治家として支持している他の政治家や言論人は、同氏の女性天皇容認論をどう受け止めているのでしょうか?

 女性天皇は女系天皇(換言すれば、神武天皇以来の皇統の断絶による現存世界最古の国家の転覆と別の男系王朝の始まり)に向けた「橋頭堡」だと以前も指摘しましたが、神武天皇が大和を建国された現在の奈良県出身で国家安全保障にも関心が高いはずの高市氏は、この国家転覆の企みに気づかずに唆されているのでしょうか?それとも…?

 高市氏が女性初総理となった場合に、女性天皇容認へと皇室制度を変えてしまえば、銃弾を一発も使わずに国家を崩壊させる道筋をつける恐れもあります。

 そもそも現時点で「女性初総理」が誕生した場合、ならば「天皇も女性に!」という社会機運が生まれる危険性を真の「愛国保守の女性政治家」ならば察知して、そうならないように、敢えて総裁選を辞退するのではないでしょうか?

 後日詳述しますが、そもそも印象操作で特定人物を「人気者」に仕立て上げて、その「人気者」を利用して政治的利益や商業的利益を上げていく、謂わば「スターシステム」は、いろいろな意味で限界にきており、時代遅れになりつつありますので、思い切って断捨離した方が、次の時運に乗り易いでしょう。

 尤も自民党総裁選は国民が直接参加するものではなく、同党の議員と党員・党友が選ぶものですが、なぜこれほど国民からの支持率を取り上げる報道を繰り返し、その時々の状況に応じて個々の政治家に露骨な「高評価」を与えるのでしょうか?


「スターシステム」に踊らされなくなった国民

 今回多数の議員が総裁選に出馬し、上記の小泉氏や河野氏、高市氏だけでなく、他候補も順々に「有力視」されてきたように思いますが、これほど多くの立候補者がおり、これほど「有力候補」の浮沈が繰り返されている展開は、自民党と同党を背後から動かそうとしている勢力が世論を相当気にしており、「有力候補者」を次から次に変えているのも、世論の「観測気球」を上げては、毎回その反応を見つつ総裁選を進めているように思われます。

 これは、次期総裁が誰になるかで自民党は本当に政権を失うかもしれない展開が現実味を帯びている危機感の表れではないでしょうか?

 こうした中、一般国民に立場的に近い党員・党友票で安定的に優位に立ってきた石破茂衆議院議員は、直接会ったことがあるという知人(戦史関連文献の翻訳での取引先企業経営者)から人物評を耳にした唯一の立候補者です。

「軍事オタク」としても有名な石破氏に戦史関連施設の創設に関する陳情で初めて面談した際、最初は石破氏の表情が「とても怖かった」が、陳情の内容を予定時間をはるかに超えてもじっと聴き続けた後、「戦車についてあなたほど熱く語った人を知らない」と口を開き、そして「私(石破氏)は何をしたら良いか?」と続けたそうです。

 それから程なくして、他の政治家らも集めて、戦史関連施設の創設に向けた具体的な動きを始めてくれた、と喜んでいました。

 皇統護持について発言と行動の乖離が目立った安倍元首相への墓参りをし、同じカルト教団との親密な関わりも表面化した自民党総裁選立候補者の小林鷹之衆議院議員から女系天皇に関する姿勢を問われた石破氏が、男系継承の伝統尊重は当然としつつも女系天皇の可否について明言を避けた点は気になりますが、近隣諸国との戦争回避に最大限尽力する政治家の一人であることは間違いないと思います。

 約10年に及ぶ戦史関連文献翻訳と日露両国の軍事研究者らとの交流の経験から、一般人より戦争の実態について具体的な知識がはるかに豊富な「軍事オタク」は、戦争回避の重要性を最も強く理解している人たちでもあることを知りました。

 そういう点も、自民党を背後から動かし、日本を戦争に巻き込み、国家の崩壊を企む勢力とそれに応援されている議員らが、一般国民に立場が近い党員・党友からの支持率が安定的に高い石破氏が総裁になるのを最も嫌う理由かもしれません。

 また、一般国民に立場が近い党員・党友も、表向きの発言は「愛国的」ながら、実際は国益に反するTPP(環太平洋連携協定)や水道民営化、種子法改悪、消費税増税、円安誘導、観光立国化、非正規雇用と移民労働の拡大、異常な超過死亡増加の原因と疑われる流行病対策など、国家・国民を守ることを強調する「自称保守」の第二次安倍政権以降の自民党の言行不一致に辟易しており、それも石破氏への高支持率の背景にあるのではないでしょうか?


自民党の総裁選と今後を西洋占術で予測

 上記の国益に反する政策の数々は主に欧米からの圧力によるもので、その欧米の政治的な動きは西洋占術で左右されている面もあるとの指摘は結構前から聞いてはきましたが、アカデミズムやジャーナリズムによる「合理的な予測」が近年は外れがちで、むしろ西洋占術による予測の方が現実の展開に近い傾向があるような印象を抱いています。

 今のところは占星術関連の動画を時折視聴する程度ですが、冥王星が山羊座から水瓶座に完全に移行しつつある今秋以降は、国家や企業などいわゆる権力側の力がだいぶ低下し、「民」や「個性」が重きを成していくようで、特に来月は世界的に「民」の反発が強まって政治家にとっては厳しい立場に追いやられる、という感じの予測も目にしました。

 来月はまた、現時点の治験結果からも非常に危惧される新種の予防接種が始まることもあり、与党の自民・公明両党にとって非常に厳しい試練の始まりともなり、誰が自民党総裁、総理になっても短期間で政権交代の危険性は高まります。

 何事もそうですが、政治に関する現状分析と近未来予測においても、自分自身の希望や思想信条とは別に、一旦「敵」の立場に立って考えてみることも大切です。

 仮に自民党を背後から動かして日本国民の搾取や日本国家の崩壊を画策する勢力の立場に立てば、占星術的にこれから始まる政治家、つまり権力側にとって厳しい試練の時期だからこそ、議員の多くが「最も望ましくない」と思う石破氏に敢えて総裁、総理の座を譲り、「火中の栗」を拾わせる、という選択肢もありでしょう。

 占星術の他に近未来の展開を占う上ではタロットカードもかなり有効のようだと知り、ある占い師の動画で今年7月の東京都知事選は最後の最後までどういう展開になるか不明と予測していたましたので、物は試しで私も選挙期間の半ばと投開票日当日朝の二度、大アルカナ22枚のみを使って有力候補者各々について一枚引きで占ってみました。*()内は私なりの解釈

〜選挙戦半ば〜
・小池百合子氏=「月」(不安でいっぱいな状態)、
・蓮舫氏=「節制」逆(当初の計画、行動、予測に狂いが生じた状態)、
・石丸伸二氏は「悪魔」(大スポンサーらの登場とそれらに囚われた状態)

〜当開票日当日〜
・小池氏=「運命の輪」(運勢が好転して当確)
・蓮舫氏=「審判」逆(当初の優位性を回復できない)
・石丸氏=「悪魔」逆(大スポンサーの賭けが外れたか、今回は見限られた)

 小池氏の当選も含め、なんとなく都知事選の傾向を反映しているように思われ、いわゆるビギナーズラックかもしれませんが、自民党総裁選についても占って見ようかと思いました。

 ところが落ち着いた時間が取れず、占いの方法も対象の候補者グループもまちまちですが、本稿はだいぶ長くなってしまいましたので、8月下旬の数日と9月18日に占って印象深かった点だけ触れておきます。

〜8月下旬〜
・小泉氏=「力」逆(力不足)
・河野氏と高市氏=「正義」逆(正義に悖るものがある)

〜9月18日〜
・自民党総裁選の全体的傾向=「月」(先行き不透明なまま推移する)
・上記傾向を踏まえた注意点=「塔」(突発的事態の発生や想定外の展開)
・石破氏=「太陽」(「日の本の民」に近い党員・党友からの安定的高支持)
・林氏=「節制」(抑制的ながらバランスよく堅実に進めている)

 9月18日は日本三大八幡の一つ、筥崎宮(福岡市東区箱崎)で、生きとし生けるものすべての生命を慈しみ、子どもらの無事の成長を祈る放生会の最終日の夕刻に参拝しましたが、最寄りのJR箱崎駅を出て横断歩道を渡り、ふと駅の方を振り返ると、雨上がりでもないのに虹が出ていました。

 その辺りの空中に生命に不可欠な水が霧雨などの形で現れ、それが太陽によって目に見える形となったのでしょうが、石破氏に「太陽」のカードが出たことを思い合わせると意味深長なものを感じました。

筥崎宮放生会の最終日(2024年9月18日)の夕刻にJR箱崎駅付近に現れた虹


 今回の自民党総裁選立候補者の中では現内閣官房長官の林芳正衆議院議員が総合的に最も総裁、総理に相応しいと私個人は考えていましたが、9月21日の能登半島大雨災害発生を受けて、林氏は即座に総裁選から実質的に勇退し、災害対応の指揮を優先することにしたのはさすがだと思いました。

 
 今度こそ能登地方の早急な復興が望まれますが、今年が能登地方の大震災で幕が開け、今後の国の方向性に関わる与党自民党総裁選期間中に再び能登地方が大水害い襲われたことには、神々からの警告のようなものを感じざるを得ません。

 水をご研究になって来られた今上陛下の御代にこれほど水害が多発し、皇后陛下とともに二度も能登地方をご視察になったにもかかわらず復興が一向に進展せず、両陛下のご長女、敬宮愛子内親王殿下の能登地方単独ご訪問予定のニュースが出た直後に再び甚大な水害に襲われたのはなぜでしょうか?

 過去20年近くは信仰思想の探求もしてきた者としては、この自然界=神々の世界に起きている極めて異様な事態を重く受け止めざるを得ません。
 

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