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『みんなちがってみんないい』わけない

先週末は松戸の芸術祭でワークショップをフリマで売ったり(圧倒的に異物感出ちゃってた)、来年以降の打ち合わせをしながら近所の友人と飲んだり食べたりして過ごしていた。

友人と喋っていて、それぞれがどういう意味で恋だの愛だのを語るのかみたいな話になって、何をもって恋に落ちた、というのか、一目惚れ、ってどういうことなのか、みたいなことをダラダラと喋っていた。

他人との関係、に名前をつける場合に、この名前にどういう意味を持たせているのかは本当に人それぞれに違っていて、同じ名前でもそこのずれで綻びが生じたり、時にそれが面白かったりするんだけども、そういうときに、小学生の国語の教科書に載っていた『みんなちがって、みんないい』を思い出したりする。

かの有名な金子みすゞさんの書いた詩の一節だけど、思い出しつつ『本当にそれっていいのか?!』みたいな気持ちになったりする。

いや、もちろんちがうことはいい。逆にみんな同じだったら気持ち悪いだろう。

これは時代のせいもあるかもしれないけど、令和の『みんなちがって、みんないい』は、なんだか『自分はこうだから』という主張を強化することば、みたいな意味が強くなっている気がする。

己の変化を拒むアイデア、みたいな。

それよりかは、個人的には、『みんなちがって大変だけども、なんかそれいいからもらっちゃお』を提唱したい。

他人のちがいを目の当たりにしたときに、「その考え、おもろいね、ちょっと使わせてもらお」みたいな、他人のちがいをつまみ食いして、取り入れて、一回己を変化させてみる、みたいなことが、友人と飲んでいろいろ喋ったときのたのしみだったりする。

「あなたはそういう風に他人と関わっているのね、わかんないところもあるけれど、ちょっとおもしろそうだから、少しいただくわね、」

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