まつざきよしくにㅣMatsuzaki Yoshikuni

ひび 1994年に島根県で生まれて今は千葉の松戸と京都の2拠点生活。(引越し16回)東…

まつざきよしくにㅣMatsuzaki Yoshikuni

ひび 1994年に島根県で生まれて今は千葉の松戸と京都の2拠点生活。(引越し16回)東京デスロックという劇団の俳優でサンロクというユニットをやってる。

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気づいたら、そうであった、

4日間の京都から松戸に戻ってきた。 この4日間を振り返って、なんだかんだ京都生活で初めてのルームメイトがいるひびだった。 ルームメイトがいる生活は慣れてるんだけど、まだ京都のメンバーとは生活、というよりもなんだか特別で大切な時間、みたいな感覚?いつか終わってしまう時間、みたいな感覚があって、ちょっとそわそわしてしまう。 不思議だなと思う。 これはあくまで個人的で例えばの話なんだけど、家族、という関係はそこにいなくてもいる、というか、いつだって元気でひび生きてくれやと願

    • マリオの広告【JR】

      JR車内の広告で最近流れているスーパーマリオのゲーム。 象になったマリオが、高いところにあるコインを取るために花に水をあげて成長させて登って取る、みたいなシーンが流れているんだけど、そのときに真ん中の花の上に『ありがとう』ってテロップが表示される。 マリオは別に『花のために』水をあげたわけじゃない。 我がために、コインを取るために花に水をあげたわけだ。 花は枯れそうだったのかもしれない。水をもらい成長して生き延びることができた。 そして花は、誰から水を与えられたのかに

      • 『みんなちがってみんないい』わけない

        先週末は松戸の芸術祭でワークショップをフリマで売ったり(圧倒的に異物感出ちゃってた)、来年以降の打ち合わせをしながら近所の友人と飲んだり食べたりして過ごしていた。 友人と喋っていて、それぞれがどういう意味で恋だの愛だのを語るのかみたいな話になって、何をもって恋に落ちた、というのか、一目惚れ、ってどういうことなのか、みたいなことをダラダラと喋っていた。 他人との関係、に名前をつける場合に、この名前にどういう意味を持たせているのかは本当に人それぞれに違っていて、同じ名前でもそ

        • お土産をつくる

          明日から松戸で『科学と芸術の丘2023』が開催される。 その中で、『マツカシ』というフリーマーケットで、スペースを借りて『お土産をつくる』ワークショップをしてくる予定。 あなたはどうして旅をしますか? わたしは、出会った景色、人、食べ物、この時間を誰かと共有したいと思って、『誰か』のことを想像しながら旅をします。 あなたも、よかったら、『誰か』のことを想像しながら、松戸を旅してみてください。 そしておうちに帰ったら、持ち帰ったお土産話を『誰か』と共有してみてください

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          【日記未満1】昨日今日の話

          なんだか東京の電車ひさしぶりだなあと思ってGoogleカレンダー開いてみれば全然ひさしぶりなんてことはなく日曜以来、3日ぶりの東京の電車に乗って、下北沢に向かっている。 在宅で仕事もしているため、特に用事がなければ東京にはいかないし、自宅と近所のスーパーマーケット、それと行きつけの居酒屋の3点で一日の行動はだいたい完結する。 10月に引っ越す予定だったルームメイトが、11月引越しに延期になった。 ルームメイトのバ先で婚活パーティー(公式)が行われる話。 イス時空法のインス

          【日記未満1】昨日今日の話

          関係に名前がつくとひきだしにしまいたくなる

          人が2人以上集まると、人々はその関係に名前をつけて安心したくなる。 家族、友人、親友、恋人、などなど名前はいろいろあるが、同じことば(友人、恋人とか)でも人それぞれに『どういう意味を持たせて』そのことばを扱っているのかは異なる。 よくドラマとかでも「ぼくたちの関係ってなんなんだろうね」とか「関係をはっきりさせたい」みたいなセリフが登場するけど、あいまいな状態の関係に名前をつけるのは、人間がそのあいまいとともにある不安に耐えられないから、だと思っていて。 もちろん自分もこ

          関係に名前がつくとひきだしにしまいたくなる

          すきなものの話

          すきなものの話をする。わたしは服がすきで、すきといっても、たくさん服を持っているわけではない。 人間生活を送る上で、1歩家の外にでれば人は必ず服を着る。毎日服を着ている、と思う。 自分にとっての服は、思考に影響を及ぼしてくれる大切なツールだ。 からだと布の間に空気を含むような、ゆとりのある服がすきで、そういう服を着ているときは、「これはこうじゃなきゃいけない」みたいな固定概念から開放される感覚を身に纏うことができる。 からだと布のあいだのゆとりが、そのままこころやあたま

          ピラティス

          ピラティスに通っている ジムとかではなく、よく行くカフェの店員さん方が月に何度か知り合いのトレーナーさんを呼んで催している特別レッスンみたいなものだ。 今年初めくらいから都合があえば行かせてもらっていて、昨日、半年ぶりくらいに参加させてもらった。(全然通えていない) 呼吸に意識を向けたり、からだのどこが緊張しているのかを観察しながら、筋トレ的な要素があって、おもしろい。 昔ゴリゴリのジムでパーソナルを受けていたときも、からだのどこに効いているのかを意識しながら、からだ

          からだがカフェインを拒んでいる

          カフェインの離脱症状にずっと悩まされている。 高校生の頃から毎日コーヒーを飲むようになって(飲まない日もあったとは思う)、大学を卒業したあたりで一度「肌荒れの原因はコーヒーなのでは?」と思い立ってやめてみたことがある。 それまでも1日1杯くらいしか飲んでないんだけど。 コーヒーをやめてみた翌日、激しい頭痛に襲われて、その日は寝るまでずっと痛みはおさまらなかった。 これはなんだと調べてみたところ、どうやらカフェインの離脱症状というものがあるらしい。 2日ほどコーヒーを

          からだがカフェインを拒んでいる

          余計なもの

          以前、「目指している将来像はありますか?」みたいなことを聞かれたことがある。 なにかを目指す、っていう行動によって「余計なもの」として排除されていくあれやこれや。 自分の小さな価値基準で、取捨選択して、なにかに「余計なもの」というラベルを張ることにとても違和感がある。(やってしまいそうになるときもある。) だいたい自分を変えてくれたり、導いてくれたり?するのは、予期していなかったような出来事だったりする。 本当に「余計なもの」なんてあるんだろうか。 こどものころ、森

          夢みたいな1週間記録

          先週は夢みたいに時間が過ぎていった。 月曜 早朝飛行機で島根に移動。予定していた仕事がなくなる。母校の演劇部見学。 火曜 高校の恩師とランチ。夕方の飛行機に乗って帰京。江古田の馴染みの居酒屋で友達と3人で飲む。朝4時に江古田をでて友達の家で泥のように就寝。 水曜 朝に松戸に戻ってつつましく生活。 木曜 朝に仕事をぱぱっと終わらせて新幹線に乗って京都へ。初めてのルームメイト滞在中の京都。夜更けまで家でUNO。 金曜 自転車で京都散策。鴨川ですれ違う人たちに意識が乗っか

          からだのいうとおりに生活する

          京都から松戸に帰る予定だった今日。 明日また関西で用事ができたために京都にもう一泊は確定だったんだけど、3連休ということを忘れていて、肉体がひしめき合う新幹線に乗って東京に行くのはやだな、という思いが重なり、連休明けまでは京都で生活することにした。 といっても、3連休でまちにも人がたくさんいるのと明日は雨予報ということもあって、京都を満喫できるのは昨日までだったかもしれないなと昨日までの思い出を噛み締めている。 無理をしない、あたまよりもからだの言うことを聞く、が今月の

          からだのいうとおりに生活する

          旅行と生活の間in京都

          京都の家に家具家電が運び込まれ、いよいよ家っぽくなってきた。 家の前の道路が舗装されてコンクリートロードになったのも相まってなんだか新しい生活のスタート感がある。 うちは日当たりが悪くて家の中に日差しはほとんど入ってこない。 人の気配があるような場所でもないのでめちゃめちゃ静か。 これがもし東京だったら、陰気な気持ちになっている気がするけれど、京都だとそうはならない。 これはもう好きがゆえの京都へのバイアスのせいなんじゃないかとも思うんだけど、来るだけで気分が高まる場所

          京都で集まって、つくる、場

          あちらこちらにいったりきたりすることがお金になってくれたらいいのになあとずっと思っている。 演劇は、留まって、集まって、つくる、から、移動と相性がよい。移動した先々で、その土地の人たちと集まって、つくることができる。でもそれがお金になるのかと言われるとなかなか厳しい。 集まって、つくる、ことがすきだから、構造だけ用意して集まった人たちとなにかをつくる、というパフォーマンスをいろんな場所に持っていく、ことはできるかもなあとか。 気軽に集まれる場所、というのがそもそも京都に

          京都で集まって、つくる、場

          八雲のフィールドワーク

          島根県松江市は小泉八雲記念館にいる。 大学生になるまで、小泉八雲とラフカディオ・ハーンは同一人物で耳なし芳一の人、ということくらいしか知らなかったんだけど、焼津の小泉八雲記念館で演劇の上演をする機会に関わらせてもらったことをきっかけに、すっかり小泉八雲推しになった。 そのあと、個人的にも小泉八雲がみた松江の風景と現代を生活する人たちがみている風景を重ねてみるようなフィールドワーク演劇を創作した。 個人的に小泉八雲のことでいちばん気になっているのが、彼はどのように世界をみ

          家の中なのに「家の外」ってどうやったら作れるんだろう

          さらば9月、ということで、気温もすっかり秋めいてきて…というわけでもなく、今日もうだうだした夏の気温って感じだった。 今日は一日中松戸にいて、チャリで近所のスーパーに買い出しにでかけた程度、家で「こっち向いてよ向井くん」の最終話を繰り返しみたり、オドぜひをみたり、呪術廻戦の2期をみたりして過ごしていた。 家での時間の過ごし方があまり得意ではなくて、近所のカフェとかにいってパソコンを開いた方が仕事が捗ったり、ぼーっとすることができたりする。 理由はなんとなくわかっていて、

          家の中なのに「家の外」ってどうやったら作れるんだろう