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MeToo、だったのに。国際女性デーによせて

前回、直近5年間の振り返り記事を書いてから、頭のどこかが「思い出しモード」になってしまったようだ。随分遠い記憶が脈絡なく出てきて、「人間の頭ってどうなっているんだろう?」と不思議な感覚だった。が、そんな中に、少し衝撃的な記憶もあった。

先日、近所のレストランの張り紙で(なぜか)見かけた「国際女性デー」はいつだろうと思っていたら、3月8日だったようだ。だいぶ遅れてしまったが、今日は自分の気持ちの整理のために、思い切ってあの記憶について書こうと思う。当時、私は小学校低学年だった。

※以下、私が遭遇した痴漢行為の描写が出てきますので、耐性のある方のみお読みください。

学校帰り、当時住んでいた官舎の中を私は一人で歩いていた。午後の早い時間だったと思う。晴れた穏やかな日で、官舎内の広い通路には人気がなく、静かだった。

私の後ろを一定の距離を空けて付いてくる男がいるのに気が付いた。試しに私が足を止めると、相手も止まる。「やっぱり付けられている!」と気味が悪くなりつつ、「随分あからさまだな」と少しおかしく思った覚えがある。

3階建ての官舎には、6軒ごとに専用の階段が付いていた。私が自分の階段の入り口を入ると、男はさすがにそこまでは付いて来ず、通路を行き過ぎた。ホッとした私は普段の習慣通り、階段下の自転車置き場にあった郵便受けに手を伸ばしてしまう。その暗い、狭い空間に入り込んだ瞬間、自分がとんでもないミスを犯したことに気が付いた。

振り返ると、目の前には男、背後に郵便受け。左に壁、右には自転車がずらりと並び、私は逃げ場を失っていた。

どのくらいの時間、男に体を触られていたのか、実際には数秒だったのかもしれない。私には随分長い時間に思えた。ひょっとすると男は凶器を持っているかもしれないという考えが頭をかすめたが、自分の体を、それも知らない男にいじられ続けるのは、もう限界だった。

「やめてください」。何とか小さな声が出た。

男は手を止め、今度は自分のモノを私に突き出してきた。「握って」と言われて従うと、ようやく私は解放された。

「これで家に帰れる! 私は助かったんだ」。急いで階段を上りかける私の背中に、男が声をかけてきた。「お母さんに言っちゃだめだよ」。再び金縛りのようになりながら、私はうなずいた。

私は本当に話さなかった。母にだけでなく、誰にも。今に至るまで。私は決して無口な子ではなかったのだけれど。

当時、自分が何をされたのかは理解できなかったものの、とても恥ずかしい、おぞましいことに参加してしまったと直感した。誰にも知られたくなかったし、思い出すのも嫌だった。人に話すなど考えられなかった。

男の行為の意味に気が付いたのは、だいぶ経ってからだと思う。あの状況であんな場所に入り込んでしまった自分、何も分からずにされるままになっていた自分がどうにもバカな子に思え、疎ましかった。

今、この歳になればさすがに分かる。7、8歳の女の子と大人の男では、体力にも知力にも差がありすぎる。あの場で抵抗できなかったのは無理もなかった。怒りを向けるべきは、その差を利用して犯罪行為に及んだ加害者の方だった。

ただ、私は自分が「被害」を受けたことすら長い間認識できなかった。そもそも現実に起きたことに向き合えなかったからだ。小さな子どもにも、子どもなりのプライドがある。自分が恐怖に絡めとられ、他人のおもちゃにされたのだとは、子どもでも――子どもだからこそ――認めたくなかったのだろう。

私にとってあの事件はあくまで「自分がバカだったから遭遇してしまったこと」。幼い頭が消化しきれなかったままの状態で封印され、「犯罪」とか「被害」といった大人の概念が入り込む隙もなかった。

だから最近「性被害」という言葉をよく聞くようになっても、私は自分の体験と結び付けて考えたことがなかった。随分鈍いな、と自分でも思う。たぶんその鈍さで私は自分を守り、決して二次被害を受けないようにしてきたのだろう。

自分の不甲斐ない「その後」を思い返すと、性被害を告発する人たちの精神力の強さが分かる。もちろん、強くなりたくてなったはずはないのだけれど……。マスコミに顔や名前を出すとか、裁判をするとか、警察に届けるとか以前に、自分の中で被害を認めることさえ、それもごく軽微な被害であってさえ、相当な心理的負担なのだ。「同じ被害者を出さないために」と行動する人たちの勇気に、改めて敬意を表したい。

最後に、この記事を書いていて初めて気が付いたことがある。あの男は官舎の郵便受けの位置を知っていたのではないか?

私を尾行して、どこで犯行に及ぶつもりだったのか。建物の間の広い通路も、各戸に通じる階段もリスキーすぎる。ひょっとして、初めから私が郵便受けに寄る瞬間を狙っていた? だとすれば、たぶん私の前にも後にも、被害者がいたのではないか。

この手のことは、加害者にとってはきっと軽いいたずら、暇つぶしだろう。相手の体を傷つけているわけでもなく、犯罪という意識すらないかもしれない。

でもあの日、相手が凶器を持っているかもしれないと怯えつつ、私が「やめてください」と言ったのは、それほど人に体をいじられるのが耐えがたかったからだ。まるで人形のように――私は生きた人間なのに! 下着の上から触られただけだが、それでも言葉にできない悔しさだった。

「いたずらしただけ。たいしたことはしていない」と思っている常習犯へ――。もし自分が巨人に捕まって、殺されるかもしれない恐怖の中で体をいじくられるとしたら? 何も分からない年齢でそんな目に遭い、思春期になってその記憶に苦しむとしたら? 警察の皆さん、ぜひVRか何かで体験させてあげてください(笑)。

▼ 後日談です

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