サボるの境界とダサい私 -クルミドコーヒー朝モヤに参加してみて-
頭と心は違う?
クルミドコーヒーさんが主催する朝モヤに参加してみました。
影山知明さんの「ゆっくりいそげ」の本を読んでから、参加してみたかった朝モヤですが、国分寺は遠く、朝も早いので厳しいなと思っていたら、オンラインが合ったので、勢いで参加してみました。ほんとに勢いで何も考えずに参加しました。
(探したらFacebookのページがありました。このページ見て参加規模など事前に知っておけばよかった (^^; )
ちなみに、朝モヤは、日常の中で感じたモヤモヤをみんなの前で吐き出し、そしてみんなで少し話して見る場。答えのない会話をする哲学カフェですね。
これはズル休みですか?
今回の朝モヤのテーマになったのが、
「ズル休みは悪なのか、ズル休みとそうじゃない境界は何か?」
でした。
私が出したモヤモヤもこれに関連していて、私が出したモヤモヤエピソードはこんな感じです。
「小学生の娘(長女)が学校を病気でも何でもないのに、休みたくなって、泣いて親に訴えてきた」
ちなみに、休んだ前日に家族旅行行っており、翌日は妻が休暇を取っていたので、妻と一緒に下の子2人とは保育園お休みしていました。
旅行前から、旅行後の次の日は学校なので、学校の準備してから旅行に行こう、といって、準備万端の状態でした。
だけど、いざ当日になると、下の子2人は休みなのに、なぜ私だけ学校に行かないといけないのか、となったのか、すごく行きたくなさそうにし、だけど休みたいと言い出せずに、登校時刻ギリギリになって泣きながら訴えてきたわけです。
この一連の騒動に私はモヤモヤしたわけです。
ただ、何に対してモヤモヤしたのかがわからず、なんかモヤモヤするだけでした。
子どもは私?
こんなモヤモヤを、朝モヤで、ズル休みだからモヤモヤするのかな、と話していたのですが、みんなの意見を聞きながら、また朝モヤが終わってその日ボーッと考えながら、ズル休みだからモヤモヤしているわけじゃないのかな、とだんだん感じてきました。
休む理由がみんな休んでるからという主体的じゃないこと
周りに流されるような生き方を私の娘がしていること
なぜこの2つを感じるとモヤモヤするのか。
やっぱり自分の娘にはいい子でいてもらいたい、という願望が私の中にあるのじゃないかなと、思ったわけです。
娘のいいところがあれば私も嬉しいし、ダメなところがあればがっかりする。
子どもは私の鏡のようにみてしまい、いい子であってほしいと願ってしまう自分がいる気がしました。
休む権利は主張しなきゃいけない?
最近、妻が子どもの権利の勉強をしていて、私も子どもに権利があり、その中に休む権利がある、ということも知っていました。
ちゃんと調べると、子どもの権利条約第31条が「遊び、休む権利」。
子どもは、休んだり、遊んだり、文化芸術活動に参加したりする権利をもっています 。
こういう理由で休みたい、と主張してもらえれば、そこまでモヤモヤすることはなかったのかも、と思いつつ、では、なぜ休むのに正当な理由が必要なのか。そして、正当な理由とは何なのか。
ここで、朝モヤに一緒に出ていた人からこんな意見が出ました。
「休むのにいちいち理由を言うやつはダサい。悪いことをしてると思いながら休めばいい!悪人になればいいのだよ。」
(言葉の言い方は少し違っているかもです。ちゃんと覚えてなくすいません)
結局、休む理由があることで私を正当化しようとしているだけ。
なぜ、正当化したいかは、周りの目を気にしているから。
私を守るために、私という意思表示ができない。
そんなスパイラルに陥っている気がしました。
そして、私だけじゃなく、まだ小学生の娘もそのスパイラルに陥っており、そのスパイラルから逸脱しようとした娘に私がモヤモヤもしたのです。
かっこよく生きる修行
リベラルアーツが大事、という事をよく聞くようになり、私もいろんな書籍を読んだり、音声メディアを聞いて、自分の感性に正直に生きていきたい、と考え始めていたところでした。
そんなときに、朝モヤに出て、私のダサさに気づきました。
俺はこうしたい!
こう主張する難しさ。なんで難しいのだろう!?
朝モヤで、みんながモヤモヤを出し合ったあと、またみんなで意見を出し合って引き続き議論するテーマを1つに絞ります。
最初、私はどれも面白く議論できそうなので何でもいいな、と思い、特に主張をしませんでした。そう考えていた人は私以外にも何人かいたと思います。
すると、ファシリテーターの影山さんから、
「多数決で決めるのではなく、意見を出し合った上で決めたい。何でもよいので、まず自分の意見を言う勇気を出してほしい。」
と我々に助言をしてくれました。
そこからいろんな意見が出たし、私も意見をすることにしました。
ちゃんとした意見を言わないといけない。
まとまってない事を言って時間使うとみんなの迷惑になる。
そんなことを考えがちだけど、それらを無視して、悪人になってみる。
普段いい子ぶってる人は、悪いことしてると思いながら自分の意見を言うくらいでちょうどよい。悪人慣れしよう。
悪人慣れ=嫌われる勇気、ってことかな。
アドラー心理学ですね。
他者の人生ではなく、自分の人生を生きよう
そんなことを考えさせてくれる朝モヤでした。
娘にも自分の気持ちに正直に生きてもらえるように、私がまず自分の気持ちに正直に生きていけるようにならなきゃですね。
(その他、忙しいはダサい、という意見もあり、私はかなりダサい人間でした。)