自分のつくった世界に住めるか。ブリューゲル『バベルの塔』展
バベルの塔の絵はなんとなく知っているけど、画家の名前までは知らなかった。「きっと、神様の戒めを忠実に描いた宗教画のひとつだろう」… そんなふうに思っていた。そしてその思い込みは、東京都美術館を出るころには、すっかりひっくり返っている。
もう一度最初から見て回りたいという気持ちを、とりあえずおみやげの小さなバベルの箱に封じ込めて帰宅した。いまそれは目の前で、コトコトと小さく動いているみたい。知らない人こそ、いくつもの驚きを楽しめる『バベルの塔』展。ぜひおすすめしたいと思って、これを書いています。
■プロローグから『バベルの塔』まで、作品が自然な流れにつなげられている
まずは『バベルの塔』を描いたブリューゲルの出身、ネーデルランドの美術作品をみながら、当時のスタイルをつかんでいく。次にブリューゲルの師匠ともいえるヒエロニムス・ボスの紹介。このあたりから、絵画に秘められた謎の引力が強くなってくる。いつの間にか私たちは、ボスやブリューゲルの生み出した、奇妙で小さな生きものたちの世界の真ん中を通り抜けている。グロテスクで、ユーモラスで、人間らしくもありらしくもないモンスターたちの、かつてない奇想天外な世界へようこそ。不思議の国に迷い込んでしまった私たちは最後に、画家の核心に迫る、バベルの塔に出会う… こんな感じで、美術館という場所ならではのしかけに、すっかりやられてしまった。
ちなみに、音声ガイドはアナウンサーの雨宮塔子さん。バベルの塔子さん、と入口のところに書いてあってちょっと笑ってしまった。
■モンスターたち「正体不明の生きものは、恐ろしいことの予兆」
正体不明の恐ろしい生きものを意味する「モンスター」。ボスから始まり、ブリューゲルもたくさんこれらの絵を描いた。そもそもの語源は、正体不明の生きものや出来事への遭遇は、なにか異常なことが起こる前触れと考えられていたことに由来しているとのこと。胴体が枯れた樹木になった謎の老人、人の頭部が崩れた家、カエル人間… ネーデルランドの画家たちがたくさん描いたこの妙なクリーチャーは、他人や自分の風刺というには、おかしみよりもグロテスクが勝っていて、細かな線がどうなっているのか知りたい私はついひとつひとつに見入ってしまう。小さな絵の中にありったけの念をこめるという考えが根付いているのか、ネーデルランド絵画にはそういうものがとても多い。ひとつひとつに狂気がつまっている。そんな不穏な気配の中を、神の裁きが下る世界の崩壊に、少しずつ近づいていくような気持ちで、ゆっくりと進んでいく。
■ついに、『バベルの塔』
人々の言葉が神によって分かたれたため、世界が混乱(バラル)して塔が完成しなかった、というのが旧約聖書の物語だ。塔を建てた目的は町を有名にするためとあるので、全体的には人々の野心にたいする神の戒めの物語だと解釈されている。
ブリューゲルはバベルの塔を題材に、全部で三点の作品を描き上げている。(そのうち一点は失われてしまっている)そういえば、世界最大のニセモノ美術館「大塚国際美術館」にあったのは別の絵だった。今回来日しているのは、最後に描き上げたもの。思っていたよりもずいぶん小さいことに驚いた。集大成ともいえる最後のバベルのサイズを下げるなんて、いったい画家はなにを考えていたのだろう。なにを省き、なにを描いたのだろう。思わず前のめりになってぐっと目を凝らすと、旧約聖書の物語には収まりきらないものが、見えてくる。
どっしりとしたケーキみたいなこの建物は、いまでこそそれっぽい感じもあるけれど、この絵が描かれた16世紀には、これほどまで大きな建築物は実在していなかったはずだ。ブリューゲルはローマのコロッセウムを手本に彼の塔のイメージをふくらませていった。その数枚のスケッチも展示されている。
パノラマの左側には田園風景が見え、右側には港がある。絵の外にはきっと産業の発展した世界が存在していて、そこへ行き来しているであろう立派な船が見える。ブリューゲルは、紀元前の物語をネーデルランドに置き換えたのだという。絵の中には、なんと約1400人もの人間が描かれていると知って驚いた。じっくり目で追っていくと、塔の建設にかかわる仕事をしている人々の他に、教会や洗濯物まで見える。赤のグラデーションや、白い帯のような箇所も、もちろん人々の営みがあってこその色彩だ。壮大さと緻密さをあわせもつこの世界を情熱という言葉で片づけるのは雑すぎる。私たちは、ひとつの町を調査しているような気分で、絵の前に立っている。
■自分のつくった世界に住む
バベルの塔についての3D映像を館内で上映していた。これがとても素晴らしくて、ほんとうに塔の先端に立っているかのような錯覚になり、地上からのぼってくる風やレンガの手触りを感じて、鳥肌が立つくらいだった。約7分半、その世界観に浸りながら、ふとある考えが浮かび、じわじわと確信に変わった。ブリューゲルはきっと、すでにこの塔の住人になってしまっていたのではないだろうか。労働者たちと一緒に赤レンガの粉や白い塗料にまみれ、秘密の階段を抜けてまだ手つかずの空洞に響く音を聞き、故郷の自然に思いを馳せたり船出を見送ったり、ときには祭事で塔の完成を祈るなどして、昼夜を問わず生きた人間としてそこに住んでいたにちがいないと。
まるで「自分のつくった世界に住めるか?」と画家に言われているようで、心臓がドキッとした。
神の戒めの予感としてなのか、右手から雷雲が近づいている。しかし塔はそんなことおかまいなく、依然として完成に向かっている。まるで永遠に時間が流れているかのような感じもする。「神の怒りよりも、人間が挑戦する場面を選んでいる」とはボイマンス美術館の館長の言葉だけれど、まさに人々は挑戦中なのだ。だから、このあとに来るのが言葉を分けられた混乱の世界だと知っていても、画家はなにも放棄せず、描き続ける。「この目に見えるものに、言葉なんか必要ない」。私たちの気持ちを騒がせるのは、いつだって最後のピンで留められた魂のメッセージだ。確かにそれは証明されたのかもしれないな、なんて思う。
以上、知らなかったからこそ劇的に感じられた『バベルの塔』展の感想でした。24年ぶりの来日だそうです。
■さいごに
キャラメルとモンスターシールが一枚入った小さなバベルの塔。六種類のうち、どれが入っているかはお楽しみ。
案の定、少しかわいらしくてとんでもなく気持ち悪いモンスターが入っていました。
■基本情報
ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル『バベルの塔』展
東京都美術館にて、2017年7月2日まで。
9:30~17:30(金曜は20:00)、入室は閉室の30分前まで。
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とても感動したのと、投稿が久しぶりなのとで、いつもより長めのnoteになりました。ここまで読んでくださってありがとうございました:-)
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