過去の痛みと未来の希望は、つながってなくていい。『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観て
淡々と映し出される港町と人々、語らない主人公。それなのにずっと泣けるのは、この映画が「再生をそれらしく描いた物語ではない」と気づいたときからだ。あまりにもこわれすぎて、元通りにならないかもしれない心。そのあるがままの姿に、誰もがもつ癒えない傷を、そのまま肯定してくれる淡い光の存在すら感じるような映画だった。
■ ストーリー
故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーから、兄が心疾患のため緊急入院したという知らせを受けた主人公のリー。車で一時間ほどの距離をかけつけたものの、すでに彼は亡くなっていた。兄の遺言により、その高校生の息子パトリックの後見人に指名されていることが判明したリーは、激しく動揺する。彼には、どうしてもマンチェスター・バイ・ザ・シーを離れたい理由があった。
■ 過去と現在を同時に生きている心
全体を通して説明が少ないため、久しぶりに帰郷したリーの細かな言動から、おのずとその背景を想像することになる。その答えをうめるように、断片的なフラッシュバックがリーの過去を描く。ほどなく私たちは、かつてリーがマンチェスター・バイ・ザ・シーで幸せな家庭を築いていたらしいことを知る。少しずつ過去がわかってくるにつれ、これまでなにげなく理解していたリーという男の人生が、だんだん違ったものに見えてくる。
窓の外をふと眺めるリーにとって、そこにあるものは過去の情景でしかない。誰の心にも哀しい思い出がふとよみがえることがある。だからこそ過去も現在も等しく目の前に流れているようなこの見せ方に、グッと引き込まれる。時系列よりも感情の流れに、私たちは現実を感じる生きものなのかもしれない。
■ 希望の根底にあるのは、誰かの役にたつこと
人はいつだって生きる意味を探している。しかしリーの人生は、誰が見ても意味づけをするには過酷すぎるものだ。業ともいえるほどの深い悲しみをもつ彼をかろうじて支えることができたのは「パトリックの後見人になること」という兄の遺志だった。心の傷が癒えないリーはパトリックの親代わりにはなろうとしない。しかし親の役割として車で送迎した食事を共にしたりしているうちに、リーは「自分自身としてふるまう」という自由を求めるようになる。その結果、二人の距離はぎこちなくも縮まっていくように見えた。
最初は「行く」という言葉ひとつの意味さえ取り違えるほど距離のあったリーとパトリックが、なんとかグダグダのキャッチボール(?)まで行き着いたシーンに、少なくとも何かひとつだけは乗り越えたような感動を覚えた。私たちは生きる意味だとか人生だとかをどうこう言う前に、役割として存在するだけでお互いをもう支え始めている。希望の根底にあるのは、誰かの役にたつことなのかもしれない。そこには、自らの死に備えて、この遺言を準備していた兄の優しさも垣間見える。
■ 傷の痛みは人によって違う
登場人物の多くは喪失という共通をもっている。乗り越えようとする人もいれば、そうでない人もいる。傷の痛み方もみんな違う。ある人にとって傷はいまだburning(燃えている)だし、別の人にとってはfreezing(凍っている)だ。
全感情を完全に遮断して生きているリーほどではないにせよ、私たちも心の一部を麻痺させながら現実を生きることがある。どうにかふんばって、それを修繕しようとさえする。でも、苦しみ方はみんな違うのだ。ぜんぶ一緒くたに扱って、乗り越えろなんていう権利が誰にあるのだろう? 過去の痛みと未来の希望がつながっている必要なんてない。そう思えたら、私たちは少し自由になれるし、社会には少しだけ優しさがもたらされるのだと思う。
兄の形見の船を、リーは売却しようとし、パトリックは維持しようとする。さいごに彼らは、すべて現実的な方法で折り合いをつける。それぞれ思っていたような終わり方ではなかったかもしれないけれど、おだやかな波紋を見つめる二人に、かすかな希望が重なり合うようにも見えた。凍てついた冬に閉ざされていた港町が、心から美しいと思えるような瞬間の風景だった。
■ さいごに
ついこの間、ある人と久しぶりに会ったとき、ふと過去の話になった。その話になったとき心臓がぎゅんとなるような感じがあって、しばらく上の空で曖昧に返事をしながら、ああ、まだこの傷は癒えていないのだな、とわかった。でも『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観て、そんなものもうそっくりそのまま瓶詰めにして捨てたってゆるされるんじゃないかな、と思った。結局のところ、ゆるすかどうかは自分次第なのだから。
荒い海に乗り出して過去の怪物を退治することだけが人生ではない。私たちはいつだってすぐそこにある新しい希望の舵を握り、行きたい方向へ進んでいくことができるはずだ。そんなふうに思う。
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