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50代でエンディングノートを書くと言い出す母/私の病院嫌いのルーツ


先日母とランチをしていた時のこと。
私が病院嫌いで薬も嫌いなルーツがわかった。

*健康診断を拒否する母

母が突然「近所の60代の人が急に亡くなって、自分(50代半ば)にも何があるかわかんないからエンディングノートを書いてみようと思うんだよね」と言い出した。

ノートを書くのは悪くないと思う、
でもその前にきちんと健康診断を受けて今の身体と向き合って欲しい。
何年も健康診断を受けないで病気が見つかることから逃げているくせにノートを書き始めるのはどう考えても順番がおかしい。
妊娠していないのに出産準備を始めるくらいおかしい。相手がいないのに結婚式のことで悩むくらい狂ってる。
まずは健康診断だ。
とにかく健康診断を受けてほしい。

両親は2人揃って本当に病院が嫌いだ。

花粉症なのに「耳鼻科って混んでるから」と毎年市販薬を飲んでいる。
コスパの悪さを指摘したら「でも初診料かかるし、休みの日に時間を作るのも面倒だから市販薬で充分」とのこと。

いやいやいや!日本の保険制度を舐めるな!
市販の1/3の値段で市販より強い薬を出してもらえるんだぞ!
待ち時間だってスギ花粉のピーク前に予約して行けば30分もあれば受付から薬の受け取りまでできるって。

父は会社員なので毎年きちんと健康診断を受けている。しかし父の扶養に入っている母は健康診断を受けていない。
希望すれば受けられるのに面倒だから行かない。
一応婦人科のがん検診と歯科検診だけは受けるから大丈夫と自信満々に言っていたが、血液検査や尿検査はもう何年も受けていない。

母曰く「病気が見つかったら怖いでしょ」
そしてさらに「大きな病気って健康診断ではほとんど見つからないらしいし、休みの日丸一日潰したくない」

私は説得を試みた。

彼の叔父は健康診断で初期の癌が見つかったこと、大学の健康診断で糖尿病が発覚した友達のこと、病気があるなら悪化する前に治療した方が絶対にいいこと、50代なら1つくらい病気が出てもおかしくないから早めに対処した方がいいこと。
これらを丁寧に力説した。

それでも母は頑なに「めんどくさい」と動かない。
思えば私は母が歯医者と予防接種以外で病院に行く姿を一度も見たことがない。
更年期の症状で困っても、咳が出てもそれくらいのことでは病院には行かないのだ。
頭が痛くても「飲みすぎて効かなくなったら困るから」と市販薬さえ飲まない。

母は薬や病院自体を完全に嫌っているわけでも、自然派治療や怪しい宗教に頼っているわけでもない。

私が子供の頃に熱を出した時や蕁麻疹が出た時、怪我をした時は迷わず病院に連れて行ってくれたし、中学生以降は病院に行きたいと言えば私の体調を心配して、お金も出してくれて、必要な時には付き添いもしてくれた。
もちろん必要な予防接種は全部受けている。

きっと母も私と同じように、他人のためには簡単にできることでも自分のためとなると途端にやる気がなくなってしまう人なのだ。
よく似た親子だと思う。

母が自分のために病院になかなか行かない理由の一つとして「病院は長時間待たされる面倒な場所、一度行くととても疲れる、手間がかかる」と
長年祖母の付き添いで通っていた大学病院で刷り込まれたことが大きいと思う。

とても大きな病院なので予約しても2-3時間待つことが当たり前のところだった。
でもそれは例外なのだ。
単身で行く町医者はそんなに待たない。
付き添いの時のように介護タクシーを手配する必要もない。

どんなに力説してもめんどくさいと行く気になってくれないのでうんざりして
「健康診断受けないならもう会わない」
「ままの大切な物を盗って健康診断が終わるまで返さない」
「ままが健康診断を受けないせいで私の婚期が遅れる」
とか、意味不明なことを言ってごねまくった。

彼とはすでに同棲しているしお互いの親と祖父母に挨拶を済ませて具体的な入籍の時期の話もしているので今更婚期が遅れるも何もないが、せっかく大事な一人娘が最高の人と結婚が決まりそうなのにダメになったら嫌でしょ?と圧をかけた。

ままが大切にしているテディベアを誘拐する案は本気でありだと思ってる。
(家族全員テディベアを家族として扱っているのでこれはかなり有効なダメージになるはずだ。)

ごねにごねてようやく熱意が伝わって、
最終的には「予約の取り方の確認してみようかな」と言ってくれた。
本当に予約してくれるだろうか。
母が大切だからずっと元気でいて欲しくて苛ついてしまったし、しつこく言ったことをわかってくれただろうか。

最近GETした女児グッズを自慢したらわりと深刻な顔で「大丈夫?」と心配されてしまった。
いや、そんなことより自分の身体の心配をしてください。

ダイソーのステッキ。
お気に入り。

*病院嫌いは遺伝していた

帰宅してから彼にこの話をしていて気づいた。
私が病院が大嫌いで薬は飲まない方がいいと思っているのは両親の考え方を受け継いでいるのだ。

この考えは去年大学病院の婦人科で「辛いなら薬はどんどん飲んでいい、我慢しなくていい」と言われたことで徐々に変わっていった。
とてもいい先生で私の長い長い生理の歴史と恨みと悲しみと不安を丁寧にヒアリングして、それを否定せずそっと思想の歪みに気づかせてくれた。

私の根底にあった「ロキソニンは飲みすぎると効かなくなるから本当に辛い時しか飲んじゃだめ」という常識が打ち砕かれ、それからは我慢せず飲むようになった。
そもそもロキソニンを飲みすぎると効かなくなるなんて事実はない。
「飲み過ぎ」というのは毎日3錠以上飲み続けたりすることで、毎月1.2錠飲むことではない。
これはロキソニンの公式HPにも書いてある。

先生の言葉は私の常識を180度変えた。

*25歳でやっと薬と正しく向き合えた

「薬は飲まないのが一番」から「辛かったら薬を飲んでいい」に急転回した私は加減を誤った。
毎日ロキソニンを2錠以上飲み、
睡眠薬をありったけ飲み、
デパス依存に陥った。
しかも平気でお酒で薬を飲んだし、
食後の薬を空腹でも関係なく飲んだ。
とにかく「薬で楽になる」感覚に溺れた。
極端すぎる。

書いていて、幼少期に何かを厳しく規制された人は大人になってその欲望を大爆発させてしばしば制御不能になってしまうことを思い出した。
私の場合は病院から隔絶されていたわけではないが無意識のうちに「薬を飲むことは悪」と刷り込まれていてそれと相反する「薬で楽になる」欲望が爆発したようだ。

彼の協力でどうにか離脱症状を乗り越え、
「容量用法を守る」ができるようになった。
25歳、大成長だ。

それでも幼少期から形成された価値観である「薬は飲まない方がいい」を完全には打ち消せない。
今は毎日服用している薬が3種類ある。
どれも信頼している先生が私の回復のために必要だと判断した薬だ。
私はこれらをきちんと飲んで病に向き合って治すべきだ。
薬は敵ではなく、私と手を繋ぎ共に健康な未来に向かう手助をしてくれる存在だと理解している。

でも、ちょっとだけ心の奥では
「毎日薬を飲まないといけない自分は病人だ、薬が必要なうちはダメだ、早く薬を卒業しなきゃいけない」とネガティブが生き残ってる。
この考えを完全に払拭できたら、私はもっと前に進めると思う。
薬さん、仲良くしてください。


*ピルが合わなくなる理由がわかった

「薬に頼るのは悪」と思っていた頃にピルを5-8年くらい飲んでいた。
その間で何度も種類を変えた。

なぜか同じ薬を長期間飲んでいるとPMSがどんどん激しくなり、薬の時間になると具合が悪くなり、飲んだ後に気持ち悪くなるようになってしまうのだ。
何種類ピルを試しても毎回同じだった。

ヤーズフレックスは一番長く飲めていたけれど、
それでも仕事に行けない日が増えて、1ヶ月のほとんどが体調不良でしんどかった。いつ来るかわからない不正出血にも振り回された。
そしてピルを諦めてミレーナに挑戦することにした。

ずっとなぜこんなことになってしまうのかわからなかった。
何度も何度も不安に駆られ検査してもらったけれど異常はなく、先生も「なんでだろうねえ、メンタルの落ち込みが辛いなら頓服出しとくね」といった感じだった。

それが今になってわかった。
私自身の呪いが原因だった。
「こんなもの(ピル)を毎日飲むのが辛い」
「薬なんか飲まないと会社員ができないなんて無様だ」
「薬なんて飲まないで生きられるようにならないとダメだ」
「頑張ってピルを飲んでるのにPMSが0にならないなんておかしい」
「ピルを飲んでいる自分が嫌い、飲まなくても健康な人が羨ましい、妬ましい」
そう思っていたメンタルの不安定さ、薬に頼る自分を責め続ける心が体調不良を起こしていたのだ。

ミレーナが合っているのでピルに戻すつもりはないけれど、もしまた服用することになったら今度はきちんと付き合えると思う。

noteを書くようになって、気づいていなかった自分の内面が見えるようになってきた。
正直仕事ができなくなった直後のことや生理と闘ってきた暗い過去を思い出すのはとても辛い。
辛くて書けなくなって途中で消した記事もたくさんある。
それでもこれは私に必要な作業だ。

過去の自分を認めてあげなければ、
今の自分を大切にできるようにはなれない。

人見知りの激しかった小学生の私も、
見栄っ張りだった中学生の私も、
メンタルが不安定だった高校生の私も、
自分がいかに平凡かわかった大学生の私も、
会社員を頑張った私も、
現在の私も、
全部全部繋がってる。

過去を認めて許して、
愛せるようになってみせる。

最近は大葉を収穫する時間が1番の癒し。






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