ACPの重要性 実体験から感じたこと①

こんにちは!

お盆ですね!暑いです!!

今年は遠出はできないですが。

あの時、家の近くばかりで過ごしていたよねーと振り返れる日が早く来ますように‥。

ということで。

記事を読んでくださっている方、ありがとうございます。

今回は、ACPに関する私の実体験を書きたいと思います。


幸い、私の両親はこれまで大病をしておらず、兄弟や義両親をふくめ身内のACPを具体的に立てた経験はまだありません。

なので今回は、祖父の話です。

(以前飼っていた大切なウサギの話もありますが、それは次回以降に‥)


祖父は、私が研修医の時に、肝転移をともなう胃癌と診断されました。

たしか7月頃、自宅近くの病院で。

入院先の病院にお見舞いに行く途中、祖父の娘である母から聞かされました。

そして90歳を過ぎていたので、

特に積極的な治療はしないことになりました。

母とその妹、弟たちで決めたんだと思います。

私はまだ研修医でしたが、何もしなければ近々亡くなる事は容易に想像できました。

そして、しばらく入院していましたが、自宅に退院。

亡くなる直前、ちょうどお正月で親戚が集まる場に祖父もいました。

ほとんど何も食べられず。むくみもひどかった。

会話もほとんど成立しないけれど、

なんとか和服を着させられて、その場に座っていました。

今後、介護ベッドなどを家に入れるか、などの話を母と妹、弟たちがしていました。

私はそんなに長くないんじゃないかなと思っていましたが、

母の妹も弟も医者なので、研修医の私はあまり口を出せずにいました。

そして、もう祖父とお別れだという悲しい気持ちで、私は一人暮らしをしている家に帰りました。

その直後、1週間後くらいだったと思いますが、

ある朝母から連絡があり、

祖父が肺炎で前日の夜に病院に運ばれて、その後亡くなったと知りました。

私はなんで病院に運ばれた時点で教えてくれなかったの、と母に責めるように言いました。

母は、そんなにすぐに亡くなると思わなかったと言いました。

救急搬送時、自宅で息が苦しそうになり、搬送先をあたっていた時、

胃癌と診断され入院もしていたその病院の当直医が、

自分は循環器内科医なので、肺炎はみれないと断りかけたと、

後で聞きました。


ここで、ACPの重要ポイントが2つあります。

1つは、家族間で十分話し合うこと。

もう1つは、急変時の搬送先の病院をきちんと決めておくこと。


1つ目については、今思うと、お正月に会った時、私が母に、

祖父はもしかしたらもうそんなに長くないかもしれないから、

何かあったらすぐに連絡して、と言っていれば、

入院した時点で連絡をもらえ、祖父を送るためのわずかな時間を過ごせたように思います。

ほんの数時間でも、たとえ会えなくても、そういう時間は本当に大切です。

患者さん、利用者さん家族を見ていてもそう思います。


もう1つ、急変時の搬送先の病院については、

かかりつけの病院の主治医の責任が大きいところですが。

家族としても、何かあった時には受け入れをお願いしますと、一言その主治医に言っていればまた違ったのではないかと思います。

肺炎を循環器内科医がみれないなんてことはないでしょう。

それは循環器どころか内科医ではありません。

きっと忙しいか疲れていたかで断る口実にしたんだと思いますが、

ただでさえ悲しい最期に余計な嫌な思いをしなくて済むように、

主治医の責任で、

かかりつけの患者なので、救急要請時は受け入れるように、とカルテの目につくところに記載しておく必要があります。

どうやってその当直医に受け入れてもらったか。

おそらく、祖父の娘である母の妹はその病院に関連する大学病院の医者なので、そのあたりを伝えたのかと思います。

そこまで言わないと受け入れてもらえなかったのだとしたら、それは悲しいことです。


長くなってしまったので、続きは次回にしたいと思います。

今回は、主に患者家族の目線からのお話でした。

書きながらも色々と思い出して、複雑な気持ちになりました。

それでは、また。

よければ次回もよろしくお願いします!!



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