閉鎖病棟②
前回のつづきです。前回はこちらから。
境界性人格障害(通称ボーダー)、解離性健忘、適応障害、〇〇(薬物の成分)中毒。4つも病名がついてしまったと当時はめちゃくちゃに落ち込んだ。が、きちんとした病名がやっとついたおかげで「自分はまともな人間ではないんだ!良かった!」という謎の嬉しさもあった。
ボーダーというのは簡単に言うと性格の極度な歪みからくる病気。診断基準はDSM-5(精神障害の診断基準)によると
①見捨てられることへの極度の不安
②不安定で激しい人間関係を持ち相手の理想化と過度のこき下ろしを繰り返す
③不安定な自己像・または自己感覚
④反復的な自殺・自傷行動
⑤気分の急激な変化
⑥慢性的な空虚感
⑦不適切な強い怒りと感情の制御困難
⑧ストレスにより引き起こされる一時的な精神障害
あとで調べたらボーダーは精神科の中でも「病気」というカテゴリーには入っていないので言ってしまえば「性格がどちゃくそに歪んでいる人」という扱い。なので国から障害年金がおりたりするような支援は受けられないし、⑧の一時的精神障害に含まれる鬱状態や躁状態、不眠や腹痛、またパニック発作を起こした時に出される薬はあるが、対処療法にしかならずボーダー自体を治す薬は無い。
解離性健忘というのは、強いストレスがかかった時に脳が自己防衛をしようと勝手に働いた結果記憶喪失になること。最初は薬のせいでは?と思っていたが薬だけが原因じゃなかったらしい。今現在薬はやっていないが(今年入って一回だけやっちゃった)noteを更新するのに昔のことを思い出すと記憶がすっぽり抜け落ちてるところがいくつかある。それも幼少期から。
適応障害というのはボーダーにも繋がるのだが、実家に適応できずついた診断。私にとって劣悪な環境であった「実家」という場所に適応しようと努めてはいたが健忘は起こるわ薬は飲むわ性格が歪んでボーダーになるわで社会に出たら実家とは真逆の環境でびっくり。父と母に見捨てられないよう嫌われないよう生きていただけなのに。最悪。
最後の薬物中毒に関しては前回までの文章に書いてあります。
M先生から病名を説明されたあと入院の際の精密検査で脳が萎縮していることと腎臓が弱っていること、また血圧があまりにも低いこと(瀉血やらリストカットやら大量に流血するようなことをしていたからだと思う)が告げられた。「ここでゆっくり過ごして社会復帰しましょうね。ここには社労士さんもいるから相談も出来るし、薬物乱用のリハビリもできますから」と言われた。
AちゃんがM先生と話し終えた私に「で!病名なんだったの!?その話でしょ!?」と聞いてきた。告げられた診断を言うと「ボーダーかあ。あー面倒なタイプだね。ああごめん、面倒っていうのは〇〇(私)が面倒なんじゃなくて厄介な診断ってことね」とまるでボーダーである私の心を透かしてくるように私が不安にならない言葉で慰めて(?)くれた。
一時保護所に閉じ込められていた時よりもまだ開放的な閉鎖病棟は私にとってものすごく居心地が良かった。いつでも慰めの言葉をかけてくれるAちゃんのような友達やプライマリー、(失礼かもしれないけど)私なんかよりもずっと症状の重い患者さん達もいてようやく気を張らずに済む場所に来れたんだと安心した。
印象的な患者さんが何人かいるので、その中でも強く記憶に残っている子を書き残しておこうと思う。
YちゃんもAちゃんと同じく強迫性障害だった。病棟内には強迫性障害の子が多くいたが、その中でも彼女は圧倒的で水を飲むことを禁じられていた。なぜなら、Yちゃんにとって「水を飲むこと」が自傷行為に繋がってしまうからだ。Yちゃんは1日5〜10リットル以上の水を飲みわざと低ナトリウム血症を起こし気絶する、みたいなのを繰り返していたせいで、Yちゃんのプライマリーは常にYちゃん専用の水筒を渡しそれ以上の水を飲むことを禁止していた。私が閉鎖病棟に入ってから2ヶ月くらいした頃、Yちゃんが急性期病棟に移動になった。急性期病棟は入院前や入院中症状が重くなってしまったときに入れられる。檻がついていてトイレも寝具も全部廊下から丸見えの常に看護師さんに監視される病棟で、天井の隅には監視カメラまでついている。いきなり何の予告もなく急性期病棟に移動になったYちゃんのことをAちゃんに尋ねたら「トイレの水飲んだんだってさ。スゲー……私そこまで出来ないよ」と言っていた。
Sちゃんは慢性チック症。病棟内でいきなり奇声をあげる。「キーーーー!」や「イギギギギ」という感じの奇声を大声でいきなり発するので病棟に来たばかりの私はビクビクしていたが1ヶ月もいれば慣れてしまった。チックは本人の意思と関係無く出るのでいつも奇声をあげた後「ごめんねごめんね」と謝っていたが、Sちゃんはプライマリーから「2週間以上チックが出なかったら外出許可ね」と言われていたそうで、1日に5回以上チックが出るのにそんなの不可能に近いじゃないかと思ったのを覚えている。
Tくんは解離性同一性障害。いわゆる多重人格の子。今まで多重人格って本当にあるの?と半分都市伝説くらいの気持ちで思っていたがTくんはまるで役者のようにコロコロと性格、いや人格が変わっていた。彼は主人格のほかに7人いると言っていた。朝食の時は女の子みたいに膝をピッタリと揃えてお行儀良く食べていると思っていたら夕飯の時には赤ちゃんのようにスプーンと箸を握り泣きじゃくりながら机を両手で叩いていた。別人格に変わる瞬間を見る機会があったのだが、T君がいきなりガクンと脱力して10秒くらい意識が飛び、他の人格が出てくる。T君曰く意識が飛んでいる数秒の記憶が全くないらしい。「朝は女の子だったのにね〜」と看護師さん達がTくんに話しかけると「知らないもん!知らない知らない!」と言っていたのでそれぞれの人格の記憶の共有はされていないことがわかった。
Oさんは病棟では最年長(と言っても23歳くらい)で、顔が整っているし落ち着いた雰囲気を纏う美青年だった。みんな過去のことを思い出して辛くなったりするとプライマリーより先にOさんのところに行って「辛いよ〜」というと「よしよし」と頭を撫でてもらったものだ。しかし夜薬を飲む時必ず看護師さんの前で口に入れて飲み込んだことを確認させられるのだが、Oさんだけは服薬後もずっと看護師さんにチェックされ、病室の布団まで一緒に行くくらい厳重に監視されていた。Oさんはこの病棟にもう2年以上いるらしく、私がくる前に脱走した過去があったそうで、前回話した通り3種類の入院方法の任意入院で入ったOさんは任意だと許される「外出許可」でその外出中にコンビニ強盗をし新幹線に乗って大阪まで逃げたそうだ。結果3日後に警察に捕まり医療保護入院という形で戻ってきて、私が入院している間彼に外出許可が出ることは無かった。その話をAちゃんから聞いてから彼の病名を聞くのが怖くなり、結局私が退院するまで彼の素性は謎に包まれたままだった。
他にも様々な症状、病気を抱えた子が集まるこの青年期病棟は毎日不思議なことでいっぱいだった。不思議なことでいっぱいだったのが慣れてきた頃「〇〇さん、OTに参加しましょうか」とプライマリーに言われた。OTというのは作業療法と言って精神病のリハビリのようなもので、病棟外にあるOT施設に行きみんなで折り紙を折ったりバレーボールをしたり、時にはパソコン室でタイピングをするOTもあったのでネットサーフィンも許された。ネットサーフィンと言ってもSNSの類はセキュリティがかかっているのでYouTubeで好きなボカロを聴いていただけだったが、それだけでも心が癒された。
病棟に来て半年が過ぎた頃、「〇〇さん、薬の管理してみる?」とプライマリーに提案された。今まで毎食後に飲む薬を管理されていたのに突然そんなことを言われて驚いた。「〇〇さん〇〇中毒でOD(薬の大量服薬、オーバードーズの略)歴あるから注意してたんだけど、もう1人でできそうだしやってみようか。最初は3日間から始めてみよう」とパケに入った3日分の薬と「薬管理表」という紙をもらった。