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僥倖

演劇やライブは直接見たい。
その場の空気の振動まで、肌で感じたいからだと思う。

表現を通して、演奏を通して、隠しきれずに漏れ出てくるその人自身の思い入れを見たい。
その人の特別を見たい。

表現を見ているときに、その場に実体のないものが同時に見えることがある。
それはその人の“らしさ”がイメージとして具現化されたもので、ある時は光のようだったり、樹木や花のようだったり、大きな波や水流のようだったり、火炎や灯火のようだったりする。

そうしたイメージが見えるときは、自分がその人に魅せられているときで、自分自身はその場に溶けてしまって感覚がなくなるような気がする。
(感覚がなくなるような感覚ってどういうことかしら?私はなにを感じているの?わかんないけど)

そういう、その人が輝いているときだけに発される輝きのイメージに、圧に、押し潰されたい。

その人が輝くことができるのは、輝きに至るまでの愛情や燃やしてきた執念があるからで、それを感じられる機会って限られている。
普段日常で遭遇できるかと言われると、なかなかそうではない。

観に行った舞台やライブ全てで感じられるわけでもない。
限られた瞬間にだけ突如沸き起こる爆発的な輝き。

それに立ち会えるのは僥倖としか言えない。

生の音楽も表現も、そこでしか味わうことができない。
次の日になれば記憶と化す、夢や幻のような時間を、これからも求めてしまうし、手放すことはできない。

私も、私を観に来てくれる方へは私の特別を見せたいし、輝きを見せたいし、その圧で押し潰される体験を味わってもらいたい、し、、

押し潰すくらいの愛情と気概をもってのぞみたい。


-先日観た『宮原健一郎感謝祭 』(2022.11.17)に寄せて



おわり!

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