人の事情を考えることとは。
こんにちは。
私は人と接するとき、この人はこうゆう人なのかなと思い接してみると、「あ、こうゆうことを考える人でこうゆうことを思ってるんだ」とか、すごいテンションあげあげで明るい人だけど、辛い経験してたり、今も大変な思いをしながら実は生きてるんだって驚くときがあります。
その時自分は勝手に人をこうゆう人だと決めつけたことに対して反省します。
でも、私が人の事情を考えることについて書こうと思ったのは自分の経験があったからです。
私はテンションがとても高くて変なことも沢山しますが、それはなにも考えてなくてそうしてるわけではありません。
私もいろんな私になってみて今の私にとどまっています。
どんな人も信用しない自分、人間関係の問題を避けるため人と関わらないオーラを出してた自分、人を恨み続けた自分、とりあえず全部我慢する自分。
いろいろな自分を経験しました。今はとりあえず楽しむ自分です。自分のなかでどんなことも、無理矢理でもプラスに考え楽しく乗り切る自分です。
人には事情があります。
私みたいに自分探しをしてる人もいるし、家庭環境でその人あり方が変わったりもするし、過去に人間関係のトラブルがあったらそれを避けようと人と関わろうとしない人だっています。
いくら仲が良くても、その人のことを知ってると思っていても、全部を知っているわけではありません。
だから、知らないのなら黙るか知る努力をしなければなりません。
その人を知っていると思ったがゆえに言った一言が、知ろうとせずに決めつけてしまっていった一言で「恨み」は生まれます。
私は自分がどこかで頑張っていることを、苦労したことを人が知る必要はないと思っています。だってそんなん、みんな頑張ってるし大してすごくもないから。
でも、もしかしてこれらを知らないから分かったようなことを言う人がいるのかなと思うととても複雑です。
だから、人には誰にも事情があるという事実だけを知り人と接した方がいいと思います。
読んでいただきありがとうございました。