命の選択の話〜家族目線〜
今日は往診の先生に家族も同席するように言われていた
母が気管切開をするかどうかの大事な話
気管切開をすれば寿命は全うでき
しなければ生きていくことは…
ALSと診断されて以降
本人は気管切開をしないという強い意思がある
家族に介護負担をこれ以上かけたくないし
手足がきかない喋れない不自由さがつらいと
本人の意見が1番なのは頭ではわかっているけれど娘としては心が追いつかない
救急車は呼ばないでと言われているけれど
苦しそうにしていたら
そこでも本人の意思を通せるのか自信がない
トラブル続きの我が家では
母との結束力はいちばん強く絆も深かった
それはアナフィラキシーショックで
目の前で倒れられたことが影響している
他にも災害や家族のアルコールを理由とした避難
付き添い入院や病院巡りも多かったからだ
何かあれば相談して
別々に住んでいてもよく話していた
はじめは生きていて欲しいと
気持ちを本人に伝えていたけれど
3年間生活の浮き沈みがある中で
強くは言えなくなってしまった
交流のあったALSの方では
気管切開前にきっぱり生きますと言っている方に出会えたことはなく
ほとんどが日々迷うか気管切開しないと言っておられ
ただ身近なご家族の中に医療従事者がいるお宅は
気管切開されている方が数名いらっしゃった
母には1日も長く長生きして欲しいと思いつつ
苦しんではほしくない
この想いをいったりきたり
どうすれば生きてもらえるのかを考えてしまう割に
自分が体力的に24時間365日介護できるわけではないので引き止めるのは無責任だと思ってしまう
引き留めたところで母の意見は変わらないのは知っていて
引き止めるほど辛い想いをさせてしまうので口にしづらくなった
母の前では泣くまいと数週間前から思っていたのに
いざ話し合い当日を迎えると
先生の話をお話を聞けば聞くほど涙が溢れ…
「今日は娘さんもせっかくきてもらってるからね。娘さんもお母さんにはもちろん生きていて欲しいだろうし、生きてなくていいとは言いにくいと思うし言えないと思うんだよね…」
途中まで聞いて
あっもうだめだと
こぼれる涙をタオルで顔を覆い慌てて
医師や看護師さんやヘルパーさんのいる部屋を後にする
大切な話なんだからリビングに戻らなきゃ!
と思うほど涙がこぼれ
こんな時に!止まれ涙!と自己嫌悪
話し合いになるはずが
先生からのお話でほぼ終わってしまった
いる意味がほとんどなかった
娘の私がいうのも何だが
母が居ると居ないでは家の中の雰囲気も全く違う
いつも穏やかでニコニコしていて愛嬌のかたまりみたいな人
とにかく優しい
自分のことより人のことを優先してきたのを間近でみてきた
新薬の開発などはほぼ期待せず
日々を楽しく生きることにシフトしていた
生き様もすてきだ
母の気持ちを尊重し
覚悟しなきゃいけないとはわかっていても
どうしても無理で
やっぱり母がいない生活は
介護生活が3年経っても覚悟ができない
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