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一旦サヨナラ、きっかけ・健太さん
僕は、同世代の中では比較的多くの場所に訪れているほうだと思う。趣味の範囲なので全く誇れるものではないが、日本国内に限れば、通過しただけの場所も含めて都道府県の半数以上に足を踏み入れている。が、地図上では身近な存在であるにも関わらず、立ち入ったことのない地域があった。それが、四国である。僕が生まれ育った大分県とは海を挟んで隣り合っているのに、機会と用事がなく、これまで未踏となっていた。そんな僕が先日、訳あって初めて四国へ渡ることにした。その理由は、とある男性の姿を目にするためであった。
川井健太。サッカーのJ2・愛媛FCの監督である。今回は、彼の何が僕を惹きつけ、愛媛まで足を運ばせたかという点、また愛媛の地で僕が何を見たか、について記していく。
前提として、プロスポーツクラブを運営するのには莫大な資金がかかる。三菱重工の浦和レッズや富士通の川崎フロンターレ、NTT東日本グループの大宮アルディージャのような強力な親会社やメインスポンサーを持つクラブと、そのような後ろ盾を持たない地方のクラブではどうしても規模に差が出てしまう。愛媛FCは後者で、経済状況では2部リーグにあたるJ2の中でもかなり下位にある。練習場は試合で使う天然芝ではなく人工芝、活躍した選手はより資金が豊富なビッククラブに移籍していく……という風に、設備的にも人材的にも厳しい状況だ。2018年、成績不振で前任の監督が解任されたが、監督を雇う予算は当然ない。そこで白羽の矢が立ったのが、愛媛の下部組織を指揮していた健太さんだった。当時36歳。「火中の栗」を拾った(拾わされたのかもしれない)のは、クラブで初めての地元出身監督だった。それもトップチームの指揮は未経験。愛媛のJ3降格を予想したサッカーファンも居たかもしれない。
しかし、健太さんは冷静に、それでいて熱く、チームを導いていった。敗戦後も「選手は一生懸命やりました。負けは自分の力不足」と、環境や選手のせいにすることはなかった。
この辺りはサッカーに詳しくない方は流し読みする程度でも問題ないのだが、もう少し深く、愛媛FCのサッカーの歴史と健太さんの取り組みについて紹介したい。数年前、愛媛FCがJ2で上位に食い込んだ際、木山隆之監督(現・仙台)の下、守備はきっちりと粘って守って、ボールを奪ったらゴールへ一直線、というスタイルのサッカーに取り組んでいた。確かに、このサッカーでJ1目前まで行ったこともある。が、読んで頂いて分かる通り、木山監督のサッカーは「受け身」だ。受け身のフットボールが戦術として劣っているわけではないのだが、木山監督が去った後、このやり方をずっと続けるわけにはいかなかった理由がある。それが、前述の苦しいクラブ事情である。他のクラブのように思い通りに補強が出来ないのは、他より優れた給与を支払うことが出来ないからだ。となると、それ以外の面で勝負しなければならない。つまりは「魅力的なサッカー」を展開することで、選手が「愛媛でプレーしたい」と思う土壌をつくる必要がある。健太さんは、そんな愛媛FCに「ボールを大事にするサッカー」「自分たちで主導権を握るサッカー」を植え付けようとしていた。実際、世代別日本代表に選ばれていた神谷優太をはじめ、下川陽太や長沼洋一など、将来性のある期待の若手が期限付き移籍で愛媛で成長することを選んだ。僕はずっと愛媛FCを追いかけていたわけではないので、ここに記したものがすべて正確とは言えないが、愛媛FCに関する記事や健太さん、選手のコメント、そして愛媛のサッカーを見ての感想から総合してこの通りで間違いないと思う。
確かに、愛媛FCは弱かった。繋がらないパス。遠い相手ゴール、簡単にシュートを枠に飛ばす相手FW……。若き天才・神谷は柏レイソルへ、下川はツエーゲン金沢へ、長年愛媛を支えた走り屋・近藤貴司は大宮アルディージャへと旅立っていった。地元出身の玉林睦実も、坊主頭のエース・河原和寿も引退した。18位→19位→21位。30勝24分58敗。これが、「川井愛媛」の2年半の成績だ。この数字だけを見て、健太さんを批判する声もよく見かけた。「プロは結果」、本人もよく言っていたが、その通りだ。退任も、結果が出なかったから首を切られる、そういう世界だ。しかし、本当に健太さんの2年半はクラブにとって無意味だったのか? 健太さんのやってきたことは愛媛FCに何ももたらさなかったのか? そう僕は思う。今年は降格なしのルールに助けられたとはいえ、2018年に降格圏にいたクラブをここまでJ2に残留させ、そのうえで、クラブに「主導権を握る」哲学を根付かせようとした、その功績はどうなんだ、と。
ここまでたどり着くまでが長くなってしまったが、12月16日、僕はフェリーで愛媛へ渡った。愛媛FCの今季ホーム最終戦、ニンジニアスタジアムで僕が観たのは、J1昇格を目前にしたアビスパ福岡に圧倒される愛媛イレブンだった。序盤こそボールを保持して攻め込むシーンが見られたが、徐々にアビスパの強度に押し込まれ、2失点を喫した。後半も、パスを回して攻め込むものの1点が遠い。そのまま0-2で敗れ、目の前でアビスパの昇格決定を目にすることとなってしまった。昇格するチームと例年なら降格していたチームの差は、あまりにも大きかったのだ。
試合後、昇格に沸くアビスパの選手やサポーターを見届けた後、愛媛FCのセレモニーが行われた。1年間の応援、支援に感謝するものだ。こういう時には、サポーターから横断幕でメッセージが掲げられるのが恒例となっている。僕は、成績が思うようにいかなかったため、厳しい意見がぶつけられるものと思っていた。実際、(株)愛媛FCの村上社長の挨拶時には、
『決定的に劣っているのはフロント』
『ビジョンの無い場当たり経営はもううんざり』
『18位→19位→21位→来季降格枠4』
西田主将の挨拶時には、
『ひたむきさは?泥臭さは?愛媛らしさはどこへいった?』
と、クラブを糾弾するような文言が並んだ。正直言って、愛媛FCを愛し、支えているサポーターが怒るのも仕方がないと思った。それと同時に、監督にも責任がある、ということを出されるのか、と覚悟して、監督挨拶を聞くことになった。「まずは、今日の試合、勝利を届けることが出来ず申し訳ありません」から始まった挨拶、成績不振に関するお詫びの言葉、「選手のせいでも、クラブスタッフの問題でもありません。これは、私自身の問題です」との言葉。去り際まで、誰のせいにもすることはなかった。「しかし、選手はどうだったかわかりませんが、私は、今シーズン苦しいと思ったことはありません。選手が、私の背中についてきてくれたので」と、選手たちへの感謝も。
僕はゴール裏の新たな横断幕を見た。
『いつか必ず 健太とやりたい』
健太さんの言葉の1つひとつに湧き上がる感情を抑えていたが、このメッセージを見た僕は堪えきれなかった。健太さんが、地元のクラブ、高校生の頃から所属してプロになったクラブのためにやってきたことは、愛媛のサポーターに伝わっていたのだろう。僕は、「健太だけのせいじゃない、またいつか帰ってきてくれ」と、サポーターが願っていると捉えた。挨拶の終盤、健太さんの姿は涙でよく見えなかった。
この後に挨拶した、今季限りで引退する西岡大輝も「健太さんの下で成長できた」と話し、前野貴徳も「健太さんのサッカーでやりがいを感じた、この成績は選手の責任も大きい」とメディアで発言した。僕のサッカー好き仲間の何人もが、健太さんの退任を惜しんでいた。
最後に、雑誌での「川井監督にとって愛媛FCとは?」という問いへの健太さんの答えを記しておきたい。
「今はまだわからない。でも、いちばん愛着のあるクラブ。それはこれからも変わらない」
まだ39歳、これからもっと色々な現場で様々な経験をして、いつかまた彼の大切な愛媛FCを率いてほしい。健太さんの指揮するサッカーに魅せられた1人のファンとしての、ささやかな願いである。