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記事にならなかったものたち

まえがき


 本格的にnoteを利用し始めてからおよそ1年半、数々の記事を公開してきた。しかし、完成に至らずに下書きに眠っている記事や、タイトルだけ思いついて着手しなかったものなどはまだまだたくさんある。そこで今回は、単独で記事にすることがかなわなかった文章たちを短編という形で消化していきたいと思う。数が多く、またどれも一度挫折したテーマであるから、非常に練度が低いものも混ざっている可能性がある。その点についてはご容赦願いたい。

批判への批判

 僕は批判が大の苦手である。するのも、されるのも出来れば避けたい。しかし、SNS(特にTwitter)にはそれが溢れている。的を射た適度な批判が世の中に必要なのは理解しているが、可能な限り目に入れたくない。
 世にあふれる批判に対して僕が過剰に心を乱してしまうのは、受け取り方に問題がある。自分に関係ない、全くの他人が批判されているものも真っ向から受け止め、落ち込んでしまうのだ。「男性」や「若者」、「九州出身」など、僕に当てはまる属性が糾弾されていると、問題とされている行為に心当たりがなくても、勝手に思い悩んでしまう。
 僕自身に向いたものであれば反省して改善に努めることができるが、そうでないものには対処のしようがない。であれば無視していれば良いのだが、我が事のように捉え、頭を抱える。本当に無駄な感情である。

 余談だが、僕は人が悲しみや苦しみが原因で泣いている光景も苦手だ。エレベーターに手を挟んだ子供の絵などがその代表である。何人たりとも、つらい思いをして欲しくない。おそらくそれが僕の根底にあるのだろう。
 ……ということにしておきたい。僕がその立場になることを想像した時の、保身の意味での恐怖かもしれないが。


エブリシング ルッキンルッキン

 タイトルはミドリ『エゾシカ・ダンス‼』から。

 僕は自分のことを「真面目そうに見えるけど実は全然そんなことない」という風に捉えていた。しっかりしてそう、と幼い頃から言われ続けていたためだ。
 しかし、最近はそうでもないらしい。理由は簡単、少年時代の僕と現在の僕では見た目が違うからである。坊主頭にメガネ、校則を遵守した制服の着こなしといういでたちだった小中学生の頃、外面はどう見てもガリ勉小僧であった。そこへいくと今の僕は、コンタクトに変えて髪も伸ばしているし、特別身なりに気を遣っているわけでもない。少なくともこの情報だけでは誠実さをイメージできるポイントは見当たらない。
 もちろん当人が醸し出す雰囲気なども相手への印象の与え方に影響するのだろうが、外から見た情報ほどではないだろう。メガネを掛けているから真面目、などというステレオタイプな決めつけは時代錯誤ともとれるが、印象(偏見と言ってもいい)は思考より先に来るものだ。人間は無意識のうちに他人をラベリングしてしまうところがある。
 僕は未だに、自分を学生の頃の外見で考えてしまうことがある。実際に鏡に映るのは顔の丸くなった青年であるから、思考と現実のギャップが生まれる。
 慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

平均年齢爆下げ男の憂鬱

 交通警備の現場には、若者が非常に少ない。実際に工事を行う方々には若い方も珍しくないが、僕と作業を共にする社員の方々は大抵が僕の両親と同じくらいの年齢か、それよりも年上である。したがって、大学中退後の僕は同世代との会話量が極端に少ない。月に数回、サッカー好き仲間の友人と会うのが関の山だ。
 憂鬱、というほどのことではないが、この環境に身を置いてしばらく経ち、少し困ったことがある。それは、「人の年齢が分からなくなった」ということだ。
 具体的には、20代と思った人が30~40代だった、といった事案が増えている。僕の生活環境では40代の方でも若手の部類のため、全体的に人が若く見える。
 実年齢よりも下に言うと喜ばれそうなものだが、明らかにズレたことを言うとボケのようになってしまう。流石に感覚が狂いすぎているので、何とかしたいところである。


嘘つき冷や子の一生

 僕には咄嗟に嘘をつくという悪癖がある。例えば、職場で社員さんに休日の予定を聞かれたときに、本当は1日中家で過ごすつもりでも、友人と遊ぶ、と言ってしまう。
 どうでもいい嘘が大半だが、この癖が身についてしまっているため、大事なシチュエーションにおいてもそれが出てしまうこともある。嘘は相手からの信頼を損ねる行為だ。これは本当にどうにかしたい、と常々思っている。
 が、今日もまたやってしまった。美容室にて、普段よりも短めのヘアスタイルと、普段はしていない眉カットを要望した際、「週末はデートがある」と嘘をついてしまった。僕なんかが何もない時にオシャレをしては嘲笑される、などと勝手に考えて予防線を張る、なんとも矮小な人間である。
 嘘の大半は僕の見栄や自尊心からくる。日常の行動から嘘をつかないように心掛けているが、瞬間的に口から虚言が飛び出てしまうこともある。これはもう手に負えないため、すぐにお詫びして訂正することを意識している。その場で訂正しなければ、誤った情報を取り消すタイミングは来ないからである。

〈リクエスト〉Jの転換期 横浜F・マリノスから見るこれからの"スタンダード"

 ずいぶん前に友人から来たリクエストである。サッカー好きは読者の方々の中でもごく一部であるし、僕自身がF・マリノスサポでも戦術マニアでもないため、内部事情やピッチの中で起こる現象には言及しない。
 ひとつ、僕からでも言えることがあるとすれば、「Jリーグが世界の市場の中に含まれた」ことだ。シティ・フットボール・グループ(CFG)の参画により、日本人選手にとって海外挑戦が身近なものとなった。宮市亮や浅野拓磨、宇佐美貴史らが若くして直接ビッグクラブに行っていた頃と違い、J2で活躍した選手がF・マリノスを筆頭とするJ1クラブへとステップアップし、そこからさらにベルギーやスコットランドに移り、プレミアリーグなどの所謂5大リーグへ挑戦する。そんな例も夢物語ではなくなった。若いうちに比類なき才覚を発揮できずとも、段階を踏んで成長し、そのゴールにビッグクラブがある、その路線は確立されたように思う。
 もちろん、ステップアップのどこかで壁にぶつかる選手も居る。F・マリノスがJ2から獲得した選手をあまり起用せずに放出すると「放流」「J2の生態系を乱すな」と話題になる。しかし、選手が挑戦しやすくなったこと自体は素晴らしいことだ。それは間違いない。
 ただ、これは「選手本人」と「獲得する側」の話である。移籍市場には「移籍される側」の物語もある。これに関しては、セリエA(イタリア)のフィオレンティーナを応援している方のブログを引用するので、ぜひ読んで頂きたい。

加害者になってしまったら

 人間をふたつに分ける方法は様々あるが、そのうちのひとつに「被害者と加害者」がある。僕はこれまでの人生において、加害者になってしまいがちであった。悪意の有無にかかわらず、不器用な人間はそうなってしまうことがある。その経験から、皆様がもし加害者になってしまったら、何を心掛ければいいのかを書こうと思う。
 とは言っても、ひとつの原則を守れば後はそんなに大切ではない。その原則とは「ほとぼりが冷めるまで自分の気持ちを語らない」ことだ。
 自分の行動が原因で被害者を出してしまった場合、こちら側が何を言っても言い訳と捉えられてしまう。ただひたすらに反省しておくべきだ。
 しかし、自分の心に嘘をつくのは難しいことだ。納得のいかないこともあるだろう。そんな時は、しばらく経って周囲が落ち着いてから、当時の心境を表現すると良い。僕のように文章を書いてもいいし、誰かに話しても良い。

 加害者になってしまうとずっと負い目を感じて生活しなければならない。そうならないことに越したことはない。
 と、こうやって万人が見られるツールに書き込んでいるのだから、負い目など無視している僕の軽薄さがよくわかる。

〈リクエスト〉親は大事にしよう

 友人からのリクエストである。

 少し前に、友人のお父様が亡くなった。僕もお世話になっていたので、急な出来事に混乱したが、友人は僕の比ではなかっただろう。しばらく経ってからその友人と会う機会があり、話した時に言っていたのが「親は大切に、と書いてほしい」ということだった。
 彼の家族は非常に仲が良かったため、喪失感もまた大きかったのだろう。僕は幼い頃に曾祖母を亡くして以来、身内の不幸に遭遇していないため、軽率に気持ちがわかるとは言えないが、日常が突然終わってしまうのは恐ろしいことだ。

 家族仲が良く、生まれてから今まで実家で暮らしている彼ですら、「もっとこうすればよかった」と後悔することもある、と話していた。僕は人間をどう物事が転んでも後悔する厄介な生き物だと思っているが、この局面についてはそれも致し方がない。愛ゆえの後悔だろう。
 ベタな話だが、僕も皆様も、身近な人間を大切に日々を過ごすべきである。

あとがき

 1つひとつはあまり肩肘張らずに書き連ねたつもりだが、終わってみれば4000字にも届こうかという文量になった。
 書きたいのに書き上げられず、ずっと気になっていたものを消化できたので、内容はともかく、完成の事実については非常に満足している。

 自己満足である。

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