2017.11.14(卵巣破裂発症)
さて、13日の夜、いつものように就寝しました。
午前2時ごろだったでしょうか。お腹がシクシク痛くて目が覚めました。何だろう、何か悪いものでも食べたのかしら?と呑気に思っているうちに、どんどん痛みが増強し。今まで陣痛がマックスの痛みと思っていましたが、その9/10くらいに一気に痛みがきました。横で寝ている主人を起こすこともできず。そして痛みは容赦無く、さらに強くなります。
強烈な嘔気でオエーっ、オエーっとえづくのですが、胃が空っぽなので何も吐けない状況です。流石に起きてくれた主人も、呆然としている有様でした。
これはおかしい、絶対普通じゃない。腸管穿孔?腹膜炎?盲腸が破裂?? じゃなかったら・・・卵巣、かな。 唐突に、なぜかそう思いました。これが茎捻転、ってやつかしら。不妊治療の時に卵巣が腫れてしまって、突然の痛みに注意するよう言われたことを頭の片隅で思い出していました。でも正常にものを考えられないほど、ただ、ただ痛い。ひたすら、痛い。
主人にお腹触ってみるから仰向けになって、と言われても、返事もできず、まさに身の置き所のないほどの痛みにのたうちまわっていました。失禁もしていたようです。とりあえずトイレに行きたいとベッドから滑り落ちたら、そのまま動けなくなってしまいました。主人は近くの総合病院に電話をかけに行ってしまいました。
体が冷たくなって意識が遠のきます。本棚の一番下に並んでる本の背表紙が、ぼーっと霞んで見えて。
手首を触診してみても触れず、ああ、これは結構血圧下がってるなあ。もう、ダメ、かも・・
騒ぎを聞きつけた娘が起き出してきて、”ママ、どうしたの?大丈夫?”と。その声を聞いて、あ、ちゃんとしなきゃと反射的に思った覚えが。
”・・お腹・・痛いの・・トイレ・・行きたい・・”
どうにも立ち上がれず、這ってトイレまで行って、娘に手伝ってもらってなんとか便座に座ることができました。これじゃあ救急車にも乗れないよ、と着替えを持ってきてもらいました。
気力で動けたあたりから、身もだえするくらいの痛みが若干落ち着き、普通の辛目の陣痛レベルになりました。
医者が救急車呼ぶ判断って、結構難しいんですよね〜 どうしよう、呼ぶべきか、でも夜中だし、近所の人飛び起きてきそうだし、ワンコは大騒ぎするだろうし・・何よりこんなぐちゃぐちゃな家の中、そして狭い階段、ストレッチャー通らないよね〜〜 いつもクリニックに来てくれる方が来てくれちゃったらどうしよう・・なんて、くだらないこと心配しちゃったりして(汗)そして大騒ぎして行ったはいいけど、なんでもないってことだけは避けたい・・いや、今回はほんとに大事だったんですけれども。
地元の総合病院に電話をして交渉しても、当直帯なので朝まで様子を見るよう言われ、ただそこまでの余裕はなさそうだったので、クリニックの名前を出して、医師であること、おそらくは婦人科系の疾患ではないかと思うこと、緊急性があると判断しますと申し出て、当直の婦人科の先生が見てくださることになりました。
2階のリビングスペースにあるソファーベッドで寝ていて、少し復活して来たので、主人の介助で階段を下まで降りられたため、救急車の要請はしないで、このまま家の車で病院に向かうことにしました。
当時高1の娘が、なんと大変役に立ちました!私の着替えやら、バッグの保険証やら、指示通りテキパキと用意してくれて、自分の着替えとパパも着替えさせ、タオルや毛布も持って来てくれて。パパの方が動転してましたからね。やはりこんな時、女性の方が強いのでしょうか・・娘、産んどいでよかったですw
近くの総合病院は、隣の駅、車で10分程度のところにあります。クリニックからも重症患者さんをお願いする病院です。地方都市あるあるで、人手不足となり、婦人科お休みしていたのですが、東京医大から派遣で来ていただけて、数年前から産科が、2017年の春から婦人科が再開されたばかりでした。あとで知ったことですが、この日は他から当直のバイトの先生が来て下さっている日だったそうです。看護師さんに聞いたところによると、”コウノトリの綾野剛”に似ていると評判の先生だったとか。車椅子でヘロヘロだった私は覚えておらず、とても残念でした(笑)
なんだかんだで病院についたのは4時くらいだったでしょうか。(当直する側としては、一番嫌な時間帯です〜)お若いのに優しい先生でした。すぐに超音波で診察して下さって、”両方の卵巣が腫れていて、片方が破裂している疑いがありますね、入院して経過を見ましょう”、とお話しいただいて。
そのまま救急外来のベッドでしばらく待つことになりました。
卵巣破裂、と聞いて、真っ先に腫瘍か、癌だろうな、という予感めいたものがありました。子宮頸癌の検査は毎年していたものの、卵巣は調べていなかった・・ そういえば最後に受けた超音波の検査は娘の不妊治療してた時かも・・ 皮肉なことに、その週の木曜日に人間ドッグの予約が入っていて、今年は超音波のオプションもつけていたのでしたが・・ただ両側と聞いて、チョコレート膿疱の破裂かも、という微かな希望も生まれました。
私はすっかり忘れてましたが、このとき付き添ってくれていた娘に、”ママが万一今回助からなくても、頑張って絶対にちゃんと宝塚受験するのよ、そして受かって宝塚に行きなさいね”と言われて怖かった、そうです(笑)人生で死を覚悟したのは初めてだったと思います。(いや、ヘタレの私は、そういえば娘を産んだ時も、もう死ぬかもって思ったのでした。こんな痛い思いをして子供を産むなんて、みんな気が狂ってるのかと思った覚えが(汗)
お腹はずっと痛かったものの多少落ち着き、点滴も入って病院にいる安心感でうとうとしている間に日勤帯の時間になり、病棟から爽やかにS先生がお迎えに来てくれました。イケメンくんです。ケーシーの袖の東京医大マークが懐かしく。あ、東医の先生なんですね〜とお話しさせていただいた記憶があります。
とりあえず、空いていた産科の個室に入院させていただきました。手術は、翌日15日だと東京から手術のお上手な名誉教授の先生がいらっしゃるとのことで、午後のオンコールで行われることになりました。
手術の説明にS先生とW先生がいらっしゃいました。卵巣はなるべく温存を試みるがおそらくは全切除、腹腔内の洗浄を行うことに加え、子宮はどうするか、との質問に、”あ、もう一緒に取っちゃってください” とお願いしたのは、もしチョコレート嚢胞で、他に病変もあったりしたら癒着も強いかもしれないので、残そうとしないほうがいいのかな、もう子供も生まないしね、といった思いからでした。”即決で大丈夫ですか?まあ発症母地を残さないってことにもなりますしね”と先生方はおっしゃいましたが、あけて見たら子宮体部にも病変が見つかったため、これは本当に取ってしまってよかったのかもでした・・
さて、今日1日余裕ができた、今のうちに、と、お腹の痛みの合間に、各方面への連絡やら、予定していた宿のキャンセルやら、バタバタ過ごしているうちに1日が終わりました。
当初は1週間の入院予定だったため、23日に娘の大事な宝塚受験写真の撮影と、日舞の会があり、この時はそれまでになんとしてでも退院する気満々だったのです・・