ねぇ。抽象化って、ちゅうしょうか?
抽象化。抽象化。ちゅうしょうか。ちゅうしようか。チューしようか。
何をいきなり言っているのかと思う人もいるだろう。
先日友人と抽象化について話をしていたのだ。
抽象と具体を行き来することが出来る、どのレベルの抽象次元で話をしているかがわかる人が頭のいい人なんじゃないかという話だ。
ただこの記事ではそんなことはどうだっていい。
フランスにおけるキスという愛情表現についてだ。
私はヨーロッパの観光地に旅をする度にカップルを目にし、特に日本人カップルなんて見た日には羨ましさで爆発している。
もちろん日本人が白昼堂々キスをすることはそんなにないのだが…
フランスではそうはいかない。レストラン、道端、電車、オマケに授業中までどのタイミングで気持ちが昂るのかは全くわからないが見つめあってはキスをする。
そもそもフランスではキスに対する価値観がまるで違うのだろう。
彼らは小さい時から社会生活の中でキスを強いられてる。
私の感性からしたら強いられているなのだけれど、きっと彼らにとっては強いられてすらないだろう。
友人に会ったら、親戚に会ったら、男同士でも女同士でも、時に先生と生徒でもだ。
これ、日本だと地域のPTAなんかがワーッと叫ぶんじゃないか?
あ、ここまで読んで勘違いしていたら申し訳ない。
このキスはあくまでも頬にキスだ。
ただ私が授業中に目撃したのはもちろんカップルのそれではあるのだが…
この全てが全てマウスtoマウスならさすがにフランスでも問題になるだろう…特に先生と生徒。
今回はそんなキスにまつわるお話。
ニースからの帰路でバスに乗って居たのだが、連休の最終日というのもあってかなにやらカップルが多い。
前の2席、左前の2席、後ろの2席とカップルだ。
そんな私の横にはサッカーのユニフォームを着た綺麗な目をした小学生ぐらいの少年。
そんな可愛いボクはまだきっと恋愛とかそういう感性はないのだろうが、横でずっとスマホゲームにお熱だ。
でもたまにオセロなら僕らもカップルなんだぜとでも言いたげな眼差しで見つめてくるのがツラい。
そのきらきらした眼を大事にするんだぜ少年。
そしてバスが走ること1時間…
その間のカップルの好き放題キスをするのなんのって…
別に行為自体にどうってことはないのだけれど、その音よ…もうちょっとなんとかならんのかその音…
音。
そう。音よ…
それそれ。君が今想像してるであろうその音。
それが私を囲むように鳴り響く。
そう。協奏曲(シンフォニーとフリガナをつけたい気分だ)。
何回したか数えてやろうか?とも思えるような音量と不快さだったのだけれど、私もそこまで精神が強くないのでイヤホンへ逃げる。
その後さらに30分ほどバスを走らせたとき、ここがキス我慢大会の会場だったなら秒で負けてたであろう後ろ2席のカップルのうち女性が立ち上がる。
トイレか?とも思ったが何やら違うらしい。
別れの時間のようだ…
その時私は気づいた。
彼らは彼らなりの遠距離なのだと。
彼の方が終点であり、次のバス停でもあるモンペリエに住んでいるのかはわからないが、それでも彼女の降りたバス停とは最低でもバスで30分はかかる距離にあたる。
30分。
日本に居るときによく
時差ができるまでは遠距離と言うな。大阪東京間とか余裕やて。
なんて言うのだけれど、それは全くの無意味な話で、30分であろうが1時間であろうが、はたまた15時間であろうが、当人達にとって遠いと思えばその時点で遠距離なのだ。
だって小学生の初恋とかで、好きな子がとなり町の学校に引っ越しちゃったら、それはもう疑う余地もなく彼らにとって遠距離だと思わないか?
この感覚にピン来ない人は秒速5センチメートルを見てくれ。
今すぐに。
そして遠距離は暗いトンネルのようなもの。
30分でも会えない時には寂しいと思うだろうし、離れる前にはきっとキスもしたくなるのだろう。
そしてなによりお互いが同じ方向に進んでいないと出口に君の姿はないのである。
そんなトンネルを前にしてどうしてキスせずして別れることができようか。いや、出来るはずがない(反語)。
フランスという地にてnow processingで遠距離をしているので、キスなんてできるはずもない私ではあるが、そんなことを思っていると、先まで不快だと思っていたカップルに微笑ましさすら覚えた。
そして私は次のバスに乗り換えヴァカンスから現実へと帰るのである。