春の初め、花が咲くことを知らせる風の名前。 … 「あぁ〜、寒っ」 暖かくなってきたと思ったらまた 寒さが戻った。しかも今日は風が強い。 「どうしようかな。」 風を通さないダウンにしようか、 春っぽいベージュのコートにしようか。 「そういえば、、」 この緑のブルゾン、 ここに何年も掛けてあるだけで着てないなぁ この服もずっと畳っぱなしで今年も去年も来てない。 「うん。」 着ていない服はまるで眠っているようだ。 全く着ていないのに、どこか疲れている服。 それに比べて毎週
その年に初めて耳にする鳥のさえずりのこと。 どこか嬉しそうな歌声。窓の外から届く春を告げる声。 まだ肌寒くても確かに冬が去っていく合図だ。 … 「あ、この声は、、」 つかの間の晴れ間、外から小鳥の声が聞こえる。 気付けば最近暖かくなったな。 「集中しよ。」 機織り教室の部屋には明るい太陽の日差しが入る。 ぽかぽかして暖かい。 ガタン、ゴトン。 ちゅんちゅん。 ガタン、ゴトン。 ちゅん。 「できました~!」 やっと織り上げた布。 ガタン、ゴトン。 ちゅんちゅん。 ガタン
寒さを防ぐために閉じられたままだった北向きの窓を 穏やかな空気に誘われ、開け放つ。 久々に開いた窓は風や光を取り入れ 寒さで強張っていた体にほんのりと春の気配を届ける。 さあ、春を迎える準備が始まる。 … 「ふぁ~、すー。はぁ。」 呼吸をすると、身体の緊張が和らいでいくのが分かる。 寒かった日々も和らぎ暖かい日が多くなってきた。 「あれ?」 ふと外に目をやると、梅の花がひとつ。 あんなに寒そうにしていた木も花を咲かせた。 「そっか」 窓を閉め切っていたから気付かなかっ
ドアを開けてみると、、そこは真っ暗だった 「おーい、誰かいないのかい」 「おーい、おれはここだよ」 「おーい、おーい、、」 返事はない 聞こえるのは自分の声だけだった 「おーい、おーい、、」 . . . しばらく歩いてみると 遠くの方にだれか縮こまって座っている 「どうしたんだい?きみ」 『話しかけないでおくれ』 「ここでなにしてるんだ?」 『ひとを、待ってるんだよ』 「だれを?」 『おとなになったぼくをさ』 「だれなんだ?それは」 『みちる
「はたらく」とは 周り(はた)を楽(らく)にすること お金のために「働く」現代 でも元々は人それぞれの得意分野を 出し合って、やりあって、 支え合って、補い合うことだった お金のやり取りをする中でも 物々交換のような、 世界へ戻っていけたらいいなぁ (縄文時代とまではいかなくても) 得意なもの、やっていることを与え合う give&give 町の商店街はそうだと感じた それぞれが得意分野で店を出し それぞれがお客様としても行く 何かあったら助け合い、声を掛け合う す
人は知りすぎてしまった 人は考えすぎてしまった 人はやりすぎてしまった 過剰に求めるあまり 過剰にいろんなものが生まれてしまった 内側から生まれる五感を 外側からの刺激で埋め尽くしてしまった 無 見るのをやめ 聞くのをやめ 食べるのをやめ そのとき湧いてくる感情を感じるんだ 欲求が出てきたら一度だけ我慢してみる 欲求はなにか自分の中で 価値観が違うことを認識して 心がもやもやしてるときに現れやすいそう イライラしたことがあったら 甘いものを欲する 辛い悲し
他人は他人、わたしはわたし ではなく そもそも地球の生命は一つであったとすると 相手にも自分にも優しくできるだろう 憎んだり、妬んだり、羨んだりもなくなる そして人間だけでなく この大地、植物、ほかの生命のことも 大切にできるだろう すべてはひとつだった 別々に考えるからややこしくなる複雑になる 人の表と裏もそう 表ばかりの人もいなければ 裏ばかりの人もいない 表と裏、表裏一体、、表も裏もない 全て含めてそのひとだ 区別するから裏ができる 区別するから争いが起こ
人の背中は見えるのに 自分の背中は見ようとしても見れない 人の背(やなとこ)は目につくのに 自分の背(やなとの)は目をつむりたくなる 自分と相手 違うようで同じ 相手はただそこにいるだけなのに そこになぜイラッとくる?目につく? それは同じことが自分の中にあるから 内側を現してくれてるのが相手なんです 自分の中になければなにも感じないはず 目の前にいる人は写し鏡 周りを見渡してみて どんな人がいると思う? どんな人が見える?どう見えてる? 感じることすべて あなた
終わりは寂しかったり やめることはなんだか穴がぽっかり 空いてしまったような感覚になる けれど、 なにか始まる前には その前の現象に必ず「終わり」がある 夜が終わらなければ朝は来ないし 小学校が終わらなければ中学にはあがれない 終わることでなにかが始まる おわりはじまりは別々ではなく同時に起きるんだ 始めたいことがあれば まずは「始めることをする」のではなく 「終わらせることをする」 終わらせると、始まるから ひとは始めるためにどうするかに目が向くけれど 終わらせ
「出す」「手放す」ことに恐怖を覚えたり 「受け取る」ことに抵抗があったりする でも、それじゃあ 出すことも受け取ることもできない 出すためにはどこかで受け取る必要があるし 受け取るためには出す必要がある ここではまず「出す」ことに 注目してみる なぜ「出す」ことに抵抗がある人は その「出す」「手放す」ことに注力している 出すことでなにを得られるのか その先になにがあるのか そこがもっとも重要である 例えば、 ひとに話す、相談する(ことばに出す)ことで 「頭の中や気持
いやー、これは面白い話。 日の出が登るとともに起きて、生きるために植物を育て食べて、日が沈む頃寝る 元々はシンプルなものなのに (シンプルながらに大変なことはたくさんある) 夢、希望、想像、期待、不安、恋、仕事、人間関係、色々な想いや感情、 様々なことを重ね合わせ結果的に複雑になる。 不安の98%は起こらないのに 変に心配してしまったり、その不安や悩みで ずっと頭の中をぐるぐるさせてしまって 生きてる心地がしなかったり なにごともシンプルで単純なのに。 そう思うと
パートナーが理解してくれない 両親が理解してくれない 職場の人が理解してくれない そんな経験はだれしもある なんでだよって怒れることも 悲しくなることもある むしゃくしゃすることだって、、 そんなときに、視点を "理解してくれない相手"に向けるのではなく "理解させてこなかった自分"に向けてみる そもそも、 相手のことを理解しようとしなかったのは 自分の方なのではないか? 理解しないということは 自分と違う意見をもっているということ それはどんな意見があって
強い言葉を使うときは 曲げない想いがあったり やわらかい言葉づかいのときは 穏やかだったり 汚い言葉のときは こころが乱れていたり 想いはすべてことばに現れているんだけれど。ひとはあまり、そこに注目しないみたい そして今見ている世界、現実は 発したことばと同じ世界になっている ネガティブなことを発したら そこはネガティブな世界になるし ポジティブなことを発したら そこはポジティブな世界になる これもまたおもしろい。 強く伝えたいとき リラックスしたいとき あえて
「人生は後ろ向きにしか理解できないけれど 前を向いてしか生きられない」 これは 自分が体験したこと(過去)しか理解できないから 自分を信じて前(未来)を向いて歩んでいこう とも捉えられるんだけれど 本質は違う。 それは、 よのなかに自分以外の誰かがいるからだ なぜいろんなことが想像ができる? なぜ夢が見られる? いままでの経験から新しく生み出すこともあるが それとおなじくらい 誰かの経験値や誰かが体験したことを 見たり聞いたり読んだりして想像し 自分と照らし合わせな
みなさんおひさしぶりです。 また始めることにしました、note。 自分らしく生きる なにかきっかけになれたらうれしいな 毎日の綴る言葉を見てくださっている方へ noteは本を読むのかのように 空いたときにでも覗いていただけたらと思います よろしくお願いします𓂃◌𓈒𓐍 さて、本題 もう、そこにあったのね。(きゅん) 今のニンゲンは常に「不足」を見ていると言われているんだ 身の周りに「ない」を探す名人なんだって ないものにフォーカスしすぎて あるものを見落としている
では、質問です。 ①家族や友人、仲間に おすすめしたいお店を2つ 思い浮かべてください ②その2つのお店の おすすめポイントはどこですか? 3つ以上あげてください ____________________ 例:美容院(●●●) 担当してくれる方が信頼できる リラックスできる空間、個室がある 使いたいシャンプーがある 駅から近い ____________________ ③次に、そのおすすめポイントを 4つの項目に分けます。 💚環境 例:お洒落、リラックス出来る