勝利至上主義が行き着く未来。
昨日はU11息子のサッカーの試合観戦をしてきた。
その中で、色々と感じることがあったので独り言をぼやいてスッキリさせたいと思い、今日はこんなテーマで記事を書き始めた。
「勝利至上主義」
読んで字の如く、勝利こそ至高と考える人のこと。
昨日の息子の対戦相手が、まさにそういったチームだった。
試合序盤から相手の悪質なファールが目立つ。
それに対してなかなかファールをとらない審判。
こうなると試合が荒れることは、経験上よくわかっている。
本来、審判は試合の序盤で明確にファールの基準を見せつけることが、試合をコントロールするうえでとても重要だ。
これぐらいは見逃すよとか、これはしっかりファールとるよっていう具合に、何となくではなくしっかりジャッジするのが審判の仕事である。
まあ、少年サッカーの試合で笛を吹く審判のほとんどは「お父さんコーチ」と呼ばれるボランティアの人たちなので、それほど高い要求はできない。
とはいっても、昨日はさすがに度を超えるファールが多く見受けられたので、見てるこっちがイライラしてくるほどだ。
対戦相手のコーチも、試合序盤から最後までずっと怒声を飛ばし続け、ピッチ上の選手をまるでサッカーゲームでもプレーするかのように細かいポジショニングまで指示を出していた。
ここに、勝利至上主義を感じたのである。
勝つためなら手段を選ばないというような少年サッカーのチームはたくさんある。
コーチが日常的にしている声掛けは、当然、その指導を受けている選手も真似するようになる。
これまでいろんなチームとの対戦ん見てきたけど、とにかく怒鳴ったり口が悪い人がコーチをしているチームは、例外なく選手たちも口が悪かったり、チームメイトをけなすような言葉を平気で投げる。
逆に、コーチが穏やかでポシティブな声掛けをするチームの選手は、他者に対してリスペクトを感じられるような立ち振舞をしている。
息子のチームのコーチは完全に後者で、声を荒げてるところを見たことがない。
それどころか、負けた試合の後にありがちな「指導者の説教」も皆無だ。
少年サッカーあるあるなんだけど、負け試合の後に人格否定も含めて選手たちに説教しているチームをよく見かける。
その空気感はまるでお葬式のような感じで、とにかくコーチだけが熱くなって選手を批判しまくっている。
私はそういった光景を見る度に、なんて可愛そうな子たちなんだと胸が痛くなる。
息子のチームはといえば、負け試合の後にコーチも含めてみんなで笑いながらサッカーテニスに興じたり、とても試合に負けたチームとは思えないような明るい雰囲気で過ごしている。
試合後のミーティングで、試合中のプレーについて良い点、反省点についてざっと話した後は、それ以上の話はしないらしい。
もちろん人格否定なんかもしない。
良いコーチ、良いチームに恵まれたなと思っている。
息子が所属するチームは、「人間性」を軸に指導してくれている。
育成年代である小学生のうちに、勝ちに徹したサッカーを教えるよりも、まずは人間性の基盤を作って、他人から応援される人になってほしいというコーチの願いが込められている。
スポーツをしている以上、勝った負けたで感情が動くことはある。
勝てば嬉しいし負ければ悔しいのは当然だ。
だからと言って、見本を見せなければいけないはずの指導者が先頭切って選手たちを怒鳴りつけたり、リスペクトに欠ける行いをしていいわけではない。
「ナイスファール」などと言って、勝つために反則行為を肯定するような指導もあってはならない。
育成年代においては、勝つことよりもルールを守ることの方がよっぽど大切だ。
勝ち負けよりも大切なことはたくさんあるし、子どもにスポーツをやらせる一番の目的は技術の向上よりも、サッカーを通じて社会を学んでほしいと思っている。
挨拶、礼儀、ルールを守る意味、リスペクトの気持ち、感謝の気持ちなどなど。
たとえプロサッカー選手になれなかったとしても、社会人になったときに「あのチームでサッカーをしていて良かった」と思えるような人としての基盤が作れれば最高じゃないか。