平凡な日常を愛するということ。
2025年が始まってから、もう10日が経過した。相変わらず時間の流れというのは早いな。
正月の浮かれ気分も落ち着きを見せてきて、代わり映えのない毎日を過ごしている。
朝5時に起きてキーボードを叩いてnote執筆。
仕事が繁忙期のピークを迎えつつあるから毎日1時間の早出出勤のために、いつもよりも早めの身支度をする。
車に乗っていつも通りの通勤路を走り、20分ほどで会社に到着。
相変わらずホコリまみれの薄汚い工場でガスボンベを転がす日々。
朝から夕方までガスボンベを転がしたら、夜は他人の飯を運ぶ仕事(ウーバー)
毎日がこれの繰り返し。
正直、こんな暮らしを何年も続けているから飽きてる部分もある。
これはhideがROCKET DIVEの冒頭で歌ってる歌詞。
昔から代わり映えのない毎日を過ごしているなって思ったときに、ふとこの部分が頭の中に流れてくる。
自分だけがこんな暮らしをしてるわけじゃなくて、きっと世の中のほとんどの人が「だいたいおんなじ毎日」なんだろうなってことをhideが教えてくれる。
10代の頃は、刺激たっぷりのジェットコースターのような日常に憧れていて、良くも悪くも実際にそんな毎日を過ごしていた。
でも、歳を重ねるに連れて平穏で平凡な毎日を過ごせることのありがたみを感じることが増えた。
何かイレギュラーなことが起きると心がざわざわする。
その反動を私の場合大きく受け止めてしまい、数日間は疲れがとれなくなる。
そうなると「心ここにあらず」の状態で、何も集中できなくなってしまう。
それで仕事を休んだことがこれまでに何度もあった。
最近はできるだけ心がざわざわしないように避けられるトラブルは自分から避けるようにしつつ、平穏な毎日を過ごせるように努めている。
退屈に感じるときもあるけど、それで良い。
たとえ平凡で「だいたいおんなじ毎日」でも、心穏やかに安定した暮らしができることこそが私にとっての幸せなんだと思うようになった。
お金持ちのような暮らしに憧れることはある。
でも、お金を稼ぐために激務が続き、結果的に平凡な毎日が過ごせなくなるのは自分にとっては幸せではない。
一昨日、稼ぐということについて記事を書いたばかりで恐縮なんだけど、稼ぐことと幸せな暮らしのバランスは意外と難しいなと思う。
稼ぐことに執着しすぎて自分の心の声を無視しないようにしつつ、心と身体のバランスをうまくとりながら平凡に暮らしていきたいなと思う。