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生き切るのだよ

先日、母方の祖母がこの世を去った。

父方の祖父母はまだ存命で、母方の祖父は物心つく前に他界していた。物心ついて以来、深く関わりのあった人の死は初めての経験だ。

ずっと気になっていた。大切な人をなくしたとき、僕はどうなるのだろう。やはり悲しみに暮れて泣くのだろうか。死を恐れて眠れぬ夜を迎えるのだろうか。どうだろうか。

待っていたのは、不思議な感覚だった。

自分でも怖いくらい、落ち着いていた。涙ぐむ母の頭に、手を置く余裕さえあった。もちろん悲しい。視界は少しぼやけていた。でも、とても平穏な心持ちだった。なんでだろう。


それはきっと、祖母は生き切ったからだ。

享年89歳。90歳まであと20日程であった。まあまあ、長生きだろう。死因は老衰で、さほど苦しまずに逝った。そして彼女は、愛されていた。

祖母は介護施設で最期を迎えた。3年程前、認知症が進み、冬の深夜に徘徊して体力が著しく低下したのをきっかけに入所した。施設に入れるなんて、愛されてないじゃないか。と言う人があったら僕はそいつに殴りかかる可能性がある。

祖母が施設に入所してから、母は仕事の間を縫って、毎日面会に通った。寂しくないようにと昔飼っていた猫に似た人形を2体、持っていった。祖母はそれらにシロ、シマシマと名前を付けた。家族の写真や花を飾り、電子ピアノを持参して一緒に歌を歌ったりもしていた。

新型コロナウイルス感染症が広がり、介護施設の面会が制限されても、施設入り口のガラス越しに手を振り、1年間、祖母に向けて手紙を書き続けた。A4のコピー用紙に絵を描き、ひらがなのメッセージを添えたものだった。施設の職員さんがファイリングしてくれており、引き取りに行ったら4冊分あった。僕も色紙にメッセージを描いたり、職員さんが掛けてくれた電話越しに、一緒にひな祭りの歌を歌ったりした。

これまた憎きコロナのせいで、祖母を看取ることは叶わなかった。しかし翌朝お迎えに行くと、ベッドには猫の人形が2匹。祖母の胸には、部屋に飾ってあった家族写真が抱かれていた。職員さんにも愛してもらえたようだ。


「シロ、シマシマ、お勤めご苦労」
そう呟いて、頭をなでてやった。


僕は祖母の人生の、これっぽっちも知らないのだろう。彼女は戦争を生き抜いて結婚し、子供を育て、猫を飼った。油絵が趣味だった。大相撲をよく見ていて、高見盛を応援していた。毎週水曜日には仕事で遅くなる母の代わりにご飯を用意してくれた。祖母の89年はこんなもので書き尽くせるものではなかっただろう。

でも確実に、人生最後の3年間、祖母は愛されていた。娘に、孫に、施設の職員さんに。

祖母は、愛の中を生き切った。誠に勝手ながら、僕はそう感じているのである。だから、悲しいけど平穏な心持ちなのである。


よかったねおばあちゃん。
あんた幸せな最期だったよ。


僕は祖母の死を憐れまなくて済んだ。祖母の死を羨んですらいるのである。自殺願望ではない。

自分の死を、現実味を持って考えるには時間も度胸も到底足りていないが、僕も祖母の様な死に方がしたいと思った。

愛されて、そして、憐れまれずに死にたい。死に際、お前は幸せ者だよ。と言われたい。僕を見送る人たちに、今の僕のような平穏な心持ちでいてほしいのだ。



そのために僕は、生き切らねばならないな。


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