歴史・人物伝~関ケ原編⑪「ガラシャの悲劇を乗り越えて」細川忠興
歴史・人物伝~関ケ原編の第11回です。
関ケ原の合戦にまつわる悲劇的なエピソードとして有名な細川ガラシャの自害。正確に言うと「家臣により命を絶たれた」わけですが、この事件により、西軍は人質戦略の見直しを迫られることになりました。
ガラシャは、家康に従軍した細川忠興の妻で、諱(いみな)は「たま」と言い、明智光秀の娘として知られています。キリスト教に帰依してガラシャの名を授けられ、父光秀譲りの真正直でぶれない性格だったようです。
忠興の父は、光秀の盟友と言われた細川藤孝で、関ケ原の合戦当時は居城の田辺城(京都府舞鶴市)を守っていました。西軍が大坂から進攻を開始し、伏見城とともに攻撃の的にされた城でもあります。
大軍に攻められ落城に追い込まれる父、命を絶つ選択をした妻と、忠興は厳しい立場にありながら、終始家康の味方として上杉討伐から関ケ原の合戦まで、東軍の最前線で戦い抜きます。
その功績をたたえられ、忠興は加増され豊前中津(大分県)の大名となります。さらに、その子忠利の代には熊本藩に加増転封され、細川家は幕末まで熊本藩を統治することになるのです。
細川家の末裔には、総理大臣や熊本県知事を務めた細川護熙さんがいます。
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