歴史・人物伝~新選組上洛編①京に向かった近藤勇と同志たち
歴史・人物伝は、今回から幕末の京を震撼させた集団「新選組」について書いていきます。前回は「新選組同志編」として、近藤勇と同志たちの銘々伝をご紹介しました。今回は「上洛編」と題し、江戸を出発した近藤らが上洛を果たすまでをたどりたいと思います。
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幕末の京都の治安維持のため、幕府は「毒を以て毒を制す」の考えからか、浪士集団(浪士組)を編成して上洛することになりました。この浪士組に参加したグループの一つが、近藤勇率いる試衛館道場でした。
小石川の伝通院に集結した浪士組には、有名道場の出身者や水戸の脱藩浪士、さらに名のある博徒といった海千山千の面々ばかり。小さな町道場の試衛館はその中の無名集団に過ぎませんでした。
それでも近藤勇は、将軍を警護して攘夷を果たすという使命感に燃えていました。同志である土方歳三、沖田総司、山南敬助、永倉新八、原田左之助、藤堂平助、井上源三郎も同様だったに違いありません。
浪士組を幕府に献策したのは、尊王攘夷の志士・清川八郎です。ただ、清川の胸の内は「幕府のため」ではありません。幕府を利用して、尊王攘夷の戦闘集団を作り上げようとの策略を秘めていたのです。
そんなこととは露知らず、近藤一派を含んだ浪士組が江戸を出発しました。近藤は、先発して宿を割り振りする役目を仰せつかります。ところが、本庄宿(埼玉県)で宿割りのミスから思わぬ事件が起きてしまうのです。
事件の主役こそ、水戸脱藩浪士の芹沢鴨でした。
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