歴史・人物伝~エピソード編㊳:土方歳三「函館で最後の花を咲かせた鬼副長」
近藤勇という「重し」が外れて
近藤勇の盟友であり、新選組では鬼副長として近藤局長を支えてきた土方歳三。戊辰戦争に敗れて江戸へ戻り、再起を期した流山で近藤が投降したことで、土方は新選組の事実上のトップとなって新政府軍と戦っていくのです。
それまでの土方は、ナンバー2である自分の立場をわきまえ、常に近藤を立てることに徹してきました。とくに隊の反体制分子に対しては、鬼副長として厳格かつ非情な粛清を実行し、隊士たちに恐れられてきたといいます。
近藤という「重し」が外れ、自分の考えで行動できるようになった土方は、京都時代とは別人のように隊士を思いやる指揮官だったそうです。しかし、新政府軍に対しては徹頭徹尾交戦する姿勢を貫き、鬼副長の面目を最後まで保ち続けました。
函館の旧幕府軍では、指揮官として松前城での戦いや宮古での軍艦奪取作戦を実行。新政府軍の函館侵攻を阻止する二股口の戦いでは、敵に銃弾を浴びせ続ける防衛戦を展開して侵攻を許さず、指揮官としての力量の高さを見せつけました。
自分の姿を写真に撮った理由は?
函館市の五稜郭タワーには、総髪で軍服とブーツを身に着けながら、刀を差している人物の像があります。旧幕府軍の一員として函館戦争を戦った土方歳三の像で、モデルとなったのが有名な一枚の肖像写真です。
この写真は、土方の義兄である多摩の佐藤彦五郎の元に手紙と共に届けられたもので、土方が写真等を託したのは側近の少年だった市村鉄之助だったそうです。土方は、市村少年の命を救うため、伝達役をあえて命じたとされます。
肖像写真の土方は、まるでスタイリストがいたかのように、ポーズの取り方や軍服の着こなし方がとても様になっています。想像の域を超えませんが、おそらく鬼の副長だった新選組の京都時代とは人が変わったような雰囲気だったと思います。
函館戦争という明日をも知らない戦いの日々の中で、あえて肖像写真を撮影し、それを近親者に届けさせた土方。農民出身の自分が、幕臣となって戦い抜いたという「誇らしげな姿」を見せたかったのではないでしょうか。