歴史・人物伝~エピソード編㉛:河井継之助「武装中立に全てをかけた長岡藩家老」
新政府軍と幕府軍との戦いの中で、最も激戦だったと言われているのが、長岡藩が長岡城の争奪をかけて戦った「北越戦争」でした。新政府軍が目指していた会津藩への進軍を食い止めようと、長岡藩は壮絶な戦いを繰り広げました。
藩の家老として全軍の指揮を執っていたのが河井継之助で、当時日本では最新鋭の武器とされた「ガトリング砲」を自らが操作し、落城した長岡城を一時的でしたが奪還しました。しかし、河井の本当の戦いは「北越戦争」の前にあったと私は思います。
長岡藩の命運を賭けて河井が目指していたのは「武装中立」です。幕府に恩義がある長岡藩は「進軍の邪魔はしないが、新政府軍の味方もしない」という方針で、新政府軍側との交渉に臨んだのです。強力な軍事力にも自信があったのでしょう。
しかし、旗幟を鮮明にしない河井の考えは、新政府軍の参謀・岩村精一郎に一蹴されてしまいます。「武装中立」という際どい綱渡りに失敗した段階で、河井は「戦いに負けた」ことを自覚したのではないかと考えます。
noteでは連載コラム、エッセイをほぼ毎日書いています。フリーランスのライターとして活動中ですが、お仕事が・・・ご支援よろしくお願いいたします!