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【子どもの脳脊髄液減少症】01 はじまりの話

どこから書き始めればいいのか悩みました。親の悩みは尽きない、とは申しますが、このノートを読まれる方は私と同じような悩みを抱えていて、私であればほしい情報や結論を探していらっしゃるのだと思います。 ただ、自分としては親のふがいなさを含めるためにも、かなり初期から話した方がよいと思ってここから書き始めました。

家族紹介


妻: 私とほぼ同い年で有名企業のフルタイムワーカーです。 仕事としては人事のようなことをしています。
長女:この話の主人公です。 中学生
次女:長女より6年ほど年下の小学生です。
私:2024年現在、アラフィフの会社員です。どちらかというと理系職です。

長女が生まれたとき


おいおい、そこまで戻る? という話なのですが、今後のストーリーを理解していただくためにも書いておくことにします。 長女は健康に生まれましたが、保育園に入るまでも、よく言うと穏やか、悪いく言うと反応の薄い子供でした。 寝るのが苦手で、寝かしつけには大体2時間30分から3時間ほど必要でした。この時すでに妻は子供にやや苦手意識を持っていて 、私からすると信じられない暴言を吐いていました。 私自身も一人目の子供、ということで戸惑っていてどうしていいかわからず、疲労しつつもどうにか向き合っていました。
寝かしつけは私の場合は本を読んだり歌を歌ったり、部屋を寒くしたり、学んだことはすべて試していました。妻はそいちちで隣にいたまま、ずっとスマホを見ていました。これは現在に至るまで(添い乳はしませんが)変わりません。 ただ私も声を荒げてしまうことは確かにありました。とにかく寝かせるのが大変な子供でした。 

保育園時代


2歳ごろから保育園に預けるようになりました。初めての面談のとき、「この子、発達が遅くないですか?」「何か違和感がありませんか?」と何度も聞きました。とにかく反応の薄い子でした。保育園の先生は「なにも、普通ですよ」としか言ってくれず私も「そうか、そういうもんなんだ」と受け取りましたが、ずっと違和感が残っていました。4-5歳になると小学校受験のようなクイズをやってみると、むしろ平均よりはよい成績で認知能力にまったく問題はなく、ただしボールを投げると後ろに飛んでいく、絵も必ず右上方向に平行四辺形のように歪む、まったく上手にならないとよくわからない違和感をずっと持っていました。
そのころ事件が起こります。

前の話


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