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マンモトーム生検(わたしだけの乳がん物語 #28)


検査当日

診察室に横になって待っているとモニターに自分の乳腺エコーの記録が表示されていた。少し縦長の影。繊維線種のように潰れたかたちではない。境界ははっきりしていると思えたけど、素人には分からない。寝そべりながら目に焼き付けておこうと思った。

もう2回目だから施術自体への不安や怖さはなかった。先生とモニターを見ながらいくつか質問する余裕もあった。「かたちが潰れていないですね」「そう、このかたちが気になって検査したんですよね。でも、こう見ると丸くも見えますね」
「この画像だけ見て悪性の可能性は高いのでしょうか?」「小さいからね、この画像だけでは難しいかな」

影に針が刺さっているのが見える。吸引していくとその黒い影も少しずつ小さくなっていった。このまま全部吸い取ってほしいと思った。

施術が終わるとまた看護師さんが止血で胸を押さえてくれて、カーテンで仕切られた診察室は2人だけになった。今回は泣かないぞと決めていたのに、終わったとたんどうしても涙が止まらなくなってしまった。悲しいのと、家族に申し訳ないのと、いろんな感情が渦巻いてくる。そしてこのシチュエーションで泣いたの3回目だなと思った。

右胸細胞診→右胸マンモトーム生検→右胸針生検&左胸針生検→左胸細胞診→左胸マンモトーム生検

この1年以内でこれだけやった。書いてしまえば簡単だけど、それぞれに結果報告があり、悪性か良性かの天秤の揺れの間で本当にしんどい日々を過ごした。

黒い影の写真を見ながら、「なんでこうなったんだろう」と考えてしまう。なんでわたしの体はすぐにこんな細胞を生み出してしまうんだろうな。看護師さんは胸を押さえながらそっとティッシュを渡してくれた。

最後に先生の処置に替わると、「この検査を受ける方はみんな辛いですよね。寝れないしね」と言っていた。「脇の方も大丈夫しょうか?」と聞くと、「このサイズだと年単位経過しないとリンパの方にはいかないかな」と。

そして最後に、「正直この大きさなら、悪性良性どっちに転んでも大丈夫と思っていますよ。がんだったら治療すればいいだけですし」と言った。「つらい思いさせてごめんなさいね」とも。優しくて寄り添ってくれる先生。細胞診は2回連続クラス3で少し不信感は持っているけど、この優しさに救われている部分も本当に大きい。

長い長い2週間

終わるまでずっと近くで待機してくれていた夫の車に乗ったらまた涙が出てきてしまった。それでも今回は泣いていないふりしてなるべく普通に会話して帰ってきた。

結果が出るまで2週間。結果待ちの日々は何度やっても慣れることはない。検索しては一喜一憂、ネットに転がっている悪性所見の細胞像やエコー写真が載っている論文を読んだり、細胞診の所見コメントから数少ないキーワードを引っ張り出してはChatGPTに入れては何度も何度もAIとラリーしてみたり。

心構えもできるし、何より自分の病気に対する知識が増えるから検索して調べることが悪だとは思っていない。ただ、どんなに情報を調べたところで、「結局わたしはどっちなんだろう」と答えが出ないものに延々と時間を使ってしまうという現実がある。「先のことは”その時”に考えればよい」と よく言われるけど、どうしてもこれが難しい。調べるのをやめたくてもやめれない。時間を無駄にしているのも分かっている。毎日毎晩心の大部分を悶々とした気持ちが占める。

朝起きるたびに乳がんだなんて夢だったらいいのにと思う。切除された右胸を見ては左側もそうなるのかと落ち込み、この先何度もこの不安を繰り返しながら、再発や万が一の転移に気を捉われながら生きていかないとならないのか、まで思考が進んでしまう。

こんな時、記録をつけていてよかったと思うこともある。最初に右側の乳がんが確定されるまでの経緯を読み返してみては、分からない未来に翻弄されてはダメだと少し気分を変えたりするのに役立った。「なるようになるか」と吹っ切れる瞬間もある。とにかく早く結果が出てほしい。

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