女子大生、自粛を機に和食の沼に落ちる。
あ、私のとんかつ。
自分が生まれる前から共に暮らす、年期の入った冷蔵庫を空けると、昨日バイトで食べられなかった夕飯のとんかつが1枚残っていた。
これをチンして食べるのは非常に渋い。
だって、とんかつは揚げたてが1番美味しいじゃん・・・!!!!
そんな分かりきった情報を脳内で反芻させ、衣はなしなり固くなったカツを食べるぐらいなら、一手間かけてリメイクした方がメンタルに優しい。
・・・あれ?
「食」でぐらい、自分を大切にしたいと思い始めたのはここ最近かもしれない。
ポジティブに生きようとするほど、ふとした時にどっと疲れがやってくる。
世間はコロナ終息どころか、新規感染者のニュースはまるで時報のごとく日常に一体化し、夏が過ぎ、外を飛ぶトンボを見つけた時は愕然とした。
私はこの夏何をしていたんだ・・・!?
ってね。
さらには先週、後期もオンラインで授業を行うことが決まった。
わかりきっていたが、それでも悲しい。
しかし、
残酷なことに就活の時期は進む一方で、志望企業のスローガンばかり覚えた反動に、そろそろ2月から一度も行っていない大学の最寄り駅を忘れてしまいそうだ。
さてと、このとんかつは
「カツ煮にしよう。」
まずは鍋に水と昆布を入れて出汁を取る。
カチチチチ…
うちはIHじゃない。
ボゥッ
でもこの火が灯る瞬間は悪くない。
和食メインの食事をするようになってから出汁はいくらあっても困らないことを知り(主菜、副菜なにを作るにしても必要になることが多い)水はだいたい1リットルぐらい用意する。
よしっ…!
出汁をとる間に下ごしらえを済ませよう。
冷蔵庫には使いかけの山芋にかにかま枝豆、ほうれん草か……
山芋をすりおろして練り物に、ほうれん草は大好物の胡麻和えがいいな。
あっ、ごぼうもある…!
たしか、ごぼうは水溶性食物繊維。
夏休み入ってから、私は食生活アドバイザーの資格勉強を始めた。
料理は前から好きだったが、いくら好きを言葉にしても、面接では信憑性にかけ信じて貰えない。
だが、それが社会だ。
たかが数分の間に自分をプレゼンするには「肩書き」は必要パーツ。
「好きなら好きなりの結果と実績が必要なんだなぁ…」
しかしそんな洗礼も悪いことばかりではなかった。
今勉強していることは好きな分野なだけあって、今まで知らなかった知識や、誤認していた情報が正しく頭に入ってくることは非~〜常に気持ちがいい。
本当の勉学とは、誰かに強制されるものでも、嫌々することでもなく、もっと心地いい、自主性に満ちたものなのだろう。
興味、関心、探究心。
この3つがあれば、どんな辛い壁も軽々と乗り越えていけるんだと思う。
ザクッザクッザクッ
「誕プレでお父さんに貰った包丁、そろそろ研がないとな・・・」
切れ味の鈍りがごぼうの分断を遅らせる。
これはお米のとぎ汁で下茹でしてから煮物にしよう。
実の所、幼少期私は和食が嫌いだった。
子供舌歴が長く繊細な味を楽しめず、ついつい大味な洋食に手が伸びた。
好きな物はハンバーグ、パスタ、グラタンと豪語していた中学校時代は、よっぽどな事がない限り朝ごはんだって問答無用のパン食一択だった。
しかし、
大人になるにつれ、その考えも揺らぎ、さらには食生活アドバイザーを学んだことをきっかけに、私の和食への思いは180度変わった。
和食に留まらず、日本人の生き方は素晴らしい。
なぜ世界各国から和食は高い評価を受けているのかと考えた時、健康食だからと多くの人が言うだろう。
確かにその通りだ。
日本発祥の食材には五大栄養素と言われるものが多く含まれ、また四季が存在するだけにそこには必ず旬がある。
旬の食材は普段の栄養素に比べ1.5~2倍多く含まれているそうだ。
しかし、
それもこれも、一人一人が四季を味わう風情の文化が根付いていたから。
そう考えると、本当に凄いのは和食という尊い文化を生成した人々の志しだということに気がついた。
自然を思い、村を思い、家族を思う。
流れゆく季節を重んじながら生きる日々は、今よりも不便ではあったかもしれないが、充実していたことだろう。
おっいい色だ・・・!!
今私が濾しているこの出汁は、外国で例えるならばブイオンになるのだろうか??
これもまた、手間も時間も惜しむことなく注がれた旨みの極み。
だが、便利を追求する現代にとって、これはきっと不効率に分類される。
私は今まで幾度となく、このnoteで世の中は便利なサービスに溢れて大切なものを失ってしまったと言ったが、変わることはサービスではなく、利用者の姿勢なのだろう。
今日街のどこかで発売される商品や新しいサービスも、消費者の需要をリサーチした結果生まれたものだ。
料理を作りたくないという要望に冷凍食品が生まれ、
わざわざ食べ物を買いに行くのがめんどくさいという要望にUberEATSが生まれ、
季節問わずいろんな野菜が食べたいと言う要望に遺伝子組み換えや今の物流が生まれた。
何が言いたいかと言うと、小さな駒の集合体であるこの世界は、大きなことを成し遂げたければ、多くの同士を集める必要がある。
完全にアメリカナイズされたこの日本において、国民食の和食をメインにした生活に戻り、四季を肌で感じながら節供を頂く日常には簡単には戻れないだろう。
そう、簡単ではないが、不可能ではない。
行き先の間違えた船の舵取りは大きなエネルギーが必要だ。
どうしたら、私はこの美しく雅な和食文化を守ってゆくことが出来るのだろう。
「・・・まずは、自炊の魅力を広げよう…!!!」
そうして、私はおうち屋という自炊した投稿をリポストし、紹介していくアカウントを立ち上げた。
こうして日々、アカウントを通してたくさんの自炊投稿を見る度に、「まだまだ希望は消えちゃない。」
そう私に思わせてくれる。
自然を管理するよりも、自然に調和する生き方こそが、私の思う理想の暮らしだ。
今は難しいかもしれないが、少しずつ、同じ思いを掲げる人々と手を繋ぎ、未来のよりよい食生活をになっていきたいと思う。
「さぁてと、手際よくさっさといきますか!」
私たちが生まれた日本の歴史は相当深い。
この自粛を機に、私は日本料理を掘り下げよう。
まだ片足ほどしか入っていないが、もう和食のない生活には戻れない。
やはり和食はココロもカラダも満たす、スーパーフードだった。
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