『幸せ』は自分で決めていい
どうも、ハイカロリーなものほど美味しい原理を
最新の技術で早くどうにかしてほしい系女子の私です🙋♀️
このままじゃ食品会社の思う壺だ😱(美味しいご飯、ありがとうございます←)
鹿児島でリゾートバイトをしてた時、観光地のあちこちに
『幸せの黄色いポスト』や『幸せの鐘』その他諸々、幸せになれると謳う
何かしらがあって「なんて幸せに貪欲な地域なんだ!」と感銘を受けた✨
(もちろん、いい意味で)
同僚と幸せの鐘を鳴らす写真の中の私は見るからに『幸せ』で溢れていたので
案外、言ったもん勝ち的なそういう事なのかもしれない(笑)
でも、それで良いじゃないか、身近な幸せほど尊いものはない。
なんやかんやで自分のことを理解するのが1番難しい、
そう感じる場面は多々あるけど
他人の幸せには敏感なのに自分の幸せには鈍感な人が多い気がする。
他人の幸せに敏感なのが悪いんじゃない。自分の幸せに鈍感なのが問題なのだ。
あの子の幸せが自分の幸せとは限らないし、逆も然り。
『隣の芝生は青く見える』精神で他の人の幸せを羨んでたんじゃ
このSNS時代、生き辛くないだろうか。
不幸や不安を意気揚々と発信する人は少ない。
だからこそ、SNSにはキラキラした写真が散らばっていて
それが良いところなのだ。
私は、たとえ不安定な収入でボーナスが貰えなくても、さらに言うなら
仕事の見つからない期間があっても正社員として働くよりも
今みたいに「仕事」と「旅」のバランスが取れてる方が幸せだと感じてるし
今後はもっと旅のボリュームを増やしていきたいと思ってる。
でも、私と同じ語学系短大を卒業した友達はそうじゃない。
彼女は安定した仕事をしながら、日頃からちょっと良いシャンプー使って
ボーナスが出た時には部屋を一式模様替えしたりすることが幸せなのだ。
私の生活は到底理解出来ない、らしい(笑)
私もシャンプーに何千円も使う彼女の心理を理解出来ないからお互い様。
でも、2人ともカラオケにいけばK-POPを歌い踊り狂うのが
共通の幸せになるのだから、面白い🤣
SNSを含めた周りからの幸せマウントも
それっぽい感じで語られる幸せの真意も聞き流せばいいと思う。
1番大事なのは『自分』と『幸せ』の関係なのだから。
幸せを感じにくくなってる時、私は奮発して美味しいケーキとコーヒーを
嗜むことにしてる。
そしてボソッと声に出して言うのだ。
「こんな何でもない日にケーキなんて食べちゃって、幸せだな〜」と。
幸せなんて結局そんなもんで、難しくしようと思えばいくらでも出来るし
単純にしようと思えば朝、アラームに起こされなかっただけで幸せなのだ。
大きな幸せを追い求めがちやけど、小さな幸せも捨てたもんじゃないよ😊と
何年か前の自分に教えてあげたい。