家族の在り方
30代最後の年になった。結婚2年目。
私たちは今、不妊治療へとページを進めている。
妊活を始めた去年の春。結婚式を終えて、新しい土地で最初は気負いせず自然に任せた。それから数カ月、クリニックに通う中で、私達は現実をつきつけられた。
”男性不妊”
クリニックに通うとやはり原因を追究していく。その中で直面したのは、高齢である私のホルモン値が少し悪いぐらい(それ以外は特に問題なし)と夫と精子が少ない乏精子症だった。
特に夫の状態は思った以上に悪く、検査を進めるうちに左側の睾丸が「精索静脈瘤」であることが分かった。泌尿科での検査は厳しく、「自然妊娠はまず無理な数値。顕微一択ですね。」と告げられた。これは放置すると無精子症になってしまうらしい。
しかしこちらは手術すれば改善が見込めるとのことで夫は診断を受けたその日に手術するこをと決めてくれた。一般的な手術ではあるけど、全身麻酔をして行うしお腹も切るのだ。こうして診断から一カ月後に手術を行い、術後も良好。そして来月、肝心の精液検査を行い数値を確認する予定になっている。
私は私でクリニックに通い、保険適用となり取り組みやすくなった人工授精を初めて行った。結果はいかにだけれども、それでも期待半々としておく。
結婚が遅かった私は子供ができるイメージがあまり強い方ではなかった。子供は好きで、子供もよく懐いてくれたり好かれることも多々ある。でも結婚願望も子供が欲しい欲も人よりは少ない人間だったと思う。
それでも信頼できるパートナーと出会い夫婦になり、自然と子供を授かりたいとおもう気持ちは湧いてきた。夫はどこまで子供が欲しいのか分からない。一人っ子で親も別居したまま複雑な家庭環境で育った。だけど、不思議と愛情深い夫はきっと家族の絆を夫なりに受け取って生きてきたのだと感じる。
私は家族に恵まれ、かけがえのない両親や兄弟がいる。それは誇れるほどのものだ。完璧な家族ではないけれど、年を重ねるごとに親や兄弟への愛を深く感じるのは、それだけ私が愛されて育ったからだと分かる。小さな頃に見せてくれた景色が今の私の糧になっていて、いくつもの勇気を生んだ。まっすぐに生きていくための絶対的要素を家族はいつも与えてくれたのだ。そんな経験を私もしてみたい。与えてみたいなんて思う気持ちはどこかにある。
そんな2人が出会い家族を作ること。避妊をやめればできるのではないか?なんて、つくづく日本の性教育は大事なことが話されていないよなって。恥ずかしながら自分もこの年齢になって色々な初めてを知っている。子供がやってきてくれることはこの世の一番の奇跡。ご縁とかスピリチュアルなことではなく、生物が繁殖していくための工程そのものが奇跡に近いことなのだと。卵子や精子、自分の体、夫の体。いち人間が人間を産み育てていくことは、あまりにも尊い。
そんな風に感じながらも、どこかでは子供のいない2人家族の生き方も想像したりする。子供が欲しくて結婚したのではない私たちは、いつだってお互いがファーストだ。この人となら人生が豊かになると想えた気持ちこそがすべてであり、そこに子供がやってきてくれれば豊かになる要素の一つになることは間違いない。でも、やってきてくれなくても、私達は私達なりの豊かさを見つけていくだろう。お互いにそれを見つけていける存在だ。そのことに私はいつも感謝している。そして例えこの先2人家族でも、幸せだって思える人と出会えたこともまた、奇跡だと思うから。
私たちなりの家族の在り方を。
この先の未来の豊かさはどんなものをもたらすだろうか。それを楽しみに、自分の体と向き合う日々を穏やかに見つめていければいいなと想う。
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