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記録される世界

今朝、通勤途中の風景。

マンションから出てきた若いカップル。彼女は出てきてごみ捨てに行く。彼氏は少し前でその様子を携帯に収めていた。それに気づいた彼女は嬉しそうにおどけた様子を見せた。

きっとインスタグラムかTikTokにアップするのかな。なんてほほえましく見た。



そう、今はすべてが記録される世界。



約10年前からスマートフォンが普及し、記録媒体は大幅に増えた。そのツールはバラエティーに飛び、変化や革新し続けている。どんな日常も些細な瞬間も、手元の機械ひとつで記録媒体へと変わる。永遠に残るもの削除されるもの、消耗品のようにあちこちで生まれて消えていく。



30代後半の私は、いわば狭間の世代。10代~20代前半はまだ今ほどスマホの普及はなく、それこそ10代はアナログ世代だった。携帯電話はあったけれど通話専用、写真を撮るのはデジカメ、音楽を聴くのはMDプレーヤー、誰かに思いを伝えたり何かを渡すには手書きの手紙だった。





時代の流れとともに様々なツールは発展をし続けた。スマートフォンを持つようになり、手軽に写真をあちこちで保存し、本当に便利になった。SNSという世界が広がり、国境や時間をも越えるようなつながりを生み出した。それは交友関係や人付き合いにも影響し、良いも悪いもつながりのある社会になった。それで救われた命があれば、失った命もあるだろう。その正解はその人が持つ価値観や倫理会に左右され、正解がない。ツールはあくまでもツールであり、最後はやっぱりその「人」によることも改めて知らされる。



そして私はアナログの青春時代を懐かしく感じる。今ほど記録媒体が便利ではなく鮮明ではなくても、そこにはいつも温かさがあった。インスタントカメラやフィルムカメラの現像する楽しみ、ピンボケすら思い出になった。アルバムの中で少しずつ色は褪せても、映るその人の笑顔は色あせない。よみがえる断片の記憶もまた愛おしい。写真の中の私は、あの人はいつまでも鮮明に残っている。目を閉じれば思い浮かぶ。すべてを記録できなかったけれど、間違いなく私の体にしみこんでいる数々の出来事。この時代を味わえて良かったと、すごく思う。遠き日を懐かしみながら、この時代の流れも感じながら。



便利さと幸福さは比例しない。記録されるこの世界も美しいものばかりではない。その狭間の中で私たちの生活は日々変化と柔軟性を問われる。手元に収まる小さな記録媒体ツールに心をかき乱されたり、悩まされたり、そして時に幸せを感じ感動も与えられる。おかしなほど、このツールに私たちの世界は凝縮されつつある。



だけど立ち止まり、機械ではなく目の前の景色、向き合う人に目を向けることを忘れたくない。風の冷たさ、視界に飛び込むまばゆい光や景色。町のにおい、誰かの手のぬくもり。記録されないモノたちは五感を通して生きていることを感じさせてくれる。何かに不安になったり、迷う時、投げ出したい時、生まれたての赤ちゃんのように、まだ何も知らない子供のように、何も持たない世界を味わってみよう。


私たちの記憶力、感じる心はどんな機械よりもきっと優れている。そしてそれはいつかどこかであなたを救ってくれる。記憶されるこの世界の中で、私たち自身を忘れないように。その手に触れる温かさ、心揺さぶられる瞬間だけは本物だから。

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