話題の書「わが投資術」の紹介
経済・金融レポート 2024年4月
監修:坂元康宏+長谷川篤
納税額36億9000万円余りで、2005年に高額納税者ランキング、 いわゆる「長者番付」のトップに立った「サラリーマン」がいました。当時大きな話題になりましたが、この人物の書いた“回顧録”が、この2024年3月の発売以来15万部を超えるベストセラーになっています。著者はヘッジファンド「タワーK1ファンド」の創設者で2005年当時、タワー投資顧問会社の運用部長だった清原達郎氏です。本のタイトルは「わが投資術 市場は誰に微笑むか」(講談社)。なぜこの本が類書にないベストセラーになっているのか。それを探りながら、清原氏の実像を追ってみます。
『伝説のサラリーマン投資家』、そう呼ばれてきたのが清原達郎氏です。月刊文藝春秋2024年5月号でも清原氏は自らの投資術を語り、その紹介にも「サラリーマン」の肩書が使われています。しかし今回の新刊「わが投資術」を読む限り、清原氏のこれまでの歩みは、勤め先に身を任せた「サラリーマン」とは大きくかけ離れています。独自の人生目標、生き方を追い求め、波乱万丈の金融市場の中で翻弄されながらも、「最高のパフォーマンス」を求め生き抜いた投資家がそこに現れています。
清原氏の“回顧録”には、成功を収めた投資術はもちろんですが、金融市場の実態と内幕、そこに蠢く人間模様もビビッドに描かれています。そのすべてが、自らの失敗も隠すことなく描く体験談の中から語られています。このために、本書は単なる解説本に留まらず、一種のヘッジファンド・ノンフィクションとしても読み応えが生まれています。
以下書籍の内容のさわりを紹介します。
清原流投資術
清原氏は1998年にタワー投資顧問で基幹ファンド「タワーK1ファンド」の運用を開始、その後四半世紀でそのパフォーマンス(総収益)は93倍になったといわれています。これまで成功と失敗を繰り返してきましたが、結果として大きな利益を挙げてファンド投資家に貢献し、自らも800億円ともいわれる資産を獲得しています。
まずその投資術をまとめてみます。
清原氏の運用の基本方針は「割安小型株への投資」です。そしてその投資術は個人投資家を対象にしています。「小型株」と「個人」。この親しみやすさがベストセラーの要因でもあります。
まず投資の前提として「投資は余裕資金で行う」と説きます。
そして一番大事なスタンスは「持っている株が値下がりした時に売らない」ことと指摘します。余裕がなければ、値下がりに耐えられません。慌てて損切りに走らざるを得なくなります。この戒めは、清原氏が先ほどの文藝春秋の論考で強調していることでもあります。
そして2番目の基本姿勢は「株が暴落した時に株を買うこと」だといいます。
ただこの暴落時に短時間で対応するのは、後ほど清原氏の体験で紹介しますが、大変難しいのです。的確な状況判断と資金に余裕がなければ対応ができません。
余裕資金で値下がりに耐え、暴落時に買う。これを基本にして彼は「割安小型成長株」への投資を推奨します。
時価総額500億円未満の小型株は、機関投資家の投資対象になりにくく、割安に放置されることが多いといいます。市場での投資参加も少なく、事業内容や成長性などを分析するだけで値動きが予想しやすいと見られています。
割安小型株の中で成長株を見つけ投資できれば、数十倍もの利益が期待できる可能性もあります。それゆえ、この「割安」の見分けがポイントになります。
「割安」の見分け方
代表的指標としてPER(株価収益率)を清原氏は挙げます。株価を1株当たりの当期利益(※)で割った指標です。
(※通常、PERは1株当たり純利益で株価を除して算出していますが、ここでは清原氏に従って説明します)。
PER=株価/1株あたりの当期利益=時価総額/当期利益
数値が低ければ割安ですが、これだけでは将来性が見えません。また赤字企業は利益がなく、この指標が使えません。
一般に赤字企業の分析に使われるのはPBR(株価純資産倍率)で、時価総額を純資産で割った指標です。しかし清原氏は「赤字になると一般的に企業の固定資産の価値は簿価よりも下がり、評価額が正しく算出できるとは限らない」と、これも「役に立たない」と退けます。
ネットキャッシュ
清原氏が重視するのは「赤字かどうかにかかわらず、簿価と同じ値段で売れる資産がどれだけあるか」になります。それを示すのがネットキャッシュです。
ネットキャッシュ=流動資産+投資有価証券×70%(※)-負債
つまり企業が持つ簿価と同額で売れる資産に、企業の持つ現金を足し、全負債を引いたものです。
(※70%を掛けるのは有価証券を現金化する際にかかる税金などを控除しているといいます)
そしてこのネットキャッシュを時価総額で割ったネットキャッシュ比率を、投資先を見極める重要指標にしているのです。
ネットキャッシュ比率=ネットキャッシュ/時価総額
この式で比率が1を超えれば、借りた金でその企業の株を買えば、資産を売って返金できしかも余りの現金も手に入るという、“非常識”な事態も可能になることになっています。
ところが清原氏が現役時代、このキャッシュ比率1以上の小型株が「300社を超えた」といいます。
ただし、この計算上の流動資産は現金と同じ扱いにするという甘さもあり、実際はこれにPERなどによる検証も加え、事業の魅力や成長性がチェックされていました。
社長を見抜く
清原氏はこれらの一種の情報分析テクニックとともに、企業の成長性を判断するために重要なことは、社長の力量を見抜くことだと強調し、「小型株の成長性は『経営者』が9割」とも書いています。
そして最も大事なことは「経営者が企業を成長させる強い意志を持っているか」だと強調しています。経営資源の乏しい中小企業は、社長の個性や能力が業績に圧倒的な影響力を与える。この事例が多くの社長に直接会ってきた清原氏の体験から語られます。
後ほど印象に残る清原氏と著名社長とのやり取りも紹介しますが、これら個性と手腕を持つ社長の経営力、人間力を見抜くには、清原氏自身に相応の人間力があったといえると思います。では、清原氏はどのようにして人をも見抜く伝説の投資家に成りえたのでしょうか。
投資家への歩み
清原氏は島根県松江市の生まれです。祖父が満州に渡り、抑留され帰国後間もなく死去。清原氏の父は貧しいため進学をあきらめ、国鉄で働きます。独学で英語を学び、洋書もよく読む努力家だったと清原氏は振り返っています。酒も飲まず、節約して清原氏と兄を大学に行かせる。それが父の人生の目的だったと記しています。
印象に残るエピソードが紹介されています。小学生の時、教師に尊敬している人を聞かれ、清原少年は大好きな「父です」と答えます。すると教師は「もっと他に誰かいないの、歴史上の人物とかさ」と笑い出したといいます。
「歴史上の人物なんてどんなやつだったのかほんとうにわかるのか」。清原少年は悔し涙を流し、決意します。「何が正しいかどうかは、目で確かめて自分で決める」と。
この経験は「自分の目で確認しないと納得がいかない」という彼の人生の基本姿勢を作ったようでもあります。そして、この本では、投資の心構えの第一歩として「常識を疑うこと」を強調します。この心構えは後ほどまとめます。
清原氏は東京大学の理科2類に入学します。分子生物学やがんの研究を目指しますが、大学で優秀な友人たちと交流する中で「私の頭脳は大したことない」と学んだといいます。
そこで「社会に出て出世を目指すなんて馬鹿げている。お金を貯めて株で勝負して儲けるのが一番だ」と考えるようになりました。
こうして、卒業後は野村證券に入社、海外投資顧問室に配属されます。「野村證券は国内の支店上りの元営業マンが出世する組織」であり、この室では出世できない、と「入社後すぐわかった」といいます。しかしその部屋の上司に後にSBIホールディングスCEOとなる北尾吉孝氏が着任。自宅で奥さんの手料理をいただきながら一緒に仕事するなど、丁寧な指導を受け、清原氏の「永遠の上司」になります。
1984年からスタンフォード大学にMBA(経営学修士)取得のため留学。その後野村證券ニューヨーク支店の営業担当となり、同時に米国の証券アナリストの資格も取得します。そして1991年、ゴールドマン・サックスの日本支店に転職しました。
この後海外の貸株市場やプライムブローカーの仕組みを体験し、自らヘッジファンドの立ち上げを計画します。そして1998年、タワー投資顧問に入社、運用部長となり自らも5千万円投資したヘッジファンド「タワーK1ファンド」を立ち上げました。
業界の内幕
「何が正しいかどうかは、目で確かめて自分で決める」という清原氏の視点は、金融業界にあってもその不合理、矛盾を鋭く見抜きます。この本の魅力は、清原氏による業界の暗部の剔抉、暴露にもあります。
野村證券に入社し、清原氏は「高速回転商い」という言葉に出会います。高速回転商いというのは手数料を手っ取り早く稼ぐ方法で、「勢いのある株を天井近くで」何度も顧客に売買させ、手数料を取っていたといいます。天井近くの株はすぐ上がり、高値圏になるので投資家はすぐ売りたくなる。それで売買回数が増やしやすいのです。
「40年前の野村證券には顧客が儲けて、自分も儲かるなんて発想は微塵もありませんでした」。当時の営業マンの自慢は「顧客にどれだけ損をさせたか」「どれだけ部下をいっぱい辞めさせたか」だったと言い切っています。無論これは昔の野村證券の話で、今の同社はコンプライアンス重視の立派な優良企業だと断ってもいます。また高速回転商いはもう行われていないといいます。
「腐れ玉」という言葉も紹介されます。使われていた時代は日本の市場がバブル入りする前の頃といいます。
これは相場の吊り上げでもあり、証券会社内部の営業の仕組みでもあったと説明されています。
将来出世すると目されているA支店長が、株式部とつるんである銘柄を決め、大量に仕入れて客に買わせます。大量に買うので株は上がり、その株を次はA支店長の子飼いのB支店長が客に上値を買わせます。そしてまた上がった株を今度はC支店長が引き受け自分の客に売る。こうして株は順繰りに回っていきます。A支店など最初の頃の客は損がないのでクレームはありません。しかし終わりに近くなった支店の客は高値の株をつかまされるわけです。そうして最終的に行き場のなくなった株が出ます。これが「腐れ玉」といわれ、場合によっては海外支店にはめられることもあったようです。
高速回転商いも、腐れ玉も社内の出世ルートを駆け上がる手段として使われていたといいます。このような不合理な仕組みをも飲み込んで、証券市場はバブル崩壊に向け拡大を続けます。
その中で転換社債やワラント債が大量発行され、幹事証券会社が莫大な手数料を得る構図も明らかにされます。
このような顧客を踏み台にすることも厭わない日本の証券業に見切りをつけ、清原氏はゴールドマン・サックス(GS)に移ります。GSは「顧客の利益を最大限守る会社」であり「戦略、仕事の仕方、人事評価、すべてにおいて野村證券とは真逆だった」と清原氏は驚きます。そして日本人が運用する初めてのヘッジファンドの創設をめざします。
紹介されるこの準備段階からの具体的な作業は、内幕暴露ではありませんがヘッジファンドの大変わかりやすい解説になっています。
ロングだけでなく、ショートができるのがヘッジファンドの特徴ですが、成功報酬20%、運用フィーが資産の1%などのコストのほか、運用者が成功報酬を取るために最低必要な儲け「ハードルレート」や、損を取り戻すまで成功報酬は出ない「ハイウォーターマーク」などまで説明されています。またヘッジファンドの信頼性、運用者の本気度を検証するには「運用者が自分の金融資産をどの程度投資しているか」を見れば分かると指摘し、自分の金融資産の1割しか投資していないなら「偽物のヘッジファンドです」と断言しています。
リスクと隣り合わせのヘッジファンド
「リスクのないヘッジファンドなど存在しない」と清原氏は説きます。そしてヘッジファンドの運用とは「リスクを取る仕事」で「リスクを減らす仕事ではない」と強調します。
「将来のリスクなんて正しく予見できない」というのが彼の意見です。
下記のK1ファンドのパフォーマンスの図表を見ていただいても、かなりの浮き沈みが大きいことが分かります。
この大きなボラティリティを乗り越え、最終的に利益を確保し続ける秘訣。それはこれまで見てきた清原氏の投資術であり、市場の裏をも見通す分析力です。また社長の力量などを見抜く人間力も必要ですし、何よりも投資に際しての心構えも問われる世界です。
この投資に問われる総合力を、清原氏はその時々にどう発揮してきたか。この本で紹介される投資事例の紹介は大きな失敗のケースも率直に語られており、ファンドの貴重な実践論であり、市場の暗部も掘り起こした金融ノンフィクションにもなっています。
どん底こそ好機
KIファンドが立ち上がる1年前から、北海道拓殖銀行が経営破たんするなど、北海道経済はどん底でした。その時に清原氏は札幌に向かいます。拓殖銀行の持つニトリ株80万株がいずれ処分されることを見越しての買い取り交渉のためでした。関東に出店しているニトリの3店がいずれも好調であること、製造小売りをしているのは家具屋でニトリだけであり、インドネシアにも自社工場を持っていること。そして何より社長の似鳥昭雄氏を評価しての買い、でした。拓銀の持つニトリ株は20万しか残っていませんでしたが、その全部を約1億5千万円で清原氏は買い占めます。株価は1年後に3倍に、2004年に10倍になり全株売却します。
機関投資家が見向きもしない割安小型成長株を見出し、集中投資をする。この第1号の成功事例がニトリでした。似鳥社長は証券会社や投資家の接待を一切受けない人でした。何度も頼み込み、やっと社長の泊まるホテルで1000円以内を条件にスパゲッティを一緒します。似鳥社長が言います。「これだ、という優秀な奴を見つけたら、どこまでも追いかけて絶対うちで働いてもらう。それが社長の仕事だ」。ニトリは伸び続けると、この言葉で確信したと清原氏は振り返ります。
リスクを取ると覚悟をしていても、ファンドが破綻する夢に怯えると清原氏は記しています。
これまでの最大の危機はリーマンショックでした。ファンドが大株主になっている不動産会社が次々に倒産ないし裁判手続きに入りました。資金逼迫のために、ロング・ショート共にポジションを縮小します。そこにロングポジションの株を担保に資金提供していたGSが、マージンの変更、つまり担保による資金提供の縮小を申し入れてきます。
さらにそれまで大量に入ってきていた年金基金を中心にファンドの解約が相次ぎ、K1ファンドは半分の投資家を失います。先ほどの図表の2005年10月の資産ピーク時から、ボトムの2009年2月までに純資産総額は72%、運用資産残高は89%と、ともに下落したのです。清原氏は最後に、自らの全財産の銀行預金約30億円も投入し資金ショートをしのぎました。
清原氏は、暴落の相場は必ず反発するとの信念で、大きく値下がりした小型割安株を買い続けます。個人投資家の支援もあり、株価への影響が少ない自社株買いで協力する投資先も続いたといいます。これらのバックアップで、K1ファンドは大底を乗り切りました。
このリーマンショック時にも清原氏は暴落したREIT市場に注目します。アナリストはREIT危機を喧伝し、資金提供する金融機関も撤退を続けます。その崩壊寸前のREIT市場を救うために獅子奮迅の活躍をする一人の証券会社のアナリストが紹介されます。彼は国交省や金融庁を駆けずりまわり、官民の「不動産市場安定化ファンド」を実現させます。これにより日本の不動産市場は救われたと、清原氏は説明しています。むろん彼はこの舞台裏を注視しつつ、底値でREITを買いまくり成功をおさめています。
本書の冒頭で、清原氏は、自分には後継者がいないので、蓄積してきたヘッジファンド運用のノウハウは継承されない、といい「それなら全部世の中に『ぶちまけてしまえ』という気持ちになりました」と話しています。
ニトリ株の成功に始まり、リーマンショックの暴落など、本書には清原氏がK1ファンドで体験した波乱に富む“ドラマ”が、言葉通り赤裸々に記録されています。
そして先ほどの官民ファンドの背景や、2011年に発覚したオリンパスの粉飾決算とその裏にある「飛ばし」(損失の認識を会計上先延ばしにすること)など、個別具体的に紹介され、経済、金融の裏面史を覗くこともできます。
やってはいけない投資
これらの事例を読みながら、投資の実践ノウハウを会得できるのが本書の魅力でもあり、個人投資家にとっては有意義なアドバイスがあふれています。その中で最後に、清原氏が「やってはいけない投資」として挙げているものを紹介します。
まず、ESG投資です。Environment(環境) Social(社会) Governance(企業統治)の頭文字を取った投資対象ですが、この中の「とくに環境問題は複雑しすぎてポートフォリオマネージャーに結論が出せる問題だと思えない」と疑問視します。
「優秀なマネージャーは普通の投資で好パフォーマンスを上げるのでESG投資などする必要がない」「ESG投資は必ずしもパフォーマンスを競わなくてもいい」「従ってESG投資を担当するマネージャーはそれ(優秀な人)以外の人たちということになります」とかなりシニカルです。
そして環境問題の議論そのものが「胡散臭い話だらけ」とまで言い切ります。無論CO2問題などを軽視はしていないのでしょうが、ここでも、CO2の削減のために「なぜ人口を減らすというアイデアが議論されないのか」と問題提起もします。「そもそも環境問題は地球上で人間が繁殖し過ぎたから起きたと思う」とし、「人口が減ればCO2の問題にも対処しやすくなる」と説いています。
この意見には賛否があるでしょうが、「常識を疑うこと」という投資の基本姿勢は貫かれています。他にも「未公開株は決して買ってはいけない」、仕組債など「金融商品の手数料には注意する」「個人投資家は個別銘柄のショートはするな」など、具体的な事例をもとに経験を踏まえた「やってはいけない」忠告が並びます。
投資人生論
「お客が損をして証券会社が儲かること」への疑問から、「顧客が儲かって自分が儲かること」の実現まで、40年かかったと清原氏は振り返ります。
かつて清原氏はジョージ・ソロス氏に「お前は金儲けがしたいのか?それともパフォーマンスの記録を打ち立てたいのか」と問われます。そして破産寸前の失敗や成功を重ねながら、「顧客のために最高のパフォーマンスを目指す」と心に決めます。
清原氏は本書の最後にこう記します。人生はお金にあらず、「いくらお金を稼いでも、一人では一定以上の幸福感は得られないのでは。『人と交わり何かの役に立つ』ことが必要なのだと思います」。
60歳を前に喉頭がんのため声を失った清原氏ですが、投資における人生の幸せ、手応えを見つけたようです。
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