子供のいない社会〜少子化を少しだけ考えた〜
今日はYahoo!ニュースで養老先生の記事を見ました。
〜引用〜
戦後日本の特徴を一言で言えば、都市化に尽きます。戦後の日本社会に起こったことは、本質的にはそれだけだと言ってもいいくらいです。都会の人々は自然を「ない」ことにしています。
〜略〜
都会人にとっては、幼児期とは「やむを得ないもの」です。はっきり言えば、必要悪になっています。子どもがいきなり大人になれるわけがない。でも、いきなり大人になってくれたら便利だろう。都会の親は、どこかでそう思っているふしがある。
この文章を読んでギクっとしました。特に
「子どもがいきなり大人になれるわけがない。でも、いきなり大人になってくれたら便利だろう。都会の親は、どこかでそう思っているふしがある。」
実は私はつい最近そう思ったからです。
成人式の日、晴れ着をきた人を見かけ、我が子もすぐ大きくなってくれればなぁと。
ただ私が住んでいる場所は田舎です。
田舎だけど、畑を耕したり、森や林に親しんだ生活はしていません。
都会人じゃないけど養老先生の言う「都会人」と全く同じ価値観な田舎人なわけです。
ということは都市化が原因であるし、都市がもたらした価値観で生きている人々が少子化をもたらしているということだろうか。
わからない。
私は数年前までもう1人産みたいと思っていた。
まだ頑張れば産める年齢でもある。
しかし最近はもう「産みたい」かわからなくなってしまった。
子供がいない人や産まないという選択をした人からは
「少子化の今、子育て世代にメリットがある政策があればいいと思っている。政治でどうにかならないかねー」
「自分の子なんだから親が面倒みるのが当たり前」
などと言われて、私は少し辛くなる。
「結局あなたは手を貸してくれないんだね。」
と、そんな気持ちになってしまう。
やっぱり1番手伝ってくれたのは自分の親だった。
この人達がいなかったら私はどうなっていたかと思う。
でも親元を離れて子供を育てている人は本当の意味で頼れる人がいなくてどんなに辛いだろうか。
子育てがしんどい時、結局は母親が一番割を食うとよくわかった。
仕事を辞めて、経済的にも心細く、時間に追われる日々。
ふと不安が襲う。
少子化にお金を使うのはもちろんいいけど、お金だけじゃなくてさまざまな「手」がいる。
保育園も仕事や勉強の大義名分がないと基本的には手を貸してくれない。
休みの日は保育園を利用するな!とも言われる。
そのような「なんかwelcomeじゃない空気」が確かに存在している。
そして私もそんな空気が嫌だと思いながら見事にそんな空気に取り込まれていたのかもしれない。
何か親になったら子育て以外何もしてはならぬ、みたいな締め付けが苦しい。
夫婦で出かけたいし、1人になりたい日もある。
でもそんな理由では社会は手を貸してくれない。
結構大切な時間だと思うんだけどな。
例えば、子供というか次世代を育成するために使う「時間」を全国民が必ず1年に3日取らねばならぬ、という法律はどうだろう?
時間が取れない場合は寄付をするとか?
非現実的だけど、「子育ては産んだ人だけで頑張って」だと辛くなるから。
どんな人でも一人前になるまでには人に面倒見てもらってたから、それを下の世代にも自然に返してあげる、という優しさのサイクルが作れたらいいなぁ、とぼやぼやと思うのだ。
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