日本のエリート原体験の変質、という議論。
先日、趣味の読書の一環で文春新書「トッド人類史入門 西洋の没落」を読んでみました。著者はエマニュエル・トッド、片山杜秀、佐藤優の三氏。
本書はトッド氏の「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」(文藝春秋)の副読本みたいな位置付けの一冊。
本サイトのテーマである「中学・高校受験」とは全く異なる文脈で読んだ本なわけですが、その中で受験にかかわる面白いくだりを発見しましたので、
シェアします。
文脈としては、「不平等をつくりだすメリトクラシー(能力主義)」に関する片山氏と佐藤氏の議論の中で発見。
米英のIQ信仰を思想的背景として新自由主義が生まれた経緯を踏まえ、左翼の高学歴エリート層が社会の大多数の労働者や大衆から遊離したことが、社会の分断と荒廃を招いた、という点にトッド氏が問題意識をもっている、と片山氏。
これに対して、佐藤氏曰く「日本で教育格差やメリトクラシーの問題を象徴しているのは、「二月の勝者ー絶対合格の教室」という漫画作品。」と応じます。
読んだことないですが、すごい漫画。今度読んでみよう。
で、次のくだりが強い印象として残ったので、シェアします。
受験産業の興隆の歴史を振り返るに、すでにエリート層の原体験はだいぶ前から変わってしまっていて、今もなお現在進行形でエリート層の同質性が高まり続けている、ということなのだと思います。これらに対する歴史的評価は後世に委ねるとして、委ねずともなんとなく想像できる気もします。
我が子を受験に挑ませるにあたり、自戒というか、一つの視点として持ち続けておきたいと思います。
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