知らない曲に思いを馳せていたあの頃
小学生の頃、漫画の「ちびまる子ちゃん」をよく読んでいたのですが、
ある時"父ヒロシが間違って覚えた歌を、まるちゃんが正しく教える"という話がありました。
その歌とは、殿さまキングスの"なみだの操"でした。
(少女漫画でその曲っていうのが何ともアレですが)
話の中で、「そこは◯◯じゃなくて⬜︎⬜︎だよ!」と何度も歌詞が繰り返されるので、読んでいると何となく歌詞を覚えてしまいました。
でもメロディはわからないから、「どんな曲なのかなぁ」と思っていました。
ちなみに「ちびまる子ちゃん」のこの話は実話であるらしく、その後発売された作者のエッセイでは、ちあきなおみの「喝采」を本物の父ヒロシ(※)がどのように間違えていたかというのが事細かに書かれていました。
※(さくらももこさんの父親は本当にヒロシというらしい)
例えば"黒いふちどり"を"黒い不死鳥"と歌うなど、少し文字が違うだけで内容がとんでもないことになってしまい、それに対してさくらももこさんの秀逸なツッコミが入るのです。
私は呼吸困難になるほど笑って、何度も何度もその話を読みました。
そして、ちあきなおみの「喝采」も歌詞は覚えたのですが、メロディがわからず「この歌詞がどんな風に音符に乗るのかなぁ」と思っていました。
そんな風に、子どもの頃は「どんな曲なんだろう」と思っても、調べようがなくてわからないままのことがほとんどでした。
今はスマホですぐに調べて聴けるので、本当に便利だなぁと思います。
だけど、「どんな曲なんだろう」と思いを馳せていた時間も悪くなかったなと思います。
そう思えるのは、"すぐに調べものができるようになる未来"が待っていることをわかっているからなのかもしれませんが…
決して、どっちが良くて、どっちが悪いということではありません。
ただ、私の好きなタブレット純さんが時々言う「不便なところからこそドラマが生まれる」というのは、やっぱり本当だなと思います。
それは、昭和の時代は携帯電話がなかったから男女のすれ違いなどが平気で起きる世の中で、現代から考えると不便だけども、そういう状況だからこそ人々の心を打つ歌がたくさん生まれた、ということなのですが、
私自身も、子どもの頃に知りたくても知る手立てがなかった歌謡曲を何十年経った今になって知ることができて、時間はかかったけども、時間がかかったからこそ"知ることができた"という結果に感慨深さを覚えるんだなぁと思います。