見出し画像

私の生きづらかった幼少期の話

幼少期に私は、本当に生きづらかった。

父が母に暴力をふるい、
母は子供に言葉という暴力をふるう。

なにか言い返そうものなら、その100倍は返される。
まるで機関銃のように言葉という暴力を浴びせられる。

当然、口をつぐむしかなくなる。
いつしか、言葉を発することがなくなる。

すると、それはそれで、怒られる。

画像1

小学校3年か4年のころ、
あまりにも私が言葉を発しないので、学校の担任の先生に言われたのか、
母は私と交換日記をしようと提案してきた。

私は意味が分からなかった。
当然、書くことがなかった。
でも書かないと怒られる。

そこで私は、毎日、日記と称してなぞなぞを書いた。
何を書いていいかわからなかったからだ。

案の定、何日かその不思議な
なぞなぞという日記が続いた後、母に怒られた。

こんなの日記じゃない。
なぞなぞは日記じゃない。
日記を書きなさい。
おまえが思ったことを書きなさい、と。

画像2

書けるわけない。
私が思ったことってなに?
ココロを殺して生きているのに、
感じたことってナニ。

ほどなくして、日記は終了した。
すべてこんな調子だ。

私が言葉を発するその端から
すべて否定してくる。

母は感情の起伏が激しすぎるのか、
いつもヒステリックに私を攻撃してくる。

私は地雷を踏まないように踏まないように
気を付けているけれど、
どこに地雷が埋まっているか
どこで爆発するか、
ほんとにスリリングなゲームのようになっていた。

画像3


どこの家庭もそうなのかと思っていたら、
どうやらうちだけ特別のようだと知ったのは
随分大人になってからだ。

大人になって、仕事をしだして、
上司や同僚から聞く
家族や家庭の話からは
そんなサバイバルな話は全くなくて、
聞かされる話は、
愛にあふれた家族の話ばかり。

うちの子供がさ、とか、
お母さんがね、とか

そんな話を聞くたびに、
あったかい、赤い色を帯びたオーラが
周りを囲んでいく。

けれど、一歩自分の家族のことを考えると、
そこは、
青く、ほの暗いひんやり冷たい色しか見えなかった。

いつしか、私はその赤い色を帯びたオーラを
希求するようになる。

画像4

それが、結婚を決めた理由だ。
けれど、それはそれで
依存という名の別の地獄を見ることになる。

ほんとうの自分を生きていなかったからだ。

結局、何かを何かで埋める行為は
代替品にすぎず、
本質の問題を解決していないので、
同じことを繰り返す。

痛みを伴う自己成長が必要なのだ。

気に入ったら、ぜひ「いいね」を押してくださいね。(^▽^)/

Facebookでいろいろ投稿しています。よろしかったらご覧くださいませ。
https://www.facebook.com/saorinaoyama
アメーバブログで日々のメッセージを投稿しています。
https://ameblo.jp/robin-bird/
インスタグラムで日々の感じたことを投稿しています。
https://www.instagram.com/saorinaoyama/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?