【創作BL】それは昼休みの出来事だった / ベルアン

「お疲れさま、アンジェ」

 コーラスサークルの練習が終わり、早々に帰りの準備を済ませて帰ろうとしていたアンジェの前に現れた、大きな壁。

「この後時間あったりするかな? 最近オープンしたカフェのケーキがおいしいって聞いたから、よかったら一緒に――」

 嫌でも聞き慣れてしまったバリトンに、アンジェは露骨に嫌そうな表情をし、ぷいとそっぽを向くと、そのまま部室を後にする。
 その背中を見つめる大きな壁ことベルトルトの表情はうれしそうで、それを目撃してしまったイーサンはいつものことながら、眉間にしわを寄せる。

「そういうわけでイーサン、帰りにお茶していかない?」
「何が"そういうわけで"、なんだ……」
「今の会話、聞いてたでしょ? アンジェに断られちゃったからさ」

 思わず会話とは、と考えそうになったイーサンだったが、ベルトルトのいつもの笑顔の前に脱力するほかなかった。

 最近、ベルトルトがアンジェと会話ができたんだ、とうれしそうに報告してくることがあり、イーサンはてっきりあのアンジェがしゃべったのかと思っていたら、ベルトルト曰くそうではないらしい。じゃあどういうことだ? と疑問に思っていたイーサンだが、先ほどの現場を見てようやくベルトルトの言う"会話"の意味を理解した。案の定、アンジェは一言も発してはおらず、しかし態度や行動で返事をしている、といえば、人によってはそう感じるかもしれない。それをベルトルトは会話と呼んでいるらしい。

 それでも、あのアンジェをそこまでさせたのはある意味すごい、とイーサンは思う。イーサンがアンジェにとられた態度といえば、アンジェの間違いを指摘しようとして話しかけたら、すべてを言う前にアンジェに鋭く睨まれたくらいである。結局、間違っていたのはイーサンのほうだったのだが、そんな二人のやりとりを見たベルトルトからは、イーサンもアンジェと会話できたね、などと呑気なことを言われた。

「しかし……なんでベルトルトはそこまであいつに執着するんだ? 本当に懲りないな……。そのうち本格的に嫌われても知らないぞ」
「うーん、僕は純粋にアンジェと仲良くなりたいだけなんだけど、それは困るなぁ……」

 相変わらず呑気なベルトルトに、イーサンは大きなため息をひとつ。

 アンジェ自身がどう思っているか、どんなことを考えているのか、イーサンには知る由もないけれど、アンジェの性格からしておともだちを作るつもりなんて微塵もないだろうに、と余計なことだとは分かってはいながら、イーサンは内心では心配しているのだった。


     * * * * *


「あれ、ノエル? 久しぶりだね」

 イーサンと一緒にお昼を食べようとベルトルトがイーサンを探していると、その後ろに久しぶりに見かけた姿があった。

「あ、ベルだ! 久しぶり! 元気?」
「おかげさまで。ノエルも元気そうで何より」

 ベルトルトに気付いたノエルは、イーサンの後ろからひょっこりと顔を覗かせる。

 ノエルはオーケストラ部のフルートで、一見二人とは接点がなさそうだが、年に一度のコーラスサークルとオーケストラ部の合同演奏会の練習で知り合い、以降顔見知りになった。

「イーサンと一緒にお昼ごはん食べようと思ってたんだけど、ベルも一緒にどう?」
「ちょうど僕もお昼を食べようと思ってたところなんだ。今日は三人で一緒に食べようか」
「やった! ねぇイーサン、どこで食べたい?」

 そんな会話を交わしながら、三人の足が自然に向かうのは中庭。今日は天気がいいからだろうか。きっとにぎわっているだろうなと思いながら一歩外へ出ると、予想通りそこはにぎわいを見せていた。
 どこか空いている場所はないか、探しながら中庭をうろつく。途中、ノエルが見つけた木陰に落ち着くことにした。

「あ、アンジェだ」

 不意にベルトルトが呼んだ名前に、ノエルもベルトルトと同じ方向を向く。そこには、中庭の隅のほうのベンチに腰かけて何やら読みふけっているアンジェの姿があった。

「アンジェも誘っていいかな? ちょっと声を掛けてくるよ」
「うん。行ってらっしゃい。ひとりで食べるより、みんなで食べるほうがおいしいもんね」

 ひらひらと手を振るアンジェに見送られ、ベルトルトはまっすぐアンジェのもとへ向かう。

「どうしたの? イーサン」
「いや……別に……」

 今日、アンジェの姿を見たのはこれが初だったが、なんだかイーサンは嫌な予感がして小走りでアンジェに駆け寄っているベルトルトの背中を見つめる。ただの予感だし、ベルトルトがアンジェに構いに行くのなんて、もはや日常茶飯事なのに、今だけは、なぜか。

「やあアンジェ」

 ベルトルトが声を掛けるより先に、すっと覆いかぶさってきた陰でアンジェはその存在に気付いた。楽譜から顔を上げて、それがベルトルトだと気付くと、案の定、アンジェは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。

「ひとりかい? よかったら一緒にお昼でもどう? あっちにイーサンとノエルもいるんだけど……」

 つん、と無視されるのはもはや慣れたもの。それでも懲りずにベルトルトはアンジェに話しかける。
 アンジェはというと、そっぽを向いてとんとんと膝の上で広げていた楽譜を整えてその場を去る準備をはじめていた。

「天気もいいし、たまにはみんなで食べない?」

 アンジェがどんな態度をとろうが、ベルトルトが懲りないのはいつものことだが、今回ばかりはアンジェは鋭くベルトルトを睨み、あからさまに敵意をむき出しにする。

「お昼を持ってきてないなら購買に付き合うし、それとも学食のつもりだったり……」
「……い」
「ん?」
「いい加減お前しつこいんだよ!」

 和やかな雰囲気の中庭に、突然響いた怒りを含んだボーイソプラノ。周囲の人は驚いて一瞬会話を止める。……が、すぐに何事もなかったかのように喧騒が戻ってくる。喧嘩かな? びっくりしたね、そんな声もちらほら聞こえるが、二人の耳には届いていなかった。

「え、っと……?」

 目を丸くしているベルトルトをもう一度睨むと、今度こそアンジェは去っていった。行き場をなくした右手を上げたまま、少し遅れてベルトルトは去って行くアンジェの背中を視線で追いかけた。

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