夜を捨ててくれないか
愛憎入り混じるという経験はあまりしたくないし、自分がそういった感情を長いこと所持できる人間なのかどうかはよくわかんない。ただ根っこがしっかり粘着質なので、案外長いこと精神ドロドロにしてたりしてなあ、と思って気がついた。
あ、アタシ、かれこれ4年くらい呪詛を吐きながら聞き続けてる音楽が、あ、ある。
特定する言い方は避けたい。ぼかぁ保身の鬼なのだし、何より好きなものを否定されることに人一倍弱いので他の人にそれをしたくない。
けど、あれだよ。最近夜好性と呼ばれているジャンル(?)の核をなすバンド、というかユニット。どれかは明言しないけど、アイドルの曲作ってなくて尚且つライブで三味線とかしゃもじとか映写機とか使わない方。まだ歌詞の意味が理解できる方です。
この音楽を、本当に大切に大切に聴いている子を私はたくさん知っているし、その子達の顔を見ながらこれを言えるかと問われたら全然そんなことない。
というかさあ!!!!私だって大好きだったし!!古参マウント取ろうと思えばバリバリ取れるくらい聴き尽くした。メジャーデビュー前のアルバム少ないお小遣いで買ってたし、中学の陸上部での練習が辛い時は残り時間見て頭の中で「さよならワンダーノイズ5回分だな……」とか考えながら走ってた。センター試験は街路、ライトの灯りだけ永遠リピートしてた。これで特定できたな。そう、お別れの歌ばかり作っていたとあるボカロPのユニット。
ミクちゃんの調声がすごく特徴的で、「泣いてるみたいに歌う」ってコメントにすごく納得していた。歌詞に「歌」とか「唄」が必ず入っていて、
「嫌いな唄で耳を塞いだ」
「褪せた唄」
「あの唄の続きを」
なんて、こびり付いた音に、"君"との別れに、ずっと絡め取られている内面が透けて見えるようで、でもやっぱり創作なのかなと思うくらいにはわからなくて、そんな歌詞とメロの親和性が大好きだった。私は本当に、彼の作る音楽が好きだったんだよ。
それは別に、歌を預ける対象がボカロから人間になったからと言って変わらなかった。あの調声が聴けなくなったのはそりゃちょっとね、寂しかったけど。相変わらずメロは良かったし、ギターのリフ、歌詞の嵌め方、全部好みのままだった。彼の作るものに彼の名残を感じられたのだ、しばらくは。
「写真なんて紙切れだ 思い出なんてただのゴミだ」
おや?
「言葉なんて冗長だ」
「音楽とか儲からないし」
うん。歌詞=思想ではないよ、そりゃないさ。コンセプチュアルなアルバムの制作を試みていたのは知ってるし、ストーリー仕立てとキャラクターの具象を、歌詞という限られた表現の中で成立させるには必要なインパクトだったってのも理解してる。
けどさ。
作品に、もっと砕けば自分の言葉に、集めてきた音に、無責任すぎやしないか。
ちょっとあんまりじゃないかい、ねえ。
潜航艇の名を冠した、最終話とも言える位置付けの曲が1番最初に生まれていたと知って私は愕然とした。いやあの曲自体に不満はない、確かに別れの歌が上手な彼らしいし、さよならの縁に立ちながら先を眺めている方向性はすごく既視感がある、いい意味で。
でもさ、あの曲で「夏草が邪魔をする」って言われたらさ、まだ好きだった曲たちも塗り潰されちゃうじゃんか。
込められた教養とか、好きを積んできた音とか、そういったものが彼の描きたい音楽への絶望っていう終着点に帰着しちゃうじゃんか、無責任な主張に含まれちゃうじゃんか。
再三言うが彼自身の主張だと鵜呑みにしてるわけじゃない。もちろん、火のないところに何とやら、みたいな構図と一緒で、自分の中に無い観念は発想として出て来ないのでは、と感じる時はあるけど。彼が商業音楽に絶望したのか否かはわからないし、仮にそうでないならよくあんな解像度を上げたものだな、と感心するけど。
知りたくなかったなあ、あの人のそんな音楽は。
演出だとしても、"作品の責任を放棄する"ような詩は書いてほしくなかったよ。ねえ。
盗んだんだから当たり前、なんて書くなよ。何かを作るなんてそんなもんだろ、良いと思ったものを集めて集めて、自分の中に押し込んで咀嚼して消化して質も形も全部変えて、それでやっと何かにできるんだろ。そこを放棄したポーズを取ってさ、メタ次元から笑うような、そんな格好悪いことするなよ、なあ。
同じような曲って言われても、日暮れの中で独白を懸命に飾るようなあの頃の曲、大好きだったよ。
もう君は歌わずにさ、一度夜を捨ててくれないか。
とまあエゴだらけのお気持ち表明を続けたわけですが、ストーリーや自罰的な歌詞に魅了された、今の彼らを支えている子たちはわんさかいるわけで。その子達にどうこうは思わないし、そもそも戦略なのだとしたら私はとんだ間抜けだし、超絶厄介古参オタクを拗らせているのも承知しております。合わないものからは距離を取るべきだし、それができないなら、まだ好きだと思うならば、黙って曲を聴いてればいい。普段はそうしてるつもりなんだけどさ。
「好きなアーティストは?」って聞かれてその名を答えるか迷う瞬間、2023年再生数ランキング上位に入っていて複雑な気持ちになる瞬間、そういったものにケリを付けたくて今、吐き出している。
「この曲に救われた」と口にする人を見る度に、それは誰かに与える影響力を本当に考えて作られたものなんだろうかって考えてしまう。負わなくてもいい責任と、負って欲しい責任が収まる場所を忘れてしまっている。
本当にごめん、ごめんね。でも私だって大事にしていたんだよ。耐用年数なんて考えずに、彼の作品を持っていたかったんだよ。みんなが羨ましくもあるから、せめて離れたところで静かに見届けさせてね。
記事のヘッダーは誕生日プレゼントでもらった藍二乗っぽいインク。
思い出がゴミだろうが上等だよ、私はゴミ屋敷に住み続けながら歳食ってやる。
あの歌詞を殺す。紙切れに縋る。