後輩育成計画=作戦は未完
異動の回避
私は、しばしの間かはわからないが、とにかくとても嫌だった異動を免れた。
異動させたいという部長クラスの人が言うには「一人で全部できるような統括者を育てたい」のだそうだ。けれど、こんなコロナ禍の中で、一体どんな“電車”や“電気”、“就活”にまつわる冊子を作れというのが、甚だ疑問だけが積み重なっていた。口を開けば「コロナが収まるまで納期を後ろ倒しに」「コロナが収まるまで休刊で」の繰り返し。
そりゃそうでしょ。誰もぶち当たったことのない壁に、世界中がぶち当たってるんだから。そう簡単には解決もしないし、収まりもしないでしょ。
だけど準備だけは入念に、クライアントに言われたことは絶対。
カスタム誌の悲しい定めをここで受け続ける。
挨拶しに来いとクライアントが言うから伺えば、「人数が多くて密だな」とどやされ、企業訪問できるかわからないけど、7月から動けとか言われる。そもそも企業は外部の人間をそんなにホイホイ会社に入れたりしない。何が感染源か特定できなくなるからだ。
一方では、10月までに開催するイベントを7月の中旬までにFIXさせて完パケ納品しろと言う。イベント会社や、美術館を含め、みな開催のジャッジを決めるのはギリギリだ。どれだけ開催に余念無く準備したとしても、クラスターが一つの場所で起きれば、そんなの国がNG出さなくたって、決定にまで踏み切るにはまた時間がかかる。開催することで、苦しむ人、苦しめられる人を生んでしまうのだから。
それなのに、「なんでできないの?」と言う。
世の中は、おバカさんばっかりなのだろうか…? 私は、いつから奴隷になったのだろうか?
「はい」「すみません」「鋭意努力します」
どれも嘘はない。でも、できることと、できないことがあることを、もっと理解すべきだとは思う。現実的かそうでないかも想像できないほどに、わけわからん人が世の中に溢れているのが、心から残念でならない。
そんなことを思う毎日だった。異動が遠のいてくれて、本当によかった。
未完になった引継ぎ
でも一方で、悲しいこともある。そもそも私の異動がなくなったのは、私が引き継いでいた子が病んでしまったからだ。思っていた仕事と違ったそうだ。それに対して、私は何も言ってあげることはできない。
「みゃあさんのような編集者になりたいって、あの文章を読んで思いました!」
と、彼女は言ってくれた。部内で順番で仕事のことや趣味のことを語る回覧板のようなシステムがあり、そこで私が書いた内容に関心を持ってくれたみたいだった。嘘だとしても、嬉しかった。だから、つらい仕事ばかりだけれど、“編集って面白いな”と少しでも思ってもらえるように努力したつもりだった。でも、彼女は自分の体が壊れるまで、ついぞ言えなかった。本当は、システム系のことがやりたかったそうだ。それを聞いた時は、心から驚いた。じゃあ、なんで、編集部に来ちゃったの?って。だってそうでしょう。いずれそういうこともこなせなければ、厳しくなるようなこともあるかもしれないが、残念ながら、編集部はまだその域にまで達していません。
私の教え方が良くなかったのだろうか…。
とも思った。私は、いくつかの会社で、社会人になってまでのイジメには複数回遭遇してきた。だから、余計に神経は使ってものを教えていたつもりだ。絶対に間違えてはいけないとはいうけど、彼女が辛そうなら、「死ぬわけではないから大丈夫」と言っていた。わからない、ちょっときついと思ったら、すぐ言ってねって。なんとかするから、大丈夫だよって。彼女は頑張っていた。ちょっとしたおっちょこちょいはあるけれど、そういうのは、少しずつ潰して行けばいいだけだし、格段大きなミスを起こすこともなかった。
「忙しいなら大丈夫だけど、やってみたいなら、お願いしようと思う。どうかな?」
と、彼女のキャパシティをギリ超えそうな仕事内容に関しては、提案の形をとっていた。労働時間がオーバーしてしまうのが、一番NGなので。時間を区切って、じゃあこれをやってもらって、この時間までにできなかったら、こっちの仕事は私がやっておくから、それをやり切ることに集中しよう。とか。
でも、全部、無駄だったんだなと思うと、少し悲しい。
後輩の育成
よく最近「もういい歳なのだから、後輩を育てるのも仕事の一つだと思って」と上司に言われる。それも、なんか、モヤモヤする。別の新人さんに教えても、うんともすんとも言わない。リモートだし。教えても、「はい、わかりました」とレスがきても実行はされない。よくよく聞くと「やれ」って言われてないから、やらないのだそうだ。
「やれ」と言われたら「やる」。「上がって来たゲラを見て、私の言ってることと照らし合わせて、入れた方がいいと思ったら入れるように検討して」だと、スルー。
わからないんだそうだ。そっかー。わからないんだー。へー。
私が小さい時からの口癖は「なんで?」だ。今でもよく言う。母は、私がこう聞くと、必ずこう言う「お前の頭はシャンデリアなのか?」と。自分で考える、調べる、そういうことをしなさいという意味である。飾り物じゃないだろ? 何のために付いてるのか、と散々どやされたものだ。
わからなかったら聞く。調べる。考える。そんな当たり前のことも、今の人はできないのだろうか。私が思うに、できないんじゃなくて、やらないだけだと思う。それは、興味がないから。興味のあること、自分が一生懸命になれること、もしくは、お金をもらっているんだからという責任、そのどれかがあれば、行動できると私は思っている。
世の中は違うんだろうか。働くってそういうことじゃないんだろうか。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?