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先人たちからの忠告
黙示録を読んで、現在の状況とシンクロするという記事を拝読した。
私は、ガンディーの言葉を思い出している。
あなたに思い出してもらいたいのですが、私たちの国にイギリス人たちは、本当は商売をするためにやって来ました。あなたの勇者カンパニーを思い出してください。カンパニーを勇者に誰がしたのですか。
気の毒なイギリス人たちには支配する気持はありませんでした。カンバニーの人たちを助けたのは誰でしたか?カンバニーの人たちの銀を見て誰が誘惑されましたか?カンバニーの商品を誰が売っていましたか? 歴史は証明していますが、私たちこそがそれすべてをしていました。お金をすぐに手にする目的で私たちはカンパニーの人たちを歓迎していました。私たちが助けていました。私にマリファナを飲む癖があり、マリファナを私に売る人がいるとすると、私はマリファナを売る人を責めるべきでしょうかそれとも自分自身を?マリファナを売る人を責めることで私の悪癖は治るでしょうか?その売る人を追い払ったら、ほかの人が私にマリファナを売らないでしょうか?インドの真の奉仕者は、正しく探求し、根本を調べなければなりません。
私たちは見たのですが、イギリス商人を私たちが励ましたとき、商人たちは足を広げることができました。同じょうに私たちの王がたがいに争ったとき、勇者カンパニーの援助を求めました。勇者カンパニーは商売と戦争に長けていました。そのことに道徳とか不道徳は障害にはなりませんでした。商売を広げお金を稼ぐのがカンパニーの仕事でした。それに私たちが援助すると、カンパニーは商館を増やしました。商館を守るために軍隊を置きました。その軍隊を私たちが利用したのです。ですから、もうカンパニーに罪を着せるのはむだなことです。そのとき ヒンドゥー教徒、イスラーム教徒は敵対もしていました。そこでカンパニーは支配の機会を手にしたのでした。このようにあらゆるやり方でカンパニーの支配がインドに及ぶよう、私たちはカンパニーのためにしたのでした。ですから、私たちがインドをイギリス人に与えたというのが、インドが減んだというよりもっと正しいのです。
(『真の独立への道』M.K.ガーンディー p44-46)
この国は瀕死の病人だ。植民地インドと同じだ。カンパニーは国際金融資本だろう。
打つ打たない、○○が悪い、打つ打たないを決めるのは権利だ、・・・。
全ての議論は、アトピー性皮膚炎にステロイド剤を塗るのか、塗るとすればどのくらい塗ればいいのか、・・・の議論と同じ。根本を変えなければ治るわけない。
結局、私たちがお金を中心に動いている限り、この状況は変わらないということだ。
お気に入りのcelvokeのリップをみんなに見せびらかしたくて、マスクを外したいから私は打つが、子どもは打たせたくない。
私が生んだ子たちをあきらめたのは、現行の資本主義から降りることができないのが分かっているからだ。振りかえってみれば、夫がそうだから。周囲が夫をチヤホヤした結果、夫は正しく、私はビンボーくさくて、”おかしい”の図式ができあがってしまった。私も自信がなかった。その結果、子どもたちは、夫と同じで、私と反対向きのベクトルを持つようになった。成人した彼らを、今になってひっくり返すことなどできない。
ガンディーの言うことは、理想的すぎて実現が難しかったと言われる。私も厳しすぎると思う。でも、他に方法がないと思う。
打たないと宣言している身内も、ここまでのことなど考えていない。だから、私が守らなければいけないと思っている。
仮に、今回を上手くやり過ごしたとしても、また同じようなことは何度でも起こる。
結局、欲望と恐怖で大衆は手繰られるということだ。それを聖典であれ、言い伝えであれ、誰かの著作であれ、先人たちは伝えてくれている。欲望と恐怖を持つのを止めろと。
そういう重たい話は嫌いだから読みたくないと言う人もいるだろうし、「大げさな!」(これはよく言われる)と言う人もいる。「大げさな!」の背後には「インボー論」という言葉がある。
そうやって、同じことを何度も繰り返すから、「歴史は繰り返される」のではなく、自分たちで繰り返しているということになる。