見返りを求めない愛
この方、おいくつなのだろう。ウチの息子くらいだろうか。吹っ切れたつもりでも、いつまでもモヤモヤするのよね。励ましにも何にもならないけれど、同じように悲しい思いをしている人って多いと思う。私もそうだったし。
ちなみに、私は・・・
大学進学のときに、お願いだから○○大学に行ってと母に泣かれた。センターで、○○大学の教育学部に行ける点数を取ったけれど、先生になんて絶対になりたくなくて、ワンランク下の別の大学の別の学部に行ったから。
田舎の優等生だった母は、高卒。昔のことだから、大学に行かせてもらえなかった。社宅の奥さんや友達はみんな大卒。父の姉の娘は旧帝大の薬学部。母は色々と下に見られることが多くて、子どもで仇を取ろうと思ったのは、分からなくもない。
私はそのことを知らなかったわけではないが、親は、見返りを求めない愛、無償の愛を注いでくれていると信じていた。母が大好きだったし、できることは何でもしてあげようと思っていた。それなのに、結局は、母が色々としてくれたことは、自分の見栄を満足させるためだったのかと。
学費を出してもらっているのだし、私は母に見返りを求めない愛を注いだのだから、恨んではいけないと思うのだけれど、やっぱり悲しい。
就職先は、それほど大手でもなかったから、そこでも泣かれた。せめてこっちにしてくれと母が勧めた同業他社は、私が勤めた会社より少し大きかったけれど、今で言うブラックだと思ったから、行かなかった。何年かしてその会社は潰れた。
結婚したら、私より夫が有望だと思うと、「女はねぇ~」と言い出して、夫を支えるのがあなたの仕事だと言いだす始末。「どうして女が家事をしなければいけないの?女は損だ」と言っていたのに。
我が子には母のようなことをするまいと思っていたけれど、骨の髄まで母の見栄っ張り思想が染みついていた。大嫌いでしょうがなかったのに。
それが子どもに向ってしまい、子どもがトラブって、私も破綻した。私には「無償の愛」なんて無理。でも子どもは求めてくる。
母の無邪気な見栄っ張りを受け止めることが親孝行だと思って、頑張ってきたけれど、とりあえずは、ガンガン流れてくる母のエゴを止めなければ、私が子どもを破壊してしまう。そう思って、親との交流をやめた。
これはこれで、罪悪感が半端ではなかった。
私がこれだけ苦しんでいる理由が、母にはさっぱり理解できないようだった。母から受け継いだ見栄っ張り思想がすっかり抜けるには10年かかった。抜けると、「見返りを求めない愛」ってこんな感じ?というのが分かってきた。子どもが巣立ち始めたときだったから、もう少し早かったら良かったのだけれど。
私もいいおばさんだし、母も高齢だから、もう和やかにやらなければと思ったのが何年か前。
去年お墓参りに行ったときに、私が幼稚園のころの話が出た。社宅の大卒の奥さんたちの子ども数人から私はいじめられていた。それを知っていたけれど、何もしなかったという話が出た。なんだか、小さいころの自分がかわいそうになって、泣けてきた。他にも色々とあったから。
もう、ずっとこうなんだろうな。相性が悪いって言うのか。
もし、魂年齢のようなものがあるとすれば、申し訳ないけれど、父も母も私より低いと思う。そう思うからこそ、両親を受け入れられるし、実家という故郷を捨てる決心もついた。
この茶番が起きて、歴史を振りかえってみれば、ずいぶんと前から仕込まれてきたことに気がつく。両親も仕込まれた思想に振り回されていただけで、気の毒だったと思う。でも、私は気づいた。両親は相変わらずお花畑の住人だ。両親は両親の人生だから、私にできることは何もない。