見出し画像

バカバカしいのは分かっている

身内と喧嘩した。修復不可能かもしれない。

プライベートな場であっても、マンボーみたいなことを言い出す。バカバカしいのは分かっているけれど、職場でそう決まっているからだと言う。そんなに気にするのなら、会うのをやめればいいのに。

先日、伊勢に行ったとき、おかげ横丁で、入ってくる客が消毒しているかいちいちチェックしている店員がいた。そんなに客が汚いなら、店を閉めればいいのに。雇われの身だったら、辞めればいいのに。

その人が仕事上、どうしてもそうしなければいけないのは、その人の勝手だ。

こういった人たちの気持ちや心情が分からないでもない。だけど、理解できるからと言って、こちらが合わせることを期待されるのはおかしい。何よりも、ばい菌扱いされて失礼この上ないのに、「はい、はい」なんて簡単に同意できない。

我が子をあきらめた私には、そもそも維持したい人間関係などないのだから、拒否したところで痛くもかゆくもない。

頭でっかちでこの茶番を茶番だと分からない子、仕事を続けるためと言って液体を注入した子。母親の私より先に死ぬかもしれないような、バカな考え方と行動をしているのを黙認する

我が子をあきらめるというのはそういうことだ。

母親をやった人間にしか分からないだろうけれど、これは私自身が母親として死ぬことに等しい。周囲は母親やったことない人と、○ロナ脳の母親しかいないから、誰もこの重みを理解しない。

前にも同じようなことがあった。私がわがままを言っているとされた。今回も同じようなものかもしれない。


それはさておき、「母親として死ぬことに等しい」思いにまで至っている私にすれば、その人が「仕事」を続けるために、不条理なルールをつきつけてくるのはとても浅いと感じるし、図々しいことこの上ない。

でも、そういう人たちのほうが多いから、拒否すれば「人でなし!」と評価するか、「”常識”のない人」とレッテルを貼ってくるのだろう。

正直、相手、・・・いや人間にどう思われるかはどうでもいいと思っている。お天道様、神様がどう思うかが重要だ。

これまでも、他人のふりかざす「仕事」という印籠に何度も泣かされてきた。でも、その印籠はお天道様や神様の前でも通用するのか。



そういう話の延長線上にこういう事態があるのだろう。

画像1


バカバカしいのは分かっていて、こんなことを子どもにやらせていいのか?母としての気持ちを軽々しく扱い、「仕事優先」が目に見える形として現れた結果だと思う。「母としての気持ち」というのは、生き物としての思いでもある。

○スクが強制ではなかったとき、新しいもの好きの若い親が、小さな我が子に○スクをさせていた。「ああ、終わったな」と思ったけれど、このまま終わるのか?

情けないよね・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?