秦氏と原始キリスト教
この茶番はあきれ果てたり、悲しいこともあったけれど、「得たもの」は大きい。「得たもの」というのは、知ったこと、気づいたことだ。
その一つがあの不思議体験の意味だ。
とにかく「キリスト教」が大嫌い。一つは、その歴史。
もう一つは、子どもを傷つけたあの心療内科のクリニックの壁に聖句が貼ってあったこと、初診でそこの医者が「早くよくなりますように」って祈りを捧げたこと。その後、向精神薬で子どもが狂ったから、ホントに悪魔教以外の何ものでもない。
おまけとして、クリスチャンの友人とはどうも気が合わない・・・
そんなキリスト教嫌いの私のところに現れたから、「どうして現れたの?」「お釈迦さまのほうが良かったのに」とずっと思っていた。
世面地さんが紹介されている動画のような、長いやりとりがあったわけでもなく、ほんの一言、二言で、それ以来、現れることもないのだけれども、あの時の私にとっても、今の私にとっても最も適切な言葉だったと思う。
イエスが十字架で亡くなって、イエスを信じる人たちによって「教会」(場所ではなく人の集まり)ができた。「原始キリスト教」だ。その後、キリストを信じる人たちは、ずっと迫害され続けてきたが、392年ローマ帝国がキリスト教を国教にした。現在は大きいところで、カトリック、正教会、プロテスタントの三つの宗派がある。私はそのどれでもなく、「原始キリスト教」がいい。
というのは、秦(はた)氏の存在だ。古代日本に来て住み着いた一族だ。機織り(はたおり)などの技術を伝え、その一族が神社なども作った。その秦氏が「原始キリスト教」を日本に持ち込んだと言われている。私の実家の両親は同じ姓で「はた」と発音が近い。父方の家紋しか知らないのだけれど、六芒星に近いといえば近いデザイン。一族は、どちらも日本中に散らばっているので、農耕民族じゃないと思う。混血が進んでいるから、日本人には、皆秦氏の血が入っているとは思うのだけれど、私は案外濃いのかもと思っている。
”神話を忘れた民族は100年以内に滅びる”と、イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーが言うが、個人レベルでも、家族レベルでもそうだと思う。この茶番を通じて、自分のルーツというか故郷みたいなものがないと生きられないというのがよく分かった。GHQが徹底して破壊したことが今になってよく分かる。
余談だけれど、親子関係がしんどい!という原因もここにあると思う。忠誠を誓うのが、「家」だとか「国」であれば、親が立派じゃなくてもいいものね。「家」だとか「国」がないから、親が崇拝対象になる。まあ、親だってふつうの人だから。自分が親をやってみて、よく分かるという話。
私の場合、その崇拝対象を聖書や、それを伝えた秦氏だと思うことにした。本当かどうかは別として、それで気持ちが安定するならば、神も秦氏もイヤだとは言わないだろう。