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秦氏と原始キリスト教

この茶番はあきれ果てたり、悲しいこともあったけれど、「得たもの」は大きい。「得たもの」というのは、知ったこと、気づいたことだ。

その一つがあの不思議体験の意味だ。

とにかく「キリスト教」が大嫌い。一つは、その歴史。

【「キリスト教」こそ史上最大のマトリクス??】
ここまで読んで「自分の知ってるキリスト教とだいぶ違うぞ」と思った人もいるかも。

大航海時代には、多くの宣教師が先遣隊として送り込まれ、国々が侵略され、資源が根こそぎ奪われ、人々は奴隷にされていった。「キリスト教」の名の下に多くの残虐な行為が繰り広げられ、しかも聖書を後ろ盾にしてそれらがなされてきた。

しかし聖書を読むなら、歴史の侵略者らがしでかした極悪行為は聖書によって正当化されるものではないとわかる。聖書が語る神像と、キリスト教の名の下に行われた残虐行為は全く似ても似つかない。

第一、キリスト教はローマ発祥ではなく、ヘブル発祥だ。すでにその時点ですげ替えられている。

バチカンとかイエ○ス会=聖書が語る神ではない。その中には真心から礼拝している人々も多い中、「善」を隠れ蓑に暗躍する輩もいる。

悪魔がしたいこと。それは神に汚名を着せて、聖書の神を人々が知ろうとしないようにすることだろう。「キリスト教」こそ史上最大のマトリクスなのかもしれない。

「キリスト教」こそ史上最大のマトリクス?

もう一つは、子どもを傷つけたあの心療内科のクリニックの壁に聖句が貼ってあったこと、初診でそこの医者が「早くよくなりますように」って祈りを捧げたこと。その後、向精神薬で子どもが狂ったから、ホントに悪魔教以外の何ものでもない。

おまけとして、クリスチャンの友人とはどうも気が合わない・・・


そんなキリスト教嫌いの私のところに現れたから、「どうして現れたの?」「お釈迦さまのほうが良かったのに」とずっと思っていた。

世面地さんが紹介されている動画のような、長いやりとりがあったわけでもなく、ほんの一言、二言で、それ以来、現れることもないのだけれども、あの時の私にとっても、今の私にとっても最も適切な言葉だったと思う。


イエスが十字架で亡くなって、イエスを信じる人たちによって「教会」(場所ではなく人の集まり)ができた。「原始キリスト教」だ。その後、キリストを信じる人たちは、ずっと迫害され続けてきたが、392年ローマ帝国がキリスト教を国教にした。現在は大きいところで、カトリック、正教会、プロテスタントの三つの宗派がある。私はそのどれでもなく、「原始キリスト教」がいい。

というのは、秦(はた)氏の存在だ。古代日本に来て住み着いた一族だ。機織り(はたおり)などの技術を伝え、その一族が神社なども作った。その秦氏が「原始キリスト教」を日本に持ち込んだと言われている。私の実家の両親は同じ姓で「はた」と発音が近い。父方の家紋しか知らないのだけれど、六芒星に近いといえば近いデザイン。一族は、どちらも日本中に散らばっているので、農耕民族じゃないと思う。混血が進んでいるから、日本人には、皆秦氏の血が入っているとは思うのだけれど、私は案外濃いのかもと思っている。

”神話を忘れた民族は100年以内に滅びる”と、イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーが言うが、個人レベルでも、家族レベルでもそうだと思う。この茶番を通じて、自分のルーツというか故郷みたいなものがないと生きられないというのがよく分かった。GHQが徹底して破壊したことが今になってよく分かる。

余談だけれど、親子関係がしんどい!という原因もここにあると思う。忠誠を誓うのが、「家」だとか「国」であれば、親が立派じゃなくてもいいものね。「家」だとか「国」がないから、親が崇拝対象になる。まあ、親だってふつうの人だから。自分が親をやってみて、よく分かるという話。


私の場合、その崇拝対象を聖書や、それを伝えた秦氏だと思うことにした。本当かどうかは別として、それで気持ちが安定するならば、神も秦氏もイヤだとは言わないだろう。



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