見出し画像

よき人生を!

遺伝子組み換え液体を打って、ついにプロ野球選手が死亡。
これでもまだ気付かない人々は羊の群れです。
テレビや新聞は今も接種推進。
スポンサーには逆らえませんからね。
テレビや新聞の主要なスポンサーは製薬業界ですよ。
スポンサーに不都合な事実をテレビや新聞が報じるわけがありません。
どれだけ様々な方々が声を枯らして「打つな。打ってはいけない。」と伝えても羊の群れは「メ~、メ~、メ~。」とテレビの画面を食い入るように見ては接種に向かいます。
博士や医師が打ったら2年以内に死ぬから打つな、と警告してもテレビで芸人が接種推進をすれば画面の芸人を信じる愚かさ。
2年以内どころか逞しいプロ野球選手が僅か数日で死亡したではありませんか。
洗脳された人々はこれでも洗脳に向かうのでしょう。
副反応が出るのは仕方ない、腕が痛いけれど仕方ない、液体は必要だ、と完全に染まっています。
液体を打ったら熱が出て苦しいけれど3回目も打ちますと言っている救いようのない羊もいましたね。
北斗の拳のケンシロウほどは端的には言いませんが、最近は私は親しい人がどうしても液体を打つと言う場合は、「そうか残念だね。あなたが来年も夏を迎えることができたら良いね。」とか「御愁傷様です。もう会えなくなるかも知れませんね。」とか「残念だね。この夏があなたにとって最後の夏になるかも知れないね。」と言うようにしています。
明確にはっきり伝えないともはや分からないですから。
やはり人々により魂のステージが違うのだと感じるようになりました。
何かの事実を伝えられた時にスッと胸の中に入っていく人といつまでも抵抗して拒絶する人は魂のステージが違うのでしょう。
魂のステージが違う人とは、もはやこの世では縁のない人です。
命に関わる時間が流れていく中で、魂のステージが人それぞれに炙り出されてきましたね。
この命に関わる大切な日々の中で、魂が共鳴し合える人々を大切にして、これからの人生を大切に生きていきたいですね。
魂のステージが違う人々とは残念ですが、もういいですね。
それぞれが信じる道を生きてください。
羊なら羊らしく数名の羊飼いになされるがまま誘導されて毛皮を刈り取られて、最後は肉にされてジンギスカンにされて食べられてしまう。
そういう羊も羊としての人生ですから否定はしません。
羊の群れはもういいです。
さようなら。
目を覚ました人々と力を合わせながら、大切な人生の時間を生きていきたいですね。     木村 正治さん 8/6 FB記事

この騒動の直前に、偶然仕事を辞めたこともあり、また、色々あって、あまり人づきあいをしていない。だから、「打たないで!」と言ったのは、夫と子どもたちだけだ。この騒ぎの前に、戦いは終了していた。親戚や友人と、ガン治療、向精神薬などでやり合ってきたから。打つだろうなと思っていたし、打ったとも聞いた。


"「そうか残念だね。あなたが来年も夏を迎えることができたら良いね。」とか「御愁傷様です。もう会えなくなるかも知れませんね。」とか「残念だね。この夏があなたにとって最後の夏になるかも知れないね。」”

とは言わなかったけれど、「よき人生を!」と言って、何人もの”病気の人”とお別れしてきた。

その後、連絡が途絶えてしまった人もいる。少なくとも、私からは連絡をしない。その人が苦しんでいる様子を聞くのがいやだから。元気であれば、良かったと思う。「ほ~らね」と、どや顔されるほうがいい。だけど、私が言ったにもかかわらず、調子が悪いと言われるのが一番困る。聞かないと、”病気の人”(=かわいそうな人)の気持ちに寄り添わない、とんでもないヤツと逆ギレされる。私の話は聞かないで、「専門家でもないくせに」から始まって、私の性格が悪いだのと言って、人格否定をした人たちである。私にどういう態度を取れというのか。

そういうわけで、あちこちで人間関係を壊してきた。誰に聞いても私が悪いと言うだろうし、実際にそう言われた。私もそう思う。


*****

”やはり人々により魂のステージが違うのだと感じるようになりました。”

個人的には、「魂のステージ」という言い方は好きではないけれど、似たようなことは感じる。

鼻で笑われるだろうけれど(「笑いたいやつは笑え!」は私のアメブロのタイトル)、私は”利他”だから。くだらないエゴには付き合いませんけど。”利他”をするために、自分の健康に気をつけるし、情報を得ようと思うし、賢くなりたいと思う。”利己”なんてつまらないし、”利他”のほうがはるかに生きるのが楽。

それはさておき、お別れしてきた人は、人間は自分のため(利己)に生きているという前提があるようだ。だから、私がマウントを取りたいがために、そういうことを言うのだろうと思うらしい。勝手なストーリーを作り上げて、そのストーリーの中の私がいかにダメなのかをまくし立てて、勝利宣言をする。

最初は、「いや、そういうことじゃなくて、...」と相手の"勘違い”を正そうとしたけれど、正そうとすれば正そうとするほど、相手はますます確信を強めて勝ち誇る。作家になれると思うくらい、あきれるほど、ストーリーを産出する。

最初はびっくりしたけれど、そういうことがだんだん多くなってきて、黙って言わせておくのが一番だと分かってきた。彼、彼女たちの作るストーリーの中でボコボコにされる私は私じゃないから、痛くもかゆくもない。そのうち、面白がってお話を聞くようになった。

申し訳ないが、レベルが低いんだなって思う。肩書きも正規雇用であるかも学歴も関係ない。かわいそうだと思うけれど、私にできることはない。

この先、その人と時間(=命)を共有することは、時間の無駄だと思うから、私からは連絡しない。おかげさまで、人間関係がとても少なくなり、最近は出くわさない。それだけ、周囲は”病気の人”だらけだということだ。

生きている世界が違うと思うから、その人たちはその人たちが住む世界での幸せがあるのだろう。口出しはしないほうがいい。

*****

そうは言っても、さすがに我が子に「よき人生を!」とは言いたくない。気づいていないだけなら、気づいてくれ!と思う。でも、客観的に見れば、私と同じ世界に引き上がる可能性は低いと思っている。物事の見方や考え方の根本から変革してもらわなければならないから。世の中の流れは速い。時間のかかる変革作業を成し遂げるのは難しいと思うし、彼のいる環境、状況を考えれば、無理だと思う。

だから、祈る。

彼らも心配だが、少なくとも、私を頼りにしている人が何人かいる。この人たちを守らなければいけない。そのためには何をするのか、常に学び、考えていかなければいけない。わたしは「かみさん」だからね!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?